狛犬を訪ねてNo.17の@・白河市の狛犬 Aへ |
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白河市金山町・虚空蔵堂の出来の良い狛犬・(1936年)・石工 三国次郎 |
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12月3日の夜街を立って久し振りに県境の村にやって来ました、冬に備えて水抜きと熱線の電源を入れなくてはならないのです。刺すような冷気の中、山の端に満月が昇っていました。月の光が冬枯れの野を明るく照らしています、町での輝きとは異質です。
真っ赤なウメモドキの実の間から月の輝きが見えます、余りも美しい姿にシャッターを押してみました。2017.12.03 |
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昨晩懐中電灯で確認していた大根の出来ですが、翌朝確認するとやはり余り太くはなっていませんでした。大根本体もさることながら葉っぱも食べるので大喜びです。地元の本職の方には何時も笑われている出来栄えですが、私達には大根が形になる事だけでも大満足です。 |
昨晩の内に、鳥に食べられて8個程しか残っていなかった甘柿は懐中電灯を頼りに採って食べてみました。少し熟しすぎているようですが甘く美味しい味でした。渋柿も既に少ししか残っていませんでしたが全て採って街で干し柿にする事にしました。
今回の訪問の目的の一つがこれらの収穫でしたので一安心です。JA白河の”り菜庵”の開店に合わせて出かける事にします。思惑通りB級品のリンゴが沢山出ていました。嬉しくて買い物かご2つに入れて買い込みました。
野菜の買い物の後、久し振りに城下町白河市街の狛犬巡りをすることにしました。2017.12.04
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羽黒神社 |
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金勝寺旅館の裏山のような場所に岩を参道にした社がありました。金勝寺という寺院があった跡地のようでその印の石があります。残念ながら狛犬は見当たりませんが静かな社でお参りをして気分が爽快です。 |
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この後白河市内の神社を回りながら、知合いの家で待っている家人を迎えに行くことにして、次の成田山圓養寺に向かいました。
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成田山圓養寺住所:福島県白河市天神町43。表情の大変穏やかな狛犬が奉納されていましたが、左の狛犬は木に覆われて全体を見る事はかないませんでした。
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皇徳寺住所:福島県白河市大工町83。白河市役所に車を止めて歩いてきましたが、5分程の距離でした。 |
白河市街地にある皇徳寺の墓地に新選組隊士・菊地央(たのむ)の墓と、小原庄助の墓と伝承されている徳利型の墓があるという事で訪れて見ました。
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笠原神社 |
皇徳寺へ向かって進んでいくと敷地内なのか独立した神域なのか判然としませんが小さな笠原神社の扁額が掛かった神社がありました。
浅学な為にはっきりしませんが、稲荷神社の形態のように見えます。鳥居の前にかなり大型の狐と推測される石像が置かれています。特異な意匠と顔付が面白い石像です。
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小さな社は新しく改築されたようです。近隣の人々の信仰を集めている様子が見えます。狭い参道で向かい合う狐の石像は何処か長閑な雰囲気を醸し出している様子です。
小峰城の南側、谷田川が流れるこの辺りには古い城下町らしく多くの寺院が点在しています。
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菊地央と小原庄助の墓 |
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皇徳寺でお参りを済ませてから、案内板に従って二つの墓地に向かいます。それは広い墓地の右端に隣り合ってありました。 |
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白河市街地には戊辰戦争の激戦地の証明である慰霊碑が多く見られます。奥羽列藩同盟に属したにも拘わらず、多くが東軍・西軍を分け隔てなく慰霊したり埋葬を行った様子を見るにつけこの町の印象を好ましくさせてくれています。
個人的にも、徳川幕府に対する子供の頃の好き嫌いの立場が大人になってから逆転しています。浅草の今戸神社を訪れた折にはかなりの若い女性が沖田総司の終焉地の一つと伝えられている為か参拝している姿を目にしました。彼等の行動は別にしてその心情に共感を覚える人たちが確かに居るようです。
菊地央がどのような若者であったか知りませんが手を合わせて冥福を祈りました。 |
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新選組隊士・菊地央の墓の隣に石垣で囲まれた説明の大きな墓がありました。 |
これが小原庄助の墓の伝承が残る墓のようです。お酒が供えられていました。 |
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虚空蔵堂住所:白河市金屋町56。大変分かりやすい場所にあります。 |
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家人を白河市内の知り合いの家に迎えに行く途中に狛犬が目に入りました。かなり頻繁に通っていたのにこのような寺院がある事に今まで全く気が付きませんでした。そしてその狛犬がかなり出来が良く見惚れてしまいました。2017.12.04
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虚空蔵堂の狛犬・昭和11年(1936年)・石工 三国次郎 |
ほぼ同じ時代に活躍した三国岩次郎(三柱神社や妙見神社の狛犬)と言う石工がいますが、名前がよく似ています。
狛犬の出来はかなり良いように見えます。当時の白河市には野田平業に以外にもかなりの腕の石工の人が未だ居たのかと思いました。
こちらは口を開けた阿像のようです。目の表情が良いと思いました。細部の彫りも見応えがあります。2017.12.04 |
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左に置かれた吽像と思われます。玉は震災で落ちたのかもしれません、新しいものに修正されていました。
阿像に比べると少し優しそうな印象です。
この神域は多分寺院の一部でその中に神社が有るのか、それとも狛犬だけが残っているのか不思議な空間です。
お参りだけをさせてもらいました。 |
中上さんと言う方が奉納したようです。左端に石工・三国次郎と昭和11年の年号が綺麗に残っていました。この石工は白河市関辺の稲荷神社の昭和14年(1939年)の狛犬を彫っています。 |
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境内から通りを見ています。左に30m程行くと旧陸羽街道に出ます。家の建て込んだ町中の神域です。2017.12.04 |
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説明板によれば、この場所は明治元年に廃寺となった法雲寺の跡に残った虚空蔵堂と言うお堂のよういです。
そこに貴重な笈が残されていると書かれているようです。 |
虚空蔵堂から左に向かって旧陸羽街道に出てみました。角に美しい蔵の奈良屋呉服店と言う呉服屋さんがあります。格別観光用ではなく昔からこの佇まいの店でした。
このような蔵が多く見られます。蔵が多い町などと格別売り出してはいません、それだけに普段の暮らしがしのばれる風情のある風景です。2017.12.04 |
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10/09/2018 |
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