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  白河の彫刻師・野田平業の狛犬   

 

白河市表郷・熊野神社狛犬・昭和9年(1934年)野田平業(推定)36歳作品禁・無断転載

凡そ一か月ぶりに県境の村にやってきました。その間、グーグル・マップなどで幾つかの神社を探して目星をつけて置きました。駐車の場所や狭いの道路の状態と調べる事はきりばありません。

白河市の彫刻師・野田平業の狛犬を探して出かける事にしました。平業の故郷は城下町の白河市横町、その東にやはり城下町の棚倉があります。さすが白河周辺では中々私にとっての新しい狛犬に巡り合う機会は少なくなってきました、今回は久し振りにおっとりした佇まいの城下町にある棚倉の社を訪ねて見る事にします。勿論、今回の旅で目にした九つの平業の狛犬は私にとっては未知と言う事で、当然その存在を知っている人がかなり居ると推定できます。

棚倉町の狛犬一覧とマップ

白河市の狛犬・彫刻師・野田平業について2018.06.25

2018.06.25・狛犬を訪ねて№22・棚倉町の狛犬平業の狛犬を訪ねての神社参拝順路

熊野神社⇒②羽黒神社⇒③八幡神社⇒④秋葉神社⇒⑤白山神社⇒⑥近津神社⇒⑦住吉神社⇒⑧御霊神社⇒⑨三島神社⇒⑩⇒天王神社神社&根渡神社

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白河市狛犬一覧とマップはこちらです。  ◉棚倉町・東白川郡の狛犬マップと一覧表

野田平業の狛犬スライドはこちらです。

東白川郡・棚倉町スライド ボタンでスピード、BGM等が任意に変更・設定できます。


白河市・棚倉町狛犬一覧とマップはこちらです。

白河市表郷・熊野神社

熊野神社住所:白河市表郷深渡戸森前88。277号線から僅か右に入った集落の中に野田平業の狛犬が入り口に置かれた神社はありました。2018.06.25

カーナビに従って集落の中をゆっくりと神社を探しながら進みます。途中出会った方に聞くとすぐ先が神社と教えてくれました。

集落の中を通る道路は狭く車を止める場所が見つかりません。30m程先の空き地と道路の境に止めさせてもらいましたが注意が必要かと思います。2018.06.25

細い集落の中の道路の脇に鳥居と平業の狛犬狛犬が見えました。2018.06.25

集落の中の小山の開けた場所に神社はありました。震災で鳥居や狛犬に格別の被害は出なかったようです。2018.06.25
拝殿でお参りをさせてもらいます。 本殿と思われる奥の社の入り口に扁額らしきものが見栄ます。
白河市表郷・熊野神社狛犬・昭和9年(1934年)野田平業(推定)36歳作品

右に置かれた吽像と思われる狛犬。一般的な阿吽像の位置が逆に置かれているようです。

彫が繊細な素晴らしい狛犬に出会えました。平業の特徴である籠彫りの玉と同じく流れるような毛の線の彫りの出来栄えが良いように見えます。ゆったりとした風貌と全体の作りからは、平業の脂の乗り切った35歳の自信さえ感じられるやや大型の作品です。

勿論この素晴らしい狛犬の制作には、奉納した氏子の人々の志が極めて大きく寄与した事は言を俟つまでもありません。2018.06.25

右の吽像から阿像を写しています。動きが感じられる後からの姿もやはり出来の良い狛犬と見惚れています。

未だ見ていないこれ程の狛犬が白河市内に残っていた幸運を感じています。2018.06.25

左に置かれた阿像と思れる狛犬、目には彩色の形跡が見られるようです(オリジナルではないかもしれませんが)。

開いた口から見える繊細な歯の彫り、足の爪の部分の作り、鼻の形状、顔付等平業の特徴が見て取れます。2018.06.25

 

神社の入り口に置かれている狛犬を見て直ぐに平業の作品であることが知れました。そこで台座を詳細に調べて見ましたが昭和8年の年号、平業とは異なる石工の人の名前が刻まれています。”石川郡浅川町 石工 鈴木富五郎”の名前がハッキリと見えますがどこにも野田平業の名前を見つける事が出来ませんでした。

このような例は前にも見た事があります(平業だけではなく他の石工でも)。浅川町の鈴木友五郎と言う人が元受けとなりこの狛犬の注文を受け、彫刻部分は平業に依頼したと考えられます。この推定はほぼ間違っていないと思っています。台座の制作や据え付けはこの鈴木富五郎という浅川の石工の人が行ったと思われます。

町村合併前はここは表郷村として独立していた村で距離的にも東に位置する浅川町に極めて近いという関係があります。そのような事から、昭和初期の交通手段等から考えると、石材の産地であった浅川町の石工の人との関連があったと推測されます。以上の事から推定してこの狛犬の作者は野田平業と書いています。白河市の狛犬・彫刻師・野田平業について

今日の狛犬巡りのスタートは幸先の良い兆候のように、問題なく目的の社に到着して良い狛犬に巡り合る事が出来ました。近くの羽黒神社に向かう事にします。探すのに手間取るかもしれないとはおもっています。2018.06.25

棚倉町・羽黒神社

羽黒神社住所:棚倉町大字堤字羽黒東60番。県道277号線を走ってきて44号線の信号の一つ手前の信号を右に曲がりました。曲がって僅かで道が左に曲がる地点で分かれてゆく人家の中の道に進むと神社の鳥居が見えました。あっけなくもしかするとたどり着けないかもしれないと言う不安が払拭されました。

車は神社の石段の下の狭いスペースに何とか止める事が出来ました。

入り口に置かれた野田平業の狛犬、結界を超えて神域に足を踏み入れると杉木立の覆う静寂な空間が社までの緩やかな坂道を覆っています。私の望みを全て叶えてくれる素晴らしい神社です。白河市の狛犬・彫刻師・野田平業について2018.06.25

二の鳥居から石段を登ります。2018.06.25

杉木立の鎮守の森の間から社が見えてきました。最後の石段を登ります、その先だけに明かりがさしています。2018.06.25
棚倉町・羽黒神社狛犬・昭和3年(1928年)・野田豊吉(平業)30歳作品

右に置かれた吽像と思われる狛犬。一般的な阿吽像の位置が逆に置かれているようです。

先程見た白河市表郷の熊野神社の狛犬と類似した作りの良い狛犬です(僅かに小さいかもしれません)。気力・体力・技量の充実振りが推測できる出来です。勿論氏子の人々の寄進が大きな力を与えた事でしょう。2018.06.25

光線とスペースの関係で左の阿像から右の吽像を写しています。尻尾の作りなどもかなり複雑で手の込んだ彫に見えます。

左に置かれた吽像、通常と阿吽像が逆の位置に置かれています。目には彩色が施されているように見えます。大きく口を開けた歯の彫もリアルで動きを感じさせてくれます。

子供が二頭彫られています。

2018.06.25

セメントで塗りつぶされているので確かではありませんが”村社”の社格の神社のようです。セメントは多分戦後のGHQの命令の名残りなのかもしれません。

⇐昭和3年の文字と御大典記念の文字が見られます。

⇒一部が判読不能ですが、”白河町(以下判読不能) 野田豊(?)吉”の文字が見えます。野田豊吉は野田平業の本名です。一応野田豊吉作として記載しました。

拝殿の後ろには素晴らしい木彫で飾られた神殿があります。鎮守の森の緑の中にぽっかりと空いた静かな神域に居るのは私達だけです。2018.06.25

拝殿で鈴を鳴らして参拝をさせて貰いました。

末社の小さな社。

鎮守の森には古墳が眠っているようです。

案内板の矢印に従って鎮守の森の中の足跡をたどってみました。緑に覆われた社が木々の間から望まれます。斜面の外れまで歩いてみましたがそれらしい場所が見当たりません。諦めて車に戻る事にしました。2018.06.25

 

杉木立の続く薄暗い神域から陽の光の差す現実の世界の戻るような気分です。少し大げさになりますがまさに結界を超えるような疑似体験が出来る事が、小山に祀られた社を参拝した後の大きな満足感の元になっているかもしれません。

2018.06.25

今回の狛犬を訪ねる行程は二つ目の社まで順調に辿り着きました。今回は家人が同行した事もあり、出発前にグーグル・マップ調べた入り口の道などの情報を口頭で受けながらの運転だったのでかなり簡単にたどり着けたようです。その②に続く。2018.06.25

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2018年9月20日
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