白河市関辺・稲荷神社・狛犬・昭和14年(1939年)・石工 三国次郎 *禁・無断転載 |
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多分温泉八幡神社は”ゆぜんはちまん”と読むのではないかと思うのですが確かではありません。村社八幡神社の石柱が立っていたのでそれなりの社格の神社のようです。 鳥居は一部人家の敷地と入り込んでいるように見えます。2018.05.28 |
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小山に続く参道も人家の敷地と畑に挟まれてかなり狭くなっています。二の鳥居が現れます、この辺りからは通常の石段の広さになりました。2018.05.28
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見晴らしの良い境内には村社の社格らしいかなり大きな社殿がありました。静かな拝殿でお参りをさせて貰いました。2018.05.28 | ||||||||||||||
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温泉八幡神社狛犬・昭和9年(1934年)・石工 三国岩次郎 |
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通常の大きさの狛犬が奉納されていました。”伊勢参宮記念・板橋共栄会”の銘が彫られた約90年程前の狛犬です。 中々表情が豊かです。これを彫った石工の三国岩次郎は白河周辺でしばしば目にする人です。右に置かれた狛犬は口を開けている事から阿像と推測されます。 白河市の石工参照2018.05.28 |
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参道の左右は個人宅の敷地と畑なので後方から狛犬を撮りました。鳥居の前が道路です。2018.05.28 |
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左に置かれた狛犬で口を閉じた吽像と思われます。 右足の意匠から、足下に玉が収められていたのかもしれません。震災や経年で破損しように見えます。三国岩次郎独特の目付きと表情が見て取れます。余り車を長く止めておくこともできないので駐車したごみ置き場のスペースまで戻る事にします。2018.05.28
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一輪車を押している農作業の地元の人に出会って訪ねてみました。駐車場の手前の左手に稲荷神社の石段があるとの事、狛犬が見られるかを訪ねると、有ると教えてくれました。その後驚く事に狛犬は右の熊野神社にもあると言うのです、狐に摘ままれたような話です。 期待しながら再度駐車場まで戻る事にします。この時も右の熊野神社の狛犬と左の稲荷神社の石段の前を通ったのですが、全く気が付きませんでした(昔から探し物が不得意なのですが)。駐車場に車を止めてから歩いて集落に向かって戻ってくると確かに狛犬がありました。2018.05.28 |
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白河市・熊野神社狛犬・昭和3年(1928年)石工・関根沼石(国三)・御大典記念 |
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右に置かれた阿像、サイズは通常の大きさです。社はなくなっても奉納された狛犬だけがポツンと残っている異様な風景です。 個人的な感覚では奉納された狛犬は社あっての存在なのでしょうが、どこかご神体の役目を担っているように見えます。偉い狛犬です。神社の近く、白河市搦目の石工・関根国三(沼石)の作品です。 2018.05.28 |
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一面のおびただしい白いヒメジオンの花の中に狛犬は立っています。私はどこかに社があるのかと後ろの山の斜面を登ってみましたがそれらしいものは見当たりません。 そうするとこの小広い台地にかっては社が在ったのでしょう。2018.05.28 |
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経年により石像はかなり摩耗しています。左の狛犬は子供が一緒に彫られた吽像のようです。2018.05.28 | ||||||||||||||
社のあったと思われる場所はヒメジオンの花が密生しています。社の有無を知らぬげに狛犬は野草の花であふれたかっての社のあった台地の入り口を守っているようです。2018.05.28 | ||||||||||||||
台座の文字もかなり剥離などが進んで一部読み取りにくくなっています。”御大典記念”と” 昭和3年”の文字は読むことが出来ます。昭和天皇即位のご大典が昭和3年・1928年で合っているようです。 残念ながら”石工”の文字は全ては判読できるのですが、左側の名前は”沼石”らしい文字以外は読む事が出来ませんでした。狛犬の猛々しい意匠と”沼石”から白河市・搦目(カラメ)の関根沼石(国三)と推定できます。白河市の石工参照 向かい合う稲荷神社の石段を登る事にします。2018.05.28 |
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関山・万願寺に向かう砂利道の右に熊野神社、左のこの稲荷神社が向かいあって鎮座しています。写真の右が関山駐車場になります。この石段が3度も車でその前を往復して見つかりませんでした。 深い緑の森と細い砂利道に気を奪われていたのと、何度か来た関山に神社があるとは想像もしていなかったからです。2018.05.28 |
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濃い緑で覆われた稲荷神社の参道の入り口に狛犬が奉納されています。社は石段をかなり登った場所にあります、個人的には緑の参道を登るという行為を伴った神社への参拝を大変好ましく思っています。”登る”と言う行動には大袈裟ですが疑似的な異界への訪れを思わせるものがあります、神域の道具立てには最も適しているように思うのです。2018.05.28 |
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白河市関辺・稲荷神社・狛犬・昭和14年(1939年)・石工 三国次郎 |
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初めて目にするかなり風貌が異相に見える狛犬です。個々の彫はかなり腕の良い石工の人に見えますが目はあたかもゴーグルを掛けたかのように見えます。 開いた口の様相も生き物臭さを感じさせます。右に置かれた阿像と思われます。足下にはやはり迫力のある子供が彫られています。2018.05.28
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山の斜面の石段が狭く足場が悪い為に吽像から阿像を写しました。これからもわかりますがかなり繊細な彫が施されているのが分かります。2018.05.28 |
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左に置かれた吽像と思われます。籠彫りの変わった形状の玉が彫られています。はっきりしませんがこの形の玉を見たような記憶もあるのですが確かではありません。*同年2月19日、戸田市・八幡宮狛犬 天保6年(1835年・乙未)石工・宇之助(蕨・大門)の狛犬の玉の意匠が似ていたことを思い出しました。 彫はかなりの腕の冴えが見て取れますが、阿像に比べると顔の意匠が若干アンバランスな印象を受けます。2018.05.28 |
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一の鳥居の辺りから狛犬を見下ろしています。写真の砂利道の右に熊野神社があり更に進むと関辺の集落になります。 左に進むと駐車場があり関山万願寺になります。2018.05.28 |
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狛犬が遥か下方に見えます、大袈裟ですが雲の上に登った気分です。冷気に満ちた緑の参道を下ります。2018.05.28 | ||||||||||||||
一の鳥居まで戻ってきました。これだけ緑と冷気に満ちた神域の中を上り下りすると尋常ではない場所を訪れた気分になります。 やはり街では味わう事が出来ない素晴らしい狛犬巡りです。 これから表郷の神社を訪ねるためにこの関山の反対側・南側の白河の関近くに道を取ります。2018.05.28 |
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美松製菓 福島工場 |
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