狛犬を訪ねてbQ(関の城下町狛犬巡りそのU)
@西白河郡中島村の狛犬 Aへ  Bへ   中島村と泉崎村
↑上の写真は小松寅吉作の中島村・川田神社の阿形の狛犬、馬は羽黒神社の小林和平の作品です。

狛犬トップへこの地の石工達の卓抜な技術と造形が生み出す石像群に圧倒されてしまいました。そしてその時の大きな感動がいつまでも残りました。野に立つ石像は長年の風雪にさらされ、石工たちが腕をふるった彫り跡が掠れてきています、追い打ちを掛けるように今回の大震災で多くが打倒されました。神々への感謝の気持ちを、普通の人々の寄進によって形にしたこれらの石像のそれが運命だったのでしょう。そこに暮らす人々が守ってきた鎮守様であったからこそ石工達のこのような創作が許されたとも言えるかもしれません。野にある石像郡のエネルギーに圧倒された旅でした。2015.06.29〜30の第1回目に続き、2015.07.13〜14の第2回目のデータを掲載しました。 2015.07,13

第1回、第2回、狛犬巡りの地図です。ポイント表示マークはカラーで分けてあります。カーナビに入れる住所と写真、簡単な説明文、ポイント地点の閲覧ホーム・ページのリンクが付いています。知識が乏しい為に説明に間違いがあるかもしれません。前もってお詫びしておきます。徐々に訂正を行ってまいります。グーグル・マップ中印は小松利平・布孝(寅吉)、小林和平に関係する狛犬・石像です。銘が彫られていないものや推測の石像も含まれています。

このグーグル・マップ”狛犬を巡る”はブラウザーによっては作動しない場合があります。

グーグル・マップ訪問地点明細(地図のポイント表示マークは色分けされています)
  各回のホーム・ページ見出し名一覧 実施期間
第1回 @関の城下町 A小峰城と金毘羅神社 B借宿・羽黒神社 2015.6.29〜30
第2回 @中島村周辺 B白河の関周辺 B浅川町周辺 2015.7.13〜14
第3回 @西郷村~白河市 A国津神社・羽黒神社 B鐘鋳神社と貫秀寺

2015.7.27~28

第4回 @白河市大信 A白河市近津神社他 B二つの角折神社

2015.8.17〜18

第5回 @西郷村4つの社 A石川町八幡神社他 B小松布孝と小林和平 2015.9.7〜8
第6回 @西郷村から白河市 A白河大信から天栄村 B浅川町 C棚倉町 2015.9.28〜9

地図で見た場所に天満宮の新しい鳥居

小高い岡を登ると小さな社 石灯籠に石工の名前”大高三二”が彫られていました。この人は白河の狛犬に時々名前があるようです。

白河市久田野にあると書かれている八雲神社を探して三度目、今回も細い道に入って地元の方にも聞いたのですが分かりません。地図で調べた場所に新しい鳥居、どうも違うようなのですがこの奥にあるかもしれないと登って見ましたが小さな社があるだけでした。この鳥居の周辺は除染が行われており、古い石が大量に集積されていました。もしかすると地震でつぶれたのかとも思っているのですがそれも分からずに再度調べて訪れる事にしました。小峰城前に緑色のテントの下に常駐する観光ボランテイアの方に尋ねにいこうと思います。

福島県中島村・善通寺・小林和平作の地蔵菩薩像・大正15年(1926年)
小林和平作の地蔵菩薩像(いわゆるお地蔵様)、地震の強烈な揺れでかなりの被害が出ているようです。穏やかでふくよかなお顔です。柔らかな笑みが遠くあまねく見つめているようです。大正15年と彫られています。

白河市を通り越して東北方向の中島村を訪れてみました。最初に善通寺、辺りには豪壮な家が立ち並んでいる一帯でした。寺も大変綺麗で由緒がありそうです。駐車場に車を入れさせてもらいお参りをします。

カーナビに善通寺の住所:西白河郡中島村滑津元村190を入力します。県道137号線を左から来た場合は、水野谷歯科医院の見える交差点の信号を左折すると善通寺ヘ入る道と駐車場が見えます。中島村の狛犬スライド・ページ

 

地蔵菩薩像は金属製のパイプで保護されていました。若干バランスが崩れているようにも見えるのは、激しい地震の揺れで倒壊したか傾いたのかもしれません。 小林和平の菩薩像の右手に古い石像がありました。願いを込めたお供え物(小石と小銭が主ですが)が一杯です。
本堂で手を合せました。左に名が知れた枝垂れ桜の枝が垂れ下がっています。山門を出て近くの羽黒神社に向かいました。。20015.07.13

 

中島村・羽黒神社
カーナビの住所は西白河郡中島村滑津羽黒前90-92、善通寺の近くです。通りの両側に豪壮な家並み、左手に羽黒山の門柱と太い参道。此処を左折して広い通りの突きあたりに鳥居があります。その近辺に車を止めました。2015.07,13
羽黒山・小林和平・狛犬・阿像

中島村の羽黒神社には小林和平の作品が幾つかあるとの事で、楽しみにしていました。鳥居の前に壊れたその小林和平の狛犬が置かれていました。唖然としてしまいました。地震が心血を注いだ作品を路傍に打倒したようです。阿像と目が合ってしまいました。

 
 

下から見上げる阿像の目は、理不尽な扱いに文句があるような顔つきに見えてなりません。これでは神域の守りに付く役目には似つかわしい姿とはいえないでしょう。

復興の手が早く届く事を羽黒神社の本殿に祈りました。活き活きとした顔の表情に強く惹きつけられました。

 

 

 

羽黒山・小林和平・吽像

吽像のほうが幾らか損傷が少ないように見えます。一つも弛緩した彫が見られない美しい石像です、見る者に違和感を感じさせずに見る事に没頭させてくれます。

作者が語りかけてくるような力を持った石像だと感じました。地面に打倒されたお陰で細部までまじまじと見る事が出来ます。

 

足を突っ張った子供の姿と表情が単なる作り物ではない事を感じさせてくれます。立体の造形のリアルさを楽しませてもらいました。2015.07,13

小林和平の石燈篭
上の石がひび割れているように見える鳥居をくぐり参道を進みます。石段を登って木立に囲まれた本殿の右に美しい姿の石燈篭が見えます。上の傘も(そう呼ぶのかどうか不明ですが)丁寧に彫られています。石工・小林和平と彫られていました。
昭和19年の作品のようです。石燈篭の上に乗っているのは狛犬のようです。粘り強い意思、創意と技術を持ち、全く手を抜かない人だったと思いました。
羽黒神社・小林和平の馬

馬と言えば白河市の坂本観音の小松布孝(寅吉)の牝馬を思い出します。荒々しく躍動する馬に圧倒されました。

小林和平の馬(牡馬だと思うのですが)は静かに手綱を引かれる優しげな姿です。神域を騒がす恐れはないようです。足が不格好なのは多分脚部が折れたのだと思います。

 

本殿で手を合せて車まで戻る事にします。社の左に石燈篭、右に馬が望まれます。人っ子一人いない露店の美術館は、村の人々が神に願いを届ける神域でもあります。

素晴らしい空間を一人占めして大満足です。次の川原神社に向かいます。2015.07,13

 
西白河郡中島村・川田神社(旧川原田神社)
交通量の多い道路のすぐ脇に特異な姿の狛犬が私を見つめています。石像を見上げている私の直ぐ後ろを車が頻繁に通り過ぎて行きます。勿体ないというか惜しげも無くというか・・、寅吉の狛犬が見られるのはそのような場所なのです。2015.07,13

カーナビには西白河郡中島村川原田上町63(川原田ふれあいセンターの住所)と入力すると良いでしょう。この施設は川田神社の境内にあります。車が止められる場所でもあります。

川田神社は交通量の多い44号線の脇にあり、鳥居と小松布孝の狛犬は道路の脇にあるのですがカーナビを見ている間に通り過ぎてしまったようです。ただ他の神社のように見つけにくい事はありません。

 

小松布孝狛犬阿像・明治25年(1893年)

小松布孝(寅吉)の他に類を見ない狛犬の阿像です。圧倒的な想像力と技術が生み出した石像は、生命をもった生物のように躍動しているように見えました。

 

歯の造りや目の角度、ゆるぎない彫の曲線には一点の緩みや不具合が見られません。それは見る者に、見る事に冒頭できる楽しさを与えてくれます。
後ろから見ています。これだけでは、石像の正体が想像もできない異様な物体が躍動しています。
小松布孝・狛犬吽像・明治25年(1893年)

このような意匠がどのようにして生まれたのか興味が尽きません。

石像の直ぐ前は車が頻繁に行き来する44号線、そのせいなのか部分的に強い変色が見られます。

口をしっかりと結んだ吽形には内にため込んだ大きな力を感じます。依頼者の希望に沿った普通の狛犬を作る時(類を見ない造形に見えるのは間違いないと思うのですが)と、このような奔放な作品を作る時との精神のバランスをとるのはさぞ大変だっただろうなと、全くの素人の私は興味を持ちました。

川田神社・小松布孝(寅吉)狛犬の銘・明治25年(1893年)
布孝の在所である福島県石川郡浅川村福貴作の地名が彫られています。
川田神社に奉納された明治25年(1893年)が彫られています。当時の人々は、うすうすは感じていたかもしれませんが、この狛犬を目にした時は随分驚いたのではないでしょうか。他所者として村の暮らしを少しは知る私の想像では、100年以上昔なら異論もあったかもしれないなと思いました。地域の人々がそれをまとめてこのように守って来て貰った事に感謝しなくてはならないと思いました(他の神社でも感じる事ですが)。
作者である石工 小松布孝(寅吉)の名前が彫られています。
一見してこの狛犬は地震の被害が少なかったように見えます。確りした石垣があった事が被害を少なくしたのかもしれません。寅吉と同じ浅川村(現在は浅川町)の石垣を作った石工達の名前が彫られていました。

狛犬の前に設置された説明文です。数年前、この説明文が参照した”たくきよしみつ”氏のインターネットの中で県境の村の近辺に素晴らしい狛犬のある事を知りました。

県境の村の近辺の静かな社を訪れ狛犬を見る楽しさを知るきっかけを作ってくれました。

 
狛犬を訪ねて(関の城下町狛犬巡り)そのUの@泉崎村の狛犬
 
西白河郡泉崎村・関和神社 2回目の関和神社訪問

カーナビに入れる関和神社の住所は福島県西白河郡泉崎村関和久上町96 。ただ目的地の近くに来てからが大変分かりにくく、私達は岡の間の細い道を4度ほど回りました。途方に暮れて、県道75線の関平郵便局(福島県西白河郡泉崎村関和久上町111)で¥100切手を20枚買って聞いたところ簡単に分かりました。郵便局から200m程西に向かうとY字路がありそれを右に折れるとすぐ鳥居がありました。

参道を歩いると家人が確かに前に来た記憶があると言うのです。帰路白河方面に向かうと関和神社の隣に雲月寺がありびっくりしてしまいました。そこは2012年の4月に桜を見に訪れた神社だったのです。その折この狛犬も見ています。何故お寺に神社がと不思議に思った記憶があります。2015.07,13

2012年、桜見物の写真です。この農道が関和神社の参道です。小さな流れを渡って気分の良い杜の中の参道を少し進むと本殿があります。

写真左、木の横に雲月寺本堂の甍が見えます。

雲月寺住所:福島県西白河郡泉崎村大字関和久字上町80、電話 0248-53-2917。この石柱の前に駐車場があります。桜の季節なら此処から雲月寺に向かい桜を見ながら右に進み、上の写真の関和神社の参道に出ると良いでしょう。関和神社が見つからないときは雲月寺の住所をカーナビに入れてみてください、神社の鳥居は、お寺から70m程右にあります。 2012.4.24
関和神社の鳥居です。狛犬が見えます。この小山の後方の山道を神社を探してぐるぐると回ってしまいました。車はこの左に止めました。
関和神社の阿像・明治20年(1887年)・石工名不明

非常に彫が美しい狛犬です。幾つかの狛犬関係のホーム・ページには小松寅吉の作品ではないかと言う推測が書かれています(素人の私にはわかりませんが)。

表情、美しい造形、力を抜かない彫等他の寅吉の狛犬と似ているかもしれません。贅肉の取れたシャープな形に感じました。猛々しい感じがしないように見えます。2015.07,13

阿像を後ろから見ています。確かに全く手を抜かない彫が全体に施されています。彫の無い場所がありません。流れるような曲線に見惚れてしまいました。
脚部が破損してしまったようです。そこにも細かな彫が見られます。修整が困難な固い石にこれだけの細かで連続した曲線を掘り続ける精神に感服します。2015.07,13
関和神社の吽像
上目使いの眼差しのせいか可愛らしい雰囲気の吽像に見えます。すっきりした造形の狛犬です。細部にわたって力を抜かない彫は見飽きる事がありません。2015.07,13

集落の人々が奉納したのは明治20年の事のようです。この近辺では残存する明治の狛犬はかなり希少なので、これだけの彫刻が出来る石工も限られてくると思われます。

吽像を後ろから見ています。子供が見上げている姿を見て、狛犬を奉納した人々もひとしきり和やかに話をしたことでしょう。2015.07,13

関和神社本殿に向かう
雲月寺から続く小さな流れを超えると、鎮守の森の間を抜ける心地よい参道が続きます。今日はかなり日差しの強い一日です、ひんやりした神域に入り心が静まりました。2015.07,13
村の人々の守る本殿で手を併せました。両側に立つ古い狛犬が守っているようです。

本殿前の阿像・文久3年 (1863年)癸亥・白河市双石 伊右衛門

目の表現から何処となくおっとりと構えた阿像に見えます。力を抜いて眺める事ができます。各部の彫りもあっさりとしています。

文久3年(1863年)の年号と”雲月”の文字が判読できます。この雲月は隣の雲月寺の事なのかとも思います。他は経年の為に摩耗してはっきり見えません。

阿像の後ろからの姿です。

令和1年5月28日、関和神社の近くに出かけるついでにこの狛犬の石工名を探してみる事にしました。台座にはっきりと”双石(くらべいし) 石工 伊右エ門”の文字が彫られていました。

双石は現在の白河市にあり、関和神社からは約6.5kmの距離にあります。この石工は白河市・鹿島神社狛犬(慶応2年・1866年・石工・双石村、伊右衛門)を彫った人だと思われます。 双石(くらべいし)は11号線・石川街道沿いの地域で鹿島神社までは約3kmの距離になります。

江戸時代の石工が存在した事になります。明治時代になって、同じ双石の@社八幡神社(表郷八幡社山)A熊野神社・双石を彫った深谷儀助とは何らかの繋がりがあるのか興味深い事です。

本殿前の吽像
吽像もやはり優しげな雰囲気を感じました。風雪に晒されてかなり摩耗していますが、これを作った石工の生きた人生より長く生きた事は間違い無いでしょう。
吽像の後ろ姿です、神社を永い間護って来た事にご苦労様と言いたい気分です。これから最後の烏峠に向かいます。2015.07,13
 
西白河郡泉崎村・烏峠稲荷神社
カーナビに入れる住所は烏峠稲荷神社: 福島県西白河郡泉崎村泉崎烏峠4です。道路の右手に鳥居がある道を左に入ります。一見狭そうですが問題なく峠の頂上まで車で登れます。

つづら折りの狭い坂道の両側は丁度山百合の満開の季節にあたったようです。切れ間無く山百合の列が続いています。山道は狭いので、車のすれ違いの出来る場所が限られるようですからゆっくりと登りました。

それほど掛らずに峠の行き止まりに到着しました。元の社務所か茶屋らしき建物が建っています。車を止めて烏峠稲荷神社に向かいます。

山門を備えたかなり風格のある神社のようです。

辺りを木々が覆いひんやりとした空気に満ちています。鳥居と石燈篭を備えた美しい神社です。
 
烏峠稲荷神社の狛犬・阿吽像
大口を開けた奇妙な姿の阿像です。目も窪んでまるでマスクをかぶったような風貌に見えます。文句を言われているような気分です。この阿像はかなり背丈があります。
阿像の後ろ横から見ています。彫はかなりあっさりしています。
吽像もかなり変わった風貌をしています。阿像と同じく、仮面をかぶったようなどこかぎこちない顔に見えます。それだけに悪霊から神社を守るには十分な迫力を備えているように見えます。子供も精一杯背伸びをしている様子、騒々しい啼き声が聞こえるようです。
烏峠稲荷神社の狐の像

稲荷神社といえば狐でしょうが右側の像がかなり珍妙です。稲荷神社で石像を見た経験がないのですが、随分と斬新な印象を受けました。此処まで見て来た猛々しい狛犬の石像とは対照的に柔らかくそして静的な石像に見えます。慶応3年(1967年)の年号が見られます。

 

 
石段を登ると本殿が見えます。手を合せて祈りました。この烏峠稲荷神社で今日の狛犬を巡る旅は終わりにします。
烏峠の駐車場から泉崎村を望む。 本殿の裏に3等三角点があります。484.94mと書かれていました。

県境の村に戻るべく4号線方面に向かっていると途中踏切に出会います。信号が激しいカンカンと言う音と共に点滅しています。遮断機の目で止まっていると東北線の普通電車が通り過ぎて行きました。黒磯まで行くようです。私達の戻る道に向かっているようです。

狛犬を巡るそのUの@、Aは近日中に掲載申し上げます。2015.07,13

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07/05/2019
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