↑上の写真が白河市東栃本地区・角折神社・小林和平の阿像です。
この地の石工達の卓抜な技術と造形が生み出す石像群に圧倒されてしまいました。そしてその時の大きな感動がいつまでも残りました。野に立つ石像は長年の風雪にさらされ、石工たちが腕をふるった彫り跡が掠れてきています、追い打ちを掛けるように今回の大震災で多くが打倒されました。神々への感謝の気持ちを、普通の人々の寄進によって形にしたこれらの石像のそれが運命だったのでしょう。そこに暮らす人々が守ってきた鎮守様であったからこそ石工達のこのような創作が許されたとも言えるかもしれません。野にある石像郡のエネルギーに圧倒された旅でした。 2015.08.17
角折神社の住所:白河市東栃本下本郷103。同名の神社が少なくても3つ、はっきりしませんがかなり近くにあります。余所者で土地勘がないので探すのに苦労をしました。街に暮らす者には、まず白河市にある膨大な神社の数に驚きます、更に同名の神社が複数あるのにも驚きます。2015.08.18
昭和15年の小林和平の狛犬のようです。十分に神域を飛びながら護持する狛犬の姿が表現されているように感じました。2015.08.18
吽像は一見すると背中を丸めて子供をあやしてでもいるような優しげな印象を持ちました。
小松布孝の狛犬もあり、このような狛犬も居る。全く表現されたものが異質な色々な石像を見られる事は、眼前の作品を彫ったそれぞれの石工達の姿やその時の思いを想像する楽しみがありそうです。2015.08.18
石段を下ると、狛犬が守る社の先には実りの季節を迎えた美しい田が広がっていました。人々の願いが叶ったようです。田圃などに縁が無いのに、何故か懐かしい風景に思えてきます。しばし石段の上に立ち止り心を過ぎていく湿り気を帯びた感傷に身を任せました。次の角折神社に向かうことにします。2015.08.18
白河市・村社(そんしゃ)角折神社 ・小松寅吉銘狛犬
角折神社の住所:福島県白河市田島結城ヶ舘82―1。
白河方面から11号線・御斎所街道を東・石川方面に進みました。小松布孝の定信歌碑の柵がある羽黒神社のある”借宿”の手前にあります。白河から来た場合右に五箇中学、左に五箇小学校があります。右折したところの中学の裏にも同じ角折神社があります。こちらは、左折し小学校方面に進んだ田圃の先にある同名の角折神社です。土地勘がないので最初の訪問では間違ってしまいました。 2015.08.18
角折神社・小松寅吉銘の阿像・明治31年( 1898年)
五箇小学校を右手に見て田圃の中の道を左手の森を目指して進みます。小高い森を左に見て砂利道に入りますが鳥居らしきもの見えません。20m程戻り森を右手に見て少し進むと人家の横に鳥居が見えました。
かなり簡素な彫の阿像が右手に置かれています。台座を見ると小松寅吉の名が彫られていました。私には顔がどこか借宿の羽黒神社の狛犬の顔を思い出させます。2015.08.18
木漏れ日が差し込んでいます。この吽像のすぐ横に隣家が迫っています。子供がまとわりつく吽像も表情は悪くないと感じました。個人の方が寄進したようです。小松布孝の奔放な石像は勿論鑑賞後の感動の余韻が深いのですが、このような簡素な石像との対面には静かな喜びと微笑みが残ります。 2015.08.18
参道の曲がったところの小さな境内の左右に狛犬が一対置かれています。
右側の狛犬ですが椿の木に前を塞がれて全体が見えません。子供の像が見えませんが多分吽像に見えるのです。迫力のある姿だと思いました。2015.08.18
大正10年、佐藤さんと言う個人の方の寄進のようです。石工の名前にカラメの関根国三の名前が彫り込まれていました。このカラメ(”搦目”)と言う地名と関根と言う名前は白河市表郷の五龍地神社の狛犬の作者”関根沼石”と何か関連があるのかもしれません。*後日、関根沼石の本名が関根国三である可能性の高い事が分かりました。2015.08.18
左にある石像ですが阿像に見えます。そうだとするとここでも阿吽の像が通常とは逆の配置になるようです。確かではありません。
中々良い形の狛犬見えます。今にも飛び掛かるように感じました。2015.08.18
社までは右に曲がり左に曲がって到着します。舞台装置がなかなか素晴らしい石段でした。社でお参りをして県境の村に向かうことにします。
今回はそれほど多くの神社を巡ることは出来ませんでした。それでも、どこか懐かしい小さな社、特徴のある狛犬、そして昔から続く集落の暮らしに出合えてとても心に残る旅となりました。2015.08.18