夏休みの狛犬巡り その3・鳴子温泉神社 1 2 4 5 6 7
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鳴子温泉神社の狛犬・年代不詳・仙台市 佐藤夛(多)利太謹刻 *(禁)無断転載 |
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2019年夏季休暇の狛犬巡りと奥の細道を辿る旅 |
2019年、今年は少し長い夏季休暇をとり県境の村の手入れをしなければと早くから仕事の段取りを整えました。8月17日から27日まで休暇を取り、いつもは慌ただしくて行き届かなかった家の手入れに身をいれました。ゆっくりと草刈りやペンキ塗りなどの雑事をこなしながら、滞在中に鳥海山に登ろうと思い鳴子温泉に2泊しましたが、あいにくの天候悪化でそれも叶いませんでした。
岩波文庫の”奥の細道(曽良の旅日記が含まれた)”を手に塩竃⇒松島⇒尾花沢と芭蕉と共に旅をした思い出が大きく残りました。多くは芭蕉の見た風景とは大きく変わっているでしょうが、心の目で見る私の感慨はそれ程違和感を感じません。大きな思い出の残る旅となりました。私が陸奥に惹かれるのにはこの芭蕉と曽良の文章で知らしめてくれる文物に出会えることにありそうです。*岩波文庫・奥の細道を参照しています。
奥の細道を訪ねる旅の途次、幾つかの神社に立ち寄り中々訪れる事の出来ない遠隔地の珍しい狛犬に接する機会が持てました。県境の村近くの栃木県・福島県南部・東京都・埼玉県の狛犬しか目にする機会がなかったので、私には多くが見慣れない造形が多くその多様性に改めて目を開かさられました。
たまたま、南東北2泊3日の間、高速乗り放題で¥7,500と言うサービスを見つけて利用しましたがほぼ元を取っておつりがくるほど高速を利用する事が出来たお陰で旅の思い出が更に膨らむ事になりました。それにしても今回は途中で記録を消したしまいましたが街からの走行距離は1,500kmを超えたのではないかと思っています。2019.04.22
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奥の細道と狛犬巡りを合わせて夏の旅を行いました。上記別稿の旅の細道を合わせてご参照ください。
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奥の細道と今回の旅の地図 *2019年訪問地 は狛犬編 |
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@は狛犬巡りと一緒に回った”旅の細道”掲載分 松島から尾花沢@塩竃 ・AはA松島 B尿前の関 C山刀伐峠 掲載分。尚 は旅の細道と一緒に訪ねた狛犬編。
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狛犬を見る前にまず参拝をすべく拝殿に進みます。見上げると素晴らしい彫りの木鼻狛犬が左右に見えます。中心部にはこれも見事な龍が彫られています。しばし見惚れてしまいました。2019.04.22 |
右の木鼻狛犬、口を閉じ気味の吽像ではないかと思われます。そうだとすると阿吽像の位置が一般的な並びと逆になっているように感じました。
かなり大き目の見事な彫りの木鼻狛犬に対面しました。何故か知りませんが、県境の村でも凝った彫りの木鼻狛犬(石像の狛犬は有るのですが)を目にする事は極めて稀です。2019.04.22 |
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左の阿像と思われる木鼻狛犬、素晴らしい彫りの様子が推測できると思います。龍の木彫部分も極めて繊細で、かつ動きを感じさせる見事な出来具合いです。2019.04.22 |
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鳴子温泉神社の狛犬・年代不詳・仙台市 佐藤夛(多)利太謹刻 |
素晴らしい彫りの木鼻狛犬の下で参拝を済ませてから狛犬を鑑賞させて貰います。右に置かれた阿像と思われる狛犬、見慣れた意匠と若干異なる珍しい石像です。
顔の部分がかなり目立っている作りです。仙台の石工の人の名前が彫られていました。年代は見当たりませんでしたが、昭和の作品ではないかと思いました。
2019.04.22 |
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阿像から吽像を写していますが全体のシルエットがやはり見慣れた狛犬とは少し異なっているように感じました。2019.04.22
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左に置かれた吽像と思われる狛犬も顔の部分がかなり目立つように感じます。狛犬の大きさは一般的のサイズより若干大き目かもしれません。2019.04.22 |
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荒雄川神社住所:宮城県大崎市鳴子温泉鬼首久瀬3。宿泊している鳴子温泉から鳴子ダムを経て上流の荒雄川にイワナ釣りにやってきました。それ程の時間が無い事もあり釣りはさっぱりです。その途中の荒雄川神社に立ち寄ってみました。2019.04.22 |
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8月24日鳴子温泉を発って、奥の細道の芭蕉の足跡を訪ねながら(尿前の関・封人の家・C山刀伐峠)東北中央道を経て山形市に出ます。その後山形道⇒東北道⇒常磐道を辿り宮城県亘理町の亘理神社を訪ねました。
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宮城県亘理町亘理神社 |
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亘理神社住所:宮城県亘理郡亘理町字旧舘32。
このサイトの読者の方から白河の石工・彫刻師・野田平業の狛犬があると教えてもらった 事がありずっと気になっていました。今回是非訪ねてみようと山形道から常磐道に入りやってきました。2019.04.24
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石段を登り鳥居を潜ると拝殿の脇に狛犬が見えてきました。この神社は亘理要害(臥牛城)の跡地に創建されたようです。2019.04.24 |
神社は若干小高い岡の上に鎮座しています。要害としては適した場所のように見えます。2019.04.24 |
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台座には石工名や年代の彫がありませんがほlぼ間違いなく白河市の彫刻師・野田平業の狛犬と推定出来そうです。右に置かれた阿像です。
私の知る限り野田平業の狛犬としては、現時点で北限に置かれた石像のようです。年代は大正ではなく昭和15年頃の狛犬に見えます。
又、この狛犬は私が初めて目にする極めて小型の意匠です。一般的な平業の狛犬の半分ほどの大きさの作品です。写真で見た時はこれ程のサイズとは思いもしませんでした。
所謂、玉取りで足下に玉を収めていますが野田平業の狛犬の特徴である籠彫りではありません。
2019.04.24 |
阿像から吽像を写しています。野田平業の狛犬らしく小形の石像ながら躍動感を感じさせる石像です。2019.04.24 |
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左に置かれた吽像は口を結んでいます、そして歯も綺麗に彫られています。子取りの意匠です。
小さいサイズながらきっちりと普通のサイズと同じ丁寧な造りが見て取れます。さすが平業だと、彼の暮らした白河の町からから遠く離れたこの地での狛犬との遭遇に感動してしまいました。2019.04.24 |
拝殿の前から野田平業の狛犬を画面に収めて入り口の鳥居を写しています。この参道の右側には亘理要害(臥牛城)に関する石碑などが見られます。
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城下町亘理に領主・伊達成美の石碑の説明版です。関ケ原戦いに関して、上杉軍と戦ったと書かれている事から、私の愛読する藤沢周平の”蜜謀”の当事者だと思われます。
会津の太守上杉景勝の軍勢と戦ったことになるようです、そして景勝が陣を敷いた長沼城は偶然にも”牛臥城”とも呼ばれていました。
野田平業の狛犬との遭遇と言い、臥牛城跡地と言い、まさに楽しい偶然との遭遇でした。2019.04.24 |
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11/19/2020
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