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2019.06.24・狛犬を訪ねて№28・白河市から須賀川市の狛犬を訪ねて・神社参拝順路 |
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参考資料 |
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社の最後の石段までやって来ました。真っすぐ伸びる石段の始まりの鳥居が見えます。登る事はそれ程の事もありませんが、これを作った石工の人の苦労はさぞかし大変だったことだろうと何時も思うのです。2019.06.24 |
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社でお参りをさせて貰いました、正面から社を撮るスペースが無いので横から写しました。拝殿の後方には更に本殿が見えます。2019.06.24 | |||||||||
神社の右横には氏子の人達のそれぞれの願いが込められた多くの石の小さな社が奉納されています。大きな石の社は摂社と思われますが名前は分かりませんでした。2019.06.24 | |||||||||
須賀川市・羽黒神社狛犬・石工 和田代吉・昭和7年 |
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右に置かれた恐ろしい気な面構えの阿像です。サイズはほぼ通常の大きさです。 須賀川市や鏡石町の狛犬で目にする阿像の牙が特徴の和田代吉の石像独特の風貌です。各部の彫りに緩みがなく全体の狛犬の造形もバランスよく作られていると楽しく見させてもらいました。 牙を剥いて凝視する姿は今にも動き出しそうな躍動感を感じます。2019.06.24
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牙を剥きだしている右の阿像から左の吽像を写しています。阿吽像の呼吸がぴたりと合っているように見えます。2019.06.24 |
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和田代吉の狛犬の特徴である巻き物らしきものを咥えた吽像、所謂子取りと言われる意匠です。吽像は幾分柔らかな表情ですが、牙を剥きだす阿像と向き合うと一対の石像として丁度バランスが取れているように見えます。。2019.06.24
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昭和7年の奉納された狛犬のようです。石工の名前は和田代吉・佐藤子之吉・関根軍吉と語呂合わせのように3人の”吉”の付く名前が並んでいます。 素人の推測としては今まで見た和田代吉の狛犬の特徴が強く出ている事から狛犬の作者は和田代吉ではないかと推測しています。他の二人は石組や組付け等を行った石工ではないかと推定しています。白河市の石工をご参照ください。2019.06.24 |
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拝殿の上から狛犬の置かれた境内を写しました。新緑の緑に覆われた山の斜面にぽっかりと広がった陽の差し込む台地は神様の鎮座する場所の適地に見えます。念じる者には神々の存在を肌で感じられる美しい場所です。2019.06.25 | |||||||||
車に戻る事にします。途中に見えた宝篋印塔(ほうきょういんとう・供養塔などの仏塔の一種)に立ち寄るつもりです。2019.06.25 |
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右に置かれた阿像、若干大型で激しい表情と躍動する姿が特徴の関根国三(沼石)と一見して分かる狛犬です。 今回は少し見上げる感じで写したせいか威圧する激しい顔の表情が更に増して見えます。昼でも薄暗い感じのする神域を護るにはこれ程の力が必要かもしれません。所謂玉取りですがあっさりとした丸いだけの玉です。2019.06.25 |
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右の阿像から左の吽像を写してみました。やはり動き出しそうな躍動する姿が際立っているように見えます。 例の通りに台座の周りを回って確認の為に石工名(一見してすぐ関根国三と分かったので)や奉納された年月の文字を探して見ました。何故か奉納された年月日が見つかりませんでした、推測では昭和初期のものではないかと思っています。2019.06.25 |
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左の置かれた吽像、沼石の狛犬は子取りの吽像でもかなり圧迫する力を感じます。今回は少し下から写したからかもしれません。 やはり石工もそれを意識して彫っていると思われるので普通の目線で撮ろうと自戒しているところです。 2019.06.25 |
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日吉神社の参道の脇に説明板があります。帰りに寄ろうと思っていたので斜面に付いた階段を登ってみました。 宝篋印塔(ほうきょういんとう)供養塔などの仏塔の一種で私はお寺で見たような気がしています。2019.06.25 |
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思わず息を飲むほどの風景が眼前に広がっていました。見晴らしの素晴らしい台地の上にその仏塔はありました。天文四年(1535年)に奉納された美しい仏塔は想像より大きくそして美しい姿でした。2019.06.25 |
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雲が美しい造形を繰り広げている下には氏子の人々の暮らす集落が広がっています。緑の田の先には阿武隈川が流れその先には山脈までが見渡せます。 この景色を見るだけでも訪れた甲斐があったと思いました。台地には太い一本桜が植えられています。2019.06.25 |
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仏塔の後ろには一本桜、春の花の季節はさぞかし仏様の居場所に相応しい風景が見られるのでは思いました。2019.06.25 |
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日吉神社の説明板に書かれていた日吉神社創建にかかわった”橋本治左衛門”の縁者の人が建てたのでは思われる新しい石碑には興味深い話が書かれていました。 この近くの白河市借宿には、余りこの時代とは関係がありませんが更に太古の7世紀末頃の奈良時代の借宿廃寺跡の遺跡が有るほどの土地ですから、戊辰戦争の数多の悲劇は言うまでも無く興味深い事柄が豊富な場所ではあると思います。奈良の都から多くの人々が超えた白河の関、芭蕉も超えたその関跡は直ぐ近くにあります。2019.06.25 |
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名知らずのお堂 一回目 |
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約一か月前の5月28日に日吉神社を探して近辺を歩いたのですが見つける事が出来ませんでした。探している過程で隣接するお堂らしき敷地の中で狛犬 が奉納されている建物を見つけました。ただ、寺号やお堂の名前が分からないので村への帰路立ち寄ってみましたがやはり手掛かりはありませんでした。近辺に多くの仏塔らしき石像が見られる事やお堂の中には仏様と思われる像が祀られていたのでお堂であろうと推定しました。 |
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