狛犬を訪ねて№24・①白河市の狛犬を訪ねて・日枝神社 ②へ
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那須連山の紅葉を見る為と、仕事が忙しくなる前に、万が一に備えて冬の用意もしておこうと思い県境の高原の村にやって来ました。夜の村はセーターが手放せないほどの冷気に満ちていました。15日の那須連山から戻り夕方まで畑の手入れと草刈りに精を出しました。16日は最大の楽しみである二つの産物直売場、り菜庵と細倉直売場、を回り果物と野菜の買い出しです。県境の村までの帰路白河市の狛犬を巡りました。
前回でもう良い狛犬は見つけられないのではと覚悟を決めたのですが、グーグル・マップで3つの狛犬を探す事が出来ました。他にも可能性のある神社が見つかったのでもしかすると楽しみがあるかもしれないと思っています。二つの狛犬は白河市内の中心部、そして一つは野田平業と推測される狛犬でした。私には切りなく表れてくれる素晴らしい神社と狛犬に感激しそれぞれの神社を護持して来た氏子の人達に感謝しています。2018.10.16
◉白河市狛犬一覧とマップはこちらです。
◉白河市の石工 ◉白河市狛犬データ・ベー・ス年代別一覧表
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2018.10.16・狛犬を訪ねて№24・①白河市の狛犬を訪ねての神社参拝順路 |
◉その1記載分 ①借宿廃寺跡⇒②日枝神社⇒ ◉その2記載分①矢場八幡神社⇒②愛宕神社
2018.10.16
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南西方向にある白河の関方向を写しました。 |
小さな石の鳥居が祀られていました |
寅吉の作った狛犬・定信歌碑の柵・石灯籠が奉納されている羽黒神社のある借宿(如何にもそれらしい地名です)辺りは白河の関から続く古い時代から都との関連があった土地であった事は聞いていました。グーグル・マップの神社探しで借宿廃寺の遺跡が有るのを見つけて、借宿の細倉農産物直売所を訪れた帰路訪ねてみました。
7世紀末と推測されている7,387㎡の遺跡は多くが人家となり長い歴史の中に埋もれてしまっていました。説明板の”講堂跡”と表記された
一部に木立の広場があり石の鳥居が奉られているのがただ一つの目に見える建造物でした。車は”講堂跡”の道路脇の小広い場所に止めました。2018.10.16
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借宿廃寺跡遺跡住所:白河市借宿株木-28。駐車に付いて:遺跡は住宅地の縁にあり、その先には農作地が広がっています。遺跡の横に駐車可能ですが、十分な配慮が必要かと思います。特に田植えと刈入れの頃は避けるべきかもしれません。
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説明板の7世紀末との推測は、個人的に大変興味を惹かれるヤマトとの関連の施設と言う事なのでは思われます。私に残された人世の時間から、興味深い土地を全て訪れる余裕は残されていないようです。そうであれば、選ばなくてはなりません。
国家としての日本の始まりである大和と、現在の日本を生み出した江戸時代からの中心である東京の二つの町に大きな興味をもっています。江戸・東京は問題がないのですが、憧れの奈良は如何にも遠い場所で何時訪れる事が出来るか分かりません。
それ故、奈良の都との関連の遺跡に、白河の地(白河の関もそうですが)で巡り合えることが出来るのは私の大きな喜びの一つです。
家人は草むらの蛇が怖いと車を降りる事はありませんでしたが、私は古の時代の風景を想像しながら広場の隅々まで見て歩きました。2018.10.16
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日枝神社住所:白河市本沼山王山1。駐車に付いて:神社への道の両側には農作地が広がっています。神社の前に駐車可出来ますが、道路に農機具が出入りする田植えと刈入れの時は出来る限り遠慮した方が良いかもしれません。
グーグル・マップの石段を頼りに探した神社は、想像以上に素晴らしい神域を護っている美しい社を備えていました。2018.10.16
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大きな鳥居の前に狛犬が奉納されていました。活き活きと躍動する様子が表現されているように見えます。
私が想像していた以上の見応えを感じます。
小高い岡を登る石段の上の拝殿と鎮守の森とが醸し出す清冽な神域が私を柔らかく包み込んでくれるように感じます。勿論、どこでもそうですがこの素晴らしい神社に詣でているのは私達だけです。私にはどんな由緒よりこのような清冽と静寂こそが嬉しく感じられます。2018.10.16 |
石段を真っすぐ登った先にある拝殿でお参りをさせて貰いました。何時も感じますが、上に登る行為は大げさな物言いですが異世界への神社の参拝の過程に最も合っているように感じます。
柏手を打って深々と頭を垂れました。2018.10.16 |
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白河市本沼・日枝神社阿像・大正5年(1916年) 久田野・石工・大高三二 |
通常の大きさの狛犬はしっかりと作られた台座の上に置かれています。
右に置かれた狛犬で大きな口を開けた阿像のようです。彩色が施された状態の良好な狛犬、氏子の人々に大切にされている様子が分かります。小さな玉を足下に納めた所謂玉取りという意匠ですが、篭彫りではありません。
2018.10.16白河の石工一覧をご参照ください。 |
右に置かれた阿像から吽像を写しています。簡素な彫りは古い時代の狛犬にしばしば見られる意匠です。大正5年(1916年)の奉納と彫られているので既に100年を超えて神社を護持している事になります。
2018.10.16
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左に置かれた吽像、小さな牙が覗いています。足下に子供が彫られた所謂子取りの意匠です。
やはり簡素な彫りですが、全体のバランスに違和感は感じられません。柔らかな印象を与えてくれます。2018.10.16 |
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拝殿の小広い境内の左に続く坂道の入り口に鳥居が見えます。坂を登ると左手に氏子の人々が暮らす集落が望まれます。
多くの田圃は既に稲刈りが終わっています。台風が記録的に多かった今年の異常気象の中、無事実りの秋を迎える事が出来て安堵しているのではないかと,穏やかな風景を見てそう思いました。神社の守護が大きく働いたのかもしれません。2018.10.16 |
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坂の行き止まりは小さな公園です。遊び場に不自由しないのか此処まで遊びに来る子供達は居ないようで草原が広がっていました。2018.10.16 |
坂の上には石の社が奉納されていました。 |
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黄色の野草が沢山坂道の斜面を覆っています。 |
キノコも見られますが食べらるかどうかは不明です。アザミも咲いています。 |
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拝殿前の境内に戻る為に坂道を下ります。鳥居が見えてきました。坂道の右は見晴らしが開けています。2018.10.16 |
拝殿から石段を下りて車を止めた場所まで戻る事にします。鳥居の横に狛犬が小さく見えます。2018.10.16 |
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