矢吹町・五龍神社狛犬・昭和15年 (1940年)石工・関根沼石・ 推定*禁・無断転載 |
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2019.01.02・狛犬を訪ねて№25・①白河市の狛犬を訪ねての神社参拝順路 |
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境内に三峰神社が祀られていました。境内から参道の石段の手前の狛犬が見えます。2019.01.02 |
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三峰神社狛犬 |
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次の矢吹神社に向かうためにカーナビに従って進みます。どうも来た道を4号線まで戻るようです。進行方向の空に沢山の雲が浮かんでいました。2019.01.02 | |||||||||||||||
矢吹町・矢吹神社 1回目 |
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二つ目の狛犬・野田平業(推定)・昭和15年(2013年) |
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今回の目的の一つは、この狛犬の石工名の確認でしたが結局見付ける事は出来ませんでした。所謂、各地で多量に見られる皇紀2600年記念の狛犬である事と奉納年の昭和15年が彫られているだけでした。 ただ、前回と異なりこの狛犬が白河の彫刻師・野田平業である事はほぼ間違いないと推定できます。平業の狛犬の美しい籠彫りの玉が綺麗に残っています。その左に石工・儀助の阿像が顔を覗かせています。2019.01.02 |
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この皇紀2600年の狛犬は平業も数多く彫っているので充実した時代とも言えます。この平業の狛犬は彫の精密さ等からかなり出来栄えが素晴らしい狛犬に見えます(当然そこには氏子の方々の尽力があった事が推測されます)。平業の吽像の横から儀助の江戸の狛犬が顔を覗かせています、矢吹神社の鳥居を潜ると参道が右に曲がりますが、3つの狛犬が集まったパラダイスのようです。2019.01.02 | |||||||||||||||
一番目の狛犬・真船卯右エ門・狛犬阿像・大正10年(1921年) |
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鳥居を潜って最初に目に入る迫力十分な真船卯右エ門の狛犬、前回の折にも台座に年号と名前を見つける事が出来ました(データ量を減らすために年号、名前は前回の画像を使用しています)。現在の白河市大信の石工・真船卯右エ門は矢吹町の八幡神社の狛犬も彫っています。2019.01.02 |
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全体の彫がかなり精緻で、籠彫りの玉もかなり良い状態で残っています。真船卯右エ門の狛犬の中でも個人的にはシャープな見応えのある彫の石像だと感じています。2019.01.02 |
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境内の駐車場には入れ替わりで初詣の人が訪れています。余り邪魔になるのも迷惑なので参拝を済ませて次の神社に向かう事にしました。2019.01.02 | |||||||||||||||
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矢吹町・五龍神社狛犬・昭和15年 (1940年)石工・関根沼石・ 推定 |
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右に置かれた阿像、台座も大きく狛犬のサイズも大きめです。下目使いに掬い上げる様に威嚇する目付きには力が感じられます。 今でもそうですが、県境の村の夜の闇はまさに漆黒の空間が広がります。林の中には魑魅魍魎の存在を信じさせる恐ろし気な気配、輝く星の光はつき刺すようです。当時は更に社の闇は深かったと思います。 素人の勝手な思い込みですが、薄明りの闇の街とは異なり、厳しい暗闇が支配する社を鎮護する狛犬にはこれだけの面構えが必要なのではと思いました。関根沼石(推定です)の与えた厳しい顔つきを石工の思いやりであり、一つの個性と感じながら鑑賞させて貰っています。2019.01.02 |
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左に置かれた吽像、悪心を抱く者にはいささか厳しく感じる目付きです。引きずってきた俗世界の迷いを一旦胸に納めて、穏やかな気持ちに切り替えさせてくれる迫力を感じました。石工の手を離れた狛犬は結界の先にある神域の一員です、私にはただの石像ではないように思えるのです。 2019.01。.02 |
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