小林和平の狛犬があるのが、参道入口の二つの鳥居の間です。一の鳥居の先にある案内図に若干加筆・修正して掲載しました。
和平の狛犬は、良く知られている参道のこの一対と川を渡った対岸にも一対ありました。多分、役場の反対側の川向うが御仮屋という場所かもしれませんが確認していません。神社の案内板には記載がありませんが(案内板画像に加筆して表示てあります)、短い橋を渡ると和平の狛犬がありました。
本殿まではさしたる距離はありません。参道の赤矢印を登り、下りました。狛犬は参道入口にあるだけでした。 |

|
|
 |
グーグルで見ると神社が2か所ありました。私は本殿をカーナビに入れて進んだのですが(地図の赤点部分)、県道の太い通りから右折して山道を登りだしました。どうもおかしいと、カーナビに町役場を入れ直して一旦役場の駐車場に車を止めて、辺りを見ると直ぐ左隣が参道の入口でした。
同行の村の知り合いが役場で書類をもらうと言うので、車を役場に置かせてもらって3人で和平の狛犬を見た後、神社の本殿へは家人と二人だけで出かけました。尚参道は一部砂利道もありますが概して綺麗な石段です。
Aの社務所の辺りには車が止められるようですがはっきりしません。本殿へは車でも登れるようですが、参道入口にある小林和平の狛犬を見る事は出来ません。下記の@Aの住所はどれもグーグル・マップでは神社の地点を表していますが、狛犬を無るならカーナビにはB石川町役場かA社務所の住所を入れると良いでしょう。 2015.09.08
@神社本殿:石川郡石川町下泉296(地図の赤いポイント)
A社務所:石川郡石川町下泉150(地図の川沿いにある石都々古和気神社)
B石川町役場:石川郡石川町下泉153−2
|
石都都古和気神社・小林和平狛犬阿像
|
やっと石都都古和気神社の和平の狛犬との対面です。確かに尻が大きく上に上がって、前足でその力を貯めている躍動感を感じます。後脚の繊細な彫りも素晴らしいと思います。評判通りの狛犬の周りを何度も回りながら鑑賞しました。 2015.09.08
|
|
阿像を後ろ、社側から見ています。尻尾が前に戻ってきている様子、後ろ足のけり上げた姿など動きのある石像です。そして全体にシャープな肢体が表現されているように見えます。 |
|
石都都古和気神社・小林和平狛犬吽像 |
吽像も逆立ちをしそうな程後脚が上にあります。雲の彫も綺麗に残っています。子供達と一緒に此方を見つめられて一瞬目のやり場に困りました。
周りには人家が迫っています。それも良いと思いました。人々の普通の暮らしの中にある和平の狛犬は幸せだと思ったのです。製作者にとって見てくれる人の絶えない事ほど嬉しい事は無いのではないかと思いました。 |
 |
 |
吽像の後ろ姿です。阿像の比べると少し大人しい印象を受けます。それでも空を飛ぶ情景が良く表現されていると思いました。年号は見つける事が出来ませんでしたが、和平の名前は見つける事が出来ました。
|
|
|
|
川向うを見ると白い壁の家をバックに狛犬が見えました。道路を横断して短い橋を渡ります。川の両岸は桜の並木のようです。桜の季節に訪れてみたいものだと思いました。 2015.09.08 |
小林和平・狛犬阿蔵 |
阿像を見上げています。台座がかなり大きく狛犬も大きめです。見上げるようになります。素人の私でも、活き活きとしたつぶらな目の形を見て和平の狛犬だと分かりました。 |
小林和平・狛犬吽像 |
和平の子供の狛犬の姿はどれも愛らしく童話の世界を見ているようです。 |
|
余りにも遅いので家人が役場まで様子を見に行きました。何か手間取っている様子でしたがやがて連れ立って戻ってきました。
石川町の観光パンフレットをお願いして居たら、4ページの狛犬の小冊子と桜マップを持って帰ってきてくれました。中々良く出来た内容です。暗くなる前に煙草神社、宝海寺と村社八幡神社に向かう事にします。 |
|
石川町煙草神社・小松寅吉(布孝)馬の像・明治28年作 |
 |
|
煙草神社(近津神社)の住所:石川町南町105。
石都都古和気神社から僅か、町の繁華街にありました。表通りから同行の地元の人が神社を見つけてくれました。福島銀行の路地の先に鳥居が見えます。銀行は既に閉まっていましたので止めさせてもらいました。左は境内から福島銀行の有る繁華街の通りを見ています。狛犬が見えますが新しいタイプの狛犬ようです。
同行の方が福島銀行の通帳を持っていたので記帳することにしました。私も狛犬を回るときは郵便局の通帳を持って出かけます。ただ止めるのだけとか場所を尋ねるだけでは何となく気がひけるので記帳したり切手を買ったりしているのです。この神社は正式には近津神社と呼ばれているようです。 2015.09.08
|
|
寅吉の馬の石像 |
神社の石段を登って境内の左、屋根を被った馬が見えます
雨のせいもあり辺りは少し薄暗い感じです。屋根の下なので更にはっきり見る事が出来ません。
家人ともども明治37年作の坂本観音の牝馬を思い出しました。ロケーションとしては坂本観音の馬ががまるで馬場にいるようで良いと思いました。この馬は少しスマートかもしれません。 2015.09.08 |
尻尾のが下に下がっているのが大人しい印象を与えるのかもしれません。10年後に製作された坂本観音の馬は尻尾を振り上げて全体に力強い姿に見えます。 2015.09.08。
|
 |
 |
 |
小松寅吉の銘と年号が彫り込まれていました。明治二十七八と日清戦争の文字が見られます。私の推測では明治27年に始まった日清戦争が28年に終結していることから28年の作ではないかと思っています。間違っているかもしれませんが。 2015.09.08 |
|
|
|
|
 |
|
村社八幡神社の住所:石川郡石川町沢井舘94。新工法から見て宝海寺が右、八幡神社が左と隣接しています。家の立ち並ぶ集落の中で寺の入口を探すのが一苦労でした。県道11号線から車で入るのは可能ですが、かなり狭い入口です。狭い入口を入る事が出きれば30m程で宝海寺、寺の境内に駐車場があり寸志を入れる箱が置かれていました。
写真は一旦諦めて帰ろうと寺の出口の和平の石灯籠風門柱に向かっています。宝海寺境内から見て、右側の門柱の更に右に神社に登る道がありました。此処からでは神社の鳥居が見えません。車は宝海寺(石川郡石川町沢井館96)を目印にした方が良いでしょう。八幡神社へは寺から歩いて訪れる事になります。 2015.09.08
|
|
入口の目印として集落の中ほどの11号線道路脇に左の写真の赤い涎掛けのお地蔵さんが見えます。白河方面からの場合は左、石川町方面からは右、そのほぼ対面に宝海寺の入り口があります。 2015.09.08 |
お地蔵様のほぼ対面の白い壁の家とトタン壁の家の間の細い道を入っていきます。お寺までは緩やかな登り道です。多分、入口の両端の道路に赤いパイロンの道路標識が置かれていると思います。 |
|
宝海寺 |
 もうすぐ日暮れが迫っているので大急ぎで見る事にします。
宝海寺の入口の石灯籠風門柱に”献納・小林和平”の名前が刻まれていました。
高さ2m程の簡素ながら良いデザインの門柱です。確か和平はこの墓地に眠っていると思うのですが大騒ぎで探すことも憚りがあるのでそっと墓地を一周してみました。
それらしいものが見当たりません。八幡神社の印も見当たりませんでした。諦めて帰ろうと思いながら境内にある石像類の写真だけ後日の為に撮りました。 2015.09.08 |
宝海寺境内の石像 |
 |
 |
|
諦めて寺の入口に向かうと水子地蔵が立っていました。その後ろを見ると斜面を登る細い道が見えます。一応境内を出て小松和平の灯篭の左の道を登ってみました。20mも登ると左に石段が現れ、鳥居も見えてきました。 2015.09.08
|
村社八幡神社 |
枯れ枝が道にたくさん落ちています。余り人が訪れていないようです。期待がたかまります。 2015.09.08
|
|
石段を上ると左手に草生した境内と社が見えてきました。狛犬とお目当ての兎の石像が森の木陰の中に見えました。雨は降り止みません。 |
狛犬阿像・慶應元年・1865年 |
顔が少し大きめな狛犬です。彫り込まれた年号が正しければかなり古い時代の石工の作と思われます。
彫り込みは慶應元年と”願主 石工 宮(官?)田庄七”ではないかと推測されますが確かではありません。多分、”宮田庄七”ではないかとも思いますが、確認は出来ませんでした。全て、知識の浅い私の目からの推測なので間違っている可能性が高いと思います。 2015.09.08
|
社側から阿像を見ています。全体の姿は違和感がありません。総じて近辺の石工の人達の技量がかなり高いものであったように思いました。 2015.09.08 |
狛犬吽像・慶應元年・1865年 |
子供の狛犬と一緒の吽像はどこか表情が柔らかい印象です。阿像と同じく少し顔が大きい目のように感じました。 2015.09.08 |
多くの狛犬の子供と同じく、この像の子供の表情は悪くありません。石工の人も子供の狛犬を彫るときは童心を取り戻すのかもしれないと思いました。 2015.09.08 |
120とか130とか、単位は分かりませんが、氏子の人々はかなりの負担をしているのだと思いました。
撮影の記録を残していなかったのでこれは狛犬の彫り込みの写真だとは思うのですが、違っている場合もあります。 |
|
社に向かって右の兎石像 |
 |
 |
確か和平の作品が幾つかあるわけだと、兎の像の先の森の中を更に進んでみましたが、作業の道が細々と続いているだけでした。後で調べると社殿の裏にそれらはあったようです。夕方が近く焦ってしまい、持参の説明文を見る余裕がありませんでした。社から遠い順に言うと兎の石像、狛犬、鳥居と並んでいます。社に向かって右・左と表示します。 2015.09.08 |
|
兎の像一対・右の像・天保14年・1843年 |
小松布孝の師匠である小松利平の作と推定されている兎の石像一対です。これは社に向かって右にあります。動物の俊敏な筋肉を包み込んだ柔らかな体が正確に表現されているように感じました。
どこか遠い未来を見つめているような茫洋とした目も印象的です。まるで雲にでも乗った来世からの使いにも感じました(全くの個人的な印象ですが)。
石像に彫られた文字は天保十四年(癸卯)1843年、願主 角田定右までは読めるのですが、それから下は正確には分かりません。多分ここまでくると一般的には定右衛門だと思うのですが、正確には分かりません。天保14年が”癸卯”の年なので年代はあっていると思います。 2015.09.08 |
右の兎の石像を社側から見ています。一面に青苔が密生して一層生き物らしさが増しているようです。 2015.09.08 |
兎の像一対・左の像・天保14年・1843年 |
社に向かって左に位置する兎の石像です。こちらは少し白い苔が付いているようです。 2015.09.08 |
右の石像を社側から見ています。こちらの石像の方が日当たりが良いせいか、かなりの白い苔が付いています。少し薄暗い森の中にあるのですが、作品に動きが感じられるようです。
鎮守の森に夕暮れが迫ってきました。いつまでも見ていたいのですが帰路に就くことにします。 2015.09.08 |
|
|