白河市表郷・熊野神社狛犬・昭和9年(1934年)野田平業(推定)36歳作品*禁・無断転載 |
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2018.06.25・狛犬を訪ねて№22・棚倉町の狛犬平業の狛犬を訪ねての神社参拝順路 |
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白河市表郷・熊野神社狛犬・昭和9年(1934年)野田平業(推定)36歳作品 |
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右に置かれた吽像と思われる狛犬。一般的な阿吽像の位置が逆に置かれているようです。 彫が繊細な素晴らしい狛犬に出会えました。平業の特徴である籠彫りの玉と同じく流れるような毛の線の彫りの出来栄えが良いように見えます。ゆったりとした風貌と全体の作りからは、平業の脂の乗り切った35歳の自信さえ感じられるやや大型の作品です。 勿論この素晴らしい狛犬の制作には、奉納した氏子の人々の志が極めて大きく寄与した事は言を俟つまでもありません。2018.06.25 |
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右の吽像から阿像を写しています。動きが感じられる後からの姿もやはり出来の良い狛犬と見惚れています。 未だ見ていないこれ程の狛犬が白河市内に残っていた幸運を感じています。2018.06.25 |
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左に置かれた阿像と思れる狛犬、目には彩色の形跡が見られるようです(オリジナルではないかもしれませんが)。 開いた口から見える繊細な歯の彫り、足の爪の部分の作り、鼻の形状、顔付等平業の特徴が見て取れます。2018.06.25
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神社の入り口に置かれている狛犬を見て直ぐに平業の作品であることが知れました。そこで台座を詳細に調べて見ましたが昭和8年の年号、平業とは異なる石工の人の名前が刻まれています。”石川郡浅川町 石工 鈴木富五郎”の名前がハッキリと見えますがどこにも野田平業の名前を見つける事が出来ませんでした。 このような例は前にも見た事があります(平業だけではなく他の石工でも)。浅川町の鈴木友五郎と言う人が元受けとなりこの狛犬の注文を受け、彫刻部分は平業に依頼したと考えられます。この推定はほぼ間違っていないと思っています。台座の制作や据え付けはこの鈴木富五郎という浅川の石工の人が行ったと思われます。 町村合併前はここは表郷村として独立していた村で距離的にも東に位置する浅川町に極めて近いという関係があります。そのような事から、昭和初期の交通手段等から考えると、石材の産地であった浅川町の石工の人との関連があったと推測されます。以上の事から推定してこの狛犬の作者は野田平業と書いています。白河市の狛犬・彫刻師・野田平業について |
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棚倉町・羽黒神社狛犬・昭和3年(1928年)・野田豊吉(平業)30歳作品 |
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右に置かれた吽像と思われる狛犬。一般的な阿吽像の位置が逆に置かれているようです。 先程見た白河市表郷の熊野神社の狛犬と類似した作りの良い狛犬です(僅かに小さいかもしれません)。気力・体力・技量の充実振りが推測できる出来です。勿論氏子の人々の寄進が大きな力を与えた事でしょう。2018.06.25 |
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光線とスペースの関係で左の阿像から右の吽像を写しています。尻尾の作りなどもかなり複雑で手の込んだ彫に見えます。 | ||||||||||||||
左に置かれた吽像、通常と阿吽像が逆の位置に置かれています。目には彩色が施されているように見えます。大きく口を開けた歯の彫もリアルで動きを感じさせてくれます。 子供が二頭彫られています。 2018.06.25 |
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