白河市白井・愛宕神社狛犬阿像・昭和7年(1915年)野田平業(推定)*禁・無断転載 |
||||||||||
|
||||||||||
2018.10.16・狛犬を訪ねて№24・白河市の狛犬を訪ねての神社参拝順路 |
||||||||||
|
||||||||||
矢場八幡神社という珍しい名前の神社の石柱の後ろに狛犬が見えます。 拝殿の前で頭を垂れて参拝をさせて貰いました。近くに白河高校があるらしく下校する高校生達が神社の前を通り過ぎて行きました。 |
||||||||||
白河市北登町・矢場八幡神社狛犬阿像・昭和15年(1940年) |
||||||||||
右に置かれた阿像は大きな口を開けて空に向かって吠えているように見えます。各地で見られる所謂紀元2600年を記念する狛犬、招魂社式と呼ばれる意匠と思われます。当時の世相を反映しているのか、この辺りでは余り目にしない勇ましい姿の狛犬です。 大きさは通常のサイズ、しっかりした台座の上の奉納されています。 2018.10.16 |
||||||||||
市街地の社なので周りは人家で囲まれています。街の人々の庭先にあるように親しまれているように見えます。個人的には、暮らしの中にある神社の雰囲気が好きなのです。2018.10.16 |
||||||||||
左に置かれた吽像と思れる狛犬もやはり勇ましい姿をしています。若干経年の為に摩耗が見られるようです。第二次世界大戦直前の時代の歴史を残した狛犬に見えます。 台座を探したのですが石工の名前を見つける事は出来ませんでした。2018.10.16
|
||||||||||
|
||||||||||
|
||||||||||
|
||||||||||
白河市白井・愛宕神社狛犬阿像・昭和7年(1915年)野田平業(推定) |
||||||||||
右に置かれた狛犬で口を大きく開けた阿像と思われます。阿像の意匠は私の知る限り野田平業の作品に感じましたが台座にはその名前を見つける事が出来ませんでした。野田平業の狛犬と言うのは個人的な推定でまちがっている場合もあります。 未だ、平業の大正時代の作りの面影が残った若干扁平な顔になっています。 白河の石工一覧をご参照ください。 2018.10.16 |
||||||||||
右の阿像から吽像を写しています。やっと探し当てた二つの狛犬、阿吽が揃うとなにかその間に動的な空間が生まれるように感じます。2018.10.16 | ||||||||||
左の吽像、この狛犬は鼻は平業の特徴に似ていますが全体の印象が若干特異に見えます。扁平な顔から若干縦長の顔に平業の狛犬は昭和に入り意匠が変わりますがその過渡期の石像なのかとも思います。
2018.10.16 |
||||||||||
台座に彫られた文字にも野田平業の特徴らしきものが見られます。他の白河の石工の狛犬では余り見られない”建之”の文字を平業は幾つかの狛犬に認めています。又、狛犬の全体の意匠や文字の彫(”口”の右側の彫りや”和”のはらいの形等)などにも野田平業の他の狛犬との類似性を感じます。以上は素人の拙い知識からの推測なので違っている場合もある事をお許しください。2018.10.16 | ||||||||||
|
||||||||||
|
||||||||||
|
||||||||||
Copyright (C) Oct. 10,2007 Oozora.All Right Reserved. |
||||||||||
|