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↑栃木県那須町・湯本の温泉神社・左に置かれた阿像
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9月27日、那須朝日岳の紅葉が始まったと言うテレビの情報を聞きました。それならと、仕事が終わってから県境の村にやってきました。28日は朝日岳の紅葉を見て、29日は浅川町から棚倉町を回ることにしました。
朝日岳は確かに紅色に山肌が染まっていました。
晴天に恵まれた28日は登山道の狛犬を見ながら頂上からの景色を堪能しました。29日は白河市の寅吉の定信歌碑の柵がある借宿のJA細倉販売所で、安価かつ新鮮な野菜と果物を買い込み狛犬を巡りました。家人と同行の村の知り合いにとっては、狛犬を見るのと同等かそれ以上に農産物を買う事が楽しみなようです。12時20分の開店時間に合わせて狛犬巡りのルートを決めている次第です。
折角、寅吉の素晴らしい石像のある羽黒神社の前に居るのに、近頃立ち寄っていないのです。2015.09.28 狛犬トップ・ページに戻る
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今まで、何度もこの道を通ったのですが見る事もなかった那須朝日岳登山口の狛犬を見る事にします。那須朝日岳は紅葉が始まったばかりです。山の神の扁額の掛かる鳥居をくぐります。登山道の始まりです。鳥居の先に狛犬が一対奉納されいます。更に20メートルほど登ると左側に山の神の斎場と思われる場所があります。この住所が不明の為、少し下にあるケーブ駅住所:栃木県那須郡那須町湯本那須岳217を参考にしてください。登山口には大きな峰の茶屋駐車場(無料)があります。2015.09.28 |
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何度となくこの前を通りましたが一瞥しただけでしみじみと見たことはありません。
ここは4月ごろまで雪の下になります。大変過酷な場所に奉納されている狛犬です。小型の狛犬と言えます。朝日岳と那須岳に登るにはこの狛犬の前を通ることになります。 |
朝日岳登山口・山の神・阿像 |
涎掛けと思われる布を下げ、アマには赤い頭巾のような布が掛けられています。
作りは、県境の村で普通に見られる彫に見えました。石工の名前や年号は見つける事が出来ませんでした。地元の狛犬と言う雰囲気が強く出ているように感じます。
此処から東、芭蕉が奥の細道の旅で通った奥州街道沿いは石の産地でもあるようです。石工の人々が、人々の日常的な生活の中の仕事、狛犬造りを含めて、をこなしていたと推測しています。2015.09.28 |
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朝日岳登山口・山の神・吽像 |
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吽像の顔が一部欠落しているようです。光線の具合で様子がうまく写せませんでした。
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狛犬から10mも登ると山の紙の斎場と思われる場所に出ました。手を合わせて通り過ぎます。 |
朝日岳を登ってから県境の村に帰る途中、那須湯本の温泉神社に立ち寄ることにしました。 |
那須温泉神社 (ゆぜん)・大正8年・石工 益子富之助 |
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那須温泉神社住所:栃木県那須郡那須町大字湯本182。
殺生石の吐き出す硫黄が漂う隣に温泉神社(”ゆぜん”と言うと思っていましたが”おんせん”と書いてあるものもありました)があります。道路の横に湯本の公共駐車場があります。私はそこに止めましたが、鳥居の右に神社駐車場への道があります。そちらにもとめられるようです。大きな鳥居が見えます。
因みに、この辺りは芭蕉の奥の細道に登場する所です、芭蕉は那須湯本温泉に2泊して殺生石やこの温泉神社を訪ねるのです。狛犬を巡る旅は、幾度となく奥の細道と交差しながら、地元の人々が守ってきた静かな寺社を訪ねる事になります。別冊の”そばの細道”の殺生石と温泉神社との重複を避けて、そこに掲載されている以外のものを記載しました。2015.09.28
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那須温泉神社(ゆぜん)・大正8年・石工 益子富之助・右の像 |
かなり大きな狛犬です。大きさのみならず重厚な彫だと感じました。当時、かなり近郷で名の知れた石工だったと思いました。名前と年号は確りと残っていました。
現在は太田原市に属する黒羽田町の石工・益子富之助と彫られています。旧陸羽街道の町です、つまり芭蕉の奥の細道の順路にあたります。
太田原に隣接する、今は那須町に属する伊王野は石材の町として栄えたと言う事ですから多くの石工が居たと思われます。 2015.09.28 |
阿吽が一般的な例と異なり、左右が逆になっています(白河近辺で良く見られる例ですが)。この狛犬は、一般的には左にあるべき吽形ながら右に置かれいます。
右側の狛犬を正面から見ています。子供の表情も大変豊かです。 2015.09.28 |
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那須温泉神社(ゆぜん)・大正8年・石工 益子富之助 |
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左に置かれた阿形は玉を足下に収めています。顔の表情、毛の緩やかな曲線などはかなり美しいと思いました。良い狛犬を見る事が出来ました。 |
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馬の石像 |
本殿の右にかなり大きな馬の石像が見えました。顔の表情が大変リアルに表現されていると思いました。馬体を表現している緩やかな丸みが、見る者に違和感を与えません。かなりの腕の石工のように思いました。
石工名や年号を見つける事が出来ませんでした。 2015.09.28 |
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馬の石像から眼下に殺生石が見えます。硫黄の臭いが鼻をつきます。ここから河原への行き来が出来ます。
殺生石には芭蕉の句碑が建っています。2015.09.28 |
入口の鳥居まで戻ってきました。那須のメイン・ストリート、所謂那須街道です。右が湯本温泉から那須町方面、左がケーブルカーの駅になります。鳥居を出たところに公共の駐車場があります(因みに私はそこに止めました)。
那須街道の下には殺生石から流れ下る沢が流れています。 駐車場から沢に下る道があります。沢沿いには情緒のある日帰り温泉・鹿の湯があります。
沢沿いには昭和の雰囲気が残る旧温泉街があり、芭蕉宿泊地のなどが見られます。そろそろ夕暮れが迫ってきたようです、県境の村に急いで帰る事にします。2015.09.28 |
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翌9月29日は、白河市借宿のJA細野の12時20分の開店に合わせて買い物をします。家人も同行の村の知り合いの人もそれが大きな楽しみのようなので、狛犬巡りは時間を見ながら行程を決める事にして朝9時県境の村を出発します。撮影2015.09.29
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杉木立が心地よい日陰を作っています。石段を登り社殿で参拝をしました。地元の人々の手で手入れが行き届いている様子が見えます。
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前の道路が羽鳥湖への街道です。左が羽鳥湖、右が4号線方面になります。
実りの秋が過ぎていくようです。多くの田圃は既に稲刈りが終わっています。台風の被害も無く無事に収穫が終わり氏子の人々の願いが叶ったようです。撮影2015.09.29 |
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西郷村熊野神社・阿像・石工 緑川長吉 昭和8年 |
思っていたより良い狛犬でした。やはり石材の産地である白河市にはかなりの技術を持った石工の人達がいたようです。石工・緑川長吉と彫られていました。もしかすると何時も買い物をするJA直売所”り菜庵”の近くの4号線沿いにある緑川石材店と関係があるのかと想像しています。
手入れの行き届いた石段を少し登ると社がありました。草刈りがされたばかりのようでさっぱりと整った境内でした。 撮影2015.09.29
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顔の表情や尻尾の形も社を守る狛犬としての力強さが感じられます。 撮影2015.09.29 |
西郷村熊野神社・吽像・石工 緑川長吉 昭和8年 |
吽像の表情は柔らかです。手は子供をあやしてでもいるように見えます。辺りに田圃が広がるのどかな鎮守の社を守るに適した狛犬だと思いました。 撮影2015.09.29 |
昭和八年に鈴木さんという方が奉納したようです。石工は白河町の緑川長吉と刻まれています。
出発の朝、思いもかけない幸運に恵まれました。馴染の通りで狛犬を見る事が出来ました。早速次の目的地に向かう事にします。 撮影2015.09.29 |
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07/20/2018 |
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