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馬の背と雄島の石碑 2019.09.22 *(禁)無断転載 |
曽良旅日記
九日 快晴。辰ノ尅、塩竈明神ヲ拝。帰テ出船。千賀ノ浦・籬島・都島等所々見テ、午ノ尅松島ニ着船。(中略)ソレヨリ雄島(所ニハ御島ト書)所々ヲ見ル(とみ山モ見ユル)。
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2019年、今年は少し長い夏季休暇をとり県境の村の手入れをしなければと早くから仕事の段取りを整えました。8月17日から27日まで休暇を取り、いつもは慌ただしくて行き届かなかった家の手入れに身をいれました。ゆっくりと草刈りやペンキ塗りなどの雑事をこなしながら、滞在中に鳥海山に登ろうと思い鳴子温泉に2泊しましたが、あいにくの天候悪化でそれは叶いませんでした。
途中の物見遊山の旅では、岩波文庫の”奥の細道(曽良の旅日記が含まれた)”を手に塩竈⇒松島⇒尾花沢と芭蕉と共に旅をした思い出は大きく残りました。多くは芭蕉の見た風景とは大きく変わっているでしょうが、心の目で見る私の感慨はそれ程違和感を感じません。大きな思い出の残る旅となりました。私が陸奥に惹かれるのにはこの芭蕉と曽良の文章で知らしめてくれる文物に出会えることにありそうです。*岩波文庫”奥の細道”と講談社”おくの細道”を参照しています。
たまたま、南東北2泊3日の間、高速乗り放題で¥7,500と言うサービスを見つけて利用しましたがほぼ元を取っておつりがくるほど高速を利用する事が出来たお陰で旅の思い出が更に膨らむ事になりました。それにしても今回は途中で記録を消したしまいましたが街からの走行距離は1,500kmを超えたのではないかと思っています。2019.09.22
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旧暦 |
新暦 |
行程 |
5月8日 |
6月24日 |
@塩釜神社を参拝する |
5月9日 |
6月25日 |
A塩竃より海路松島に渡り・瑞巌寺・五大堂・雄島を訪れ松島海岸に宿泊。 |
5月13日 |
6月29日 |
一の関より平泉を訪れる、一の関泊。 |
5月14日 |
6月30日 |
宮城県大崎市岩出山に泊まる。47号線。 |
5月15日 |
7月1日 |
B鳴子を通り尿前の関を越え境田・封人の家に泊まる |
5月16日 |
7月2日 |
雨で封人の家に泊まる |
5月17日 |
7月3日 |
封人の家を出立、C山刀伐峠を越えて昼過ぎに尾花沢の鈴木清風宅に着き宿泊する。 |
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@は旅の細道 松島から尾花沢@塩竃 ・AはA松島 掲載分。 地図中の他の場所は順次掲載申し上げます。
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奥の細道塩釜明神
早朝塩がまの明神を詣づ。国主再興せられて、宮柱ふとし彩椽(さいてん・垂木)きらびやかに、石の階九仞に重なり、朝日あけの玉がきをかゝやかす。かゝる道の果、塵土の境まで、神霊あらたにましますこそ吾が国の風俗なれと、いと貴けれ。神前に古き宝燈有り。かねお戸びらの面に、文治三年「和泉三郎寄進」と有り。五百年来の俤、今目の前にうかびて、そゞろに珍し。渠は勇義忠孝の士也。佳命今に至りてしたはずといふ事なし。誠に「人能く道を勤め、義を守るべし。名もまた是にしたがふ」と伝へり。
日既に午にちかし、船をかりて松嶋にわたる。其の間二里餘、雄島の磯につく。
曽良旅日記
九日 快晴。辰ノ尅、塩竈明神ヲ拝。帰テ出船。千賀ノ浦・籬島・都島等所々見テ、午ノ尅松島ニ着船。(中略)ソレヨリ雄島(所ニハ御島ト書)所々ヲ見ル(とみ山モ見ユル)。
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芭蕉と曽良は元禄2年(1689年)旧暦5月8日( 陽暦6月24日) 塩釜神社を参拝します。その後海路松嶋に向かいます。 私も塩釜神社を訪ねた後、陸路で並行する島影の間に広がる海に船に乗る芭蕉の姿を思い浮かべながら松嶋に向かいました。2019.09.22
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塩竈魚市場前の”食事処・伸光”で昼食の後海沿いに走る国道45号線を松島に向かって車を走らせます。後から分かった事ですがすぐ近くの籬島(マガキガシマ・曽良旅日記に出てくる島、地図には印を付けてあります)を知らず訪ねなかった事を多変残念に思っています。
左写真の塩竈から船で松島に向かった芭蕉と曽良の姿を島陰に探しながらの楽しい旅です。2019.09.22 |
塩竈魚市場から45号線を2.6km程すすむと道路の右端に絶好の駐車場がありました。正面の大きな島陰は岩井島と思われます。右が芭蕉が船に乗った塩竈港方面、左方向が松島になります。2019.09.22 |
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宮城県宮城郡利府町赤沼櫃ケ沢。2〜3台の車を止めるスペースがありそうです、他では車を止めて景色を眺める事は難しいでしょう。現場の案内には”瑞鳳ケ丘”と書かれています。 |
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45号線に並行する仙谷線・陸前浜田駅の交差点から海沿いの狭い旧道に入りました。一車線ですがアスファルトの道が海沿いに続きます。車がすれ違う事は極めてまれな道路に見えます(再度45号線に出るまでに2台の車と行違いました)。
瑞鳳ケ丘は松島が一望できる場所として知られた名所と案内板に書かれていました。確かに塩竈から松島までが全て見渡せる場所です。
2〜3台ほどの車が止められるスペースがありました、観光バスでは無理な道なのでゆっくりと松島を一望できる場所です。2019.09.22
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瑞鳳ケ丘から約700m松嶋側に進むと右側にかなり広い駐車スペース、案内看板が立っています。
極めて特異な形をした岬の馬の背です。
灌木の中の道を海へと下ります。最初は石段がありその先も大変歩きやすい道で突端まで歩く事ができます。2019.09.22 |
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宮城県宮城郡利府町赤沼櫃ケ沢。30m程の長さがあるかもしれません。気分の良い散歩道が続きます。2019.09.22
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長さが30m程度と思われる長い馬の背の先端部にやって来ました。最後に10cm程の岩の裂け目があり割れ目の底に海面が見えました。2019.09.22 |
先端からの風景です。広大な空の下に大きく広がった海、点々と配置された島々、自然の作り出した見惚れるほど強いインパクトを与えてくれる風景に時が過ぎて行きます。2019.09.22 |
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何時までも見ていたのですが今日の宿がある鳴子温泉まではまだかなりの時間が掛かりそうです。残念ながら諦めて戻る事にします。2019.09.22 |
馬の背の左側に小さな岬が見えます。多分”子馬”と名付けられた岩の岬だと思われます。2019.09.22 |
緩やかな波が馬の背の岩の肌に打ち寄せています。自然の与えてくれる風景はどんな些細な仕草にも私に大きな感動と驚きを与えてくれます。2019.09.22 |
道路まで戻る緩やかな登り口まで戻ってきました。不思議な生物のように長く伸びた馬の背を振り返っています。
芭蕉と曽良も船からこの摩訶不思議な風景を目にしたのではと推測しています。2019.09.22
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雄島住所: 宮城県宮城郡松島町松島浪打浜24。
海側の細い道から45号線に出ると僅かで右に松嶋公園第5駐車場が見えてきます。ゲートをくぐって車を止めました。
駐車場の先には砂浜が広がっています。雄島には赤い渡月橋が掛かっています。此処までくると観光地らしくなり訪れる人が多くなってきました。浅学の為石柱の文字が読めませんでした。2019.09.22 |
奥の細道より:日既に午にちかし、船をかりて松嶋にわたる。其の間二里餘、雄島の磯につく。
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駐車場から雄島に向かいます。島に掛かる赤い渡月橋が見えます。芭蕉が訪れた頃とは大きく変わっているかもしれませんが、その足跡が残された同じ地面を歩けばもしかすると芭蕉の跡と重なるかもしれません。狭い島ではその可能性も大いに有ると思うといささか興奮してしまいます。2019.09.22 |
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渡月橋を渡って雄島に向かいます。神社らしい建物が望まれます。 |
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磨崖仏が彫り込まれている岩の後ろに鳥居が見えます。多くの島々は祈りの場所に最適な環境でしょう。
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”雄嶋真珠稲荷大明神”の扁額が見られました。あの大震災の津波にも耐えた神社に見えます。
2019.09.22
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雄島の先端まで歩く事にします。左は松島の中心部が見えます。野仏が奉納されています、何時も感じる事ですが石仏の辺りに人を癒してくれる柔らかい空気を醸し出しくれます。緊張が解けてきます。2019.09.22 |
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雄島の先端まで来るとお堂がありました。手を合わせてここまでの旅の無事を感謝しました。 |
左手に小さな島が見えます。グーグル・マップを見ると左がクジラ島で右が亀島と思われます、雄島の南側に東屋がある事が記載されていますがどうも見落としてしまったようです。
多くの句碑があるようですがそれらも見落としたようです。芭蕉の見た風景を心に刻む事が出来たので良しとしなくてはなりません。2019.09.22 |
美しい砂浜が見えます。車を止めた駐車場は砂浜の右手にあたります。2019.09.22
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渡月橋を渡り駐車場に戻る事にします。左が雄島です。多分狭い雄島の中のどこかで芭蕉が感動したと同じ景色を私も見ていると思われます。同じ感動を共有できたとしたら大きな喜びになります。
次の目的地、瑞巌寺五大堂に向かいました。近づくほどに観光客の姿が多くなってきます。奥の細道を辿る旅は難しそうに思えてきました。
これから鳴子温泉の旅館まで行くことを考えて途中の大崎市で農協に立ち寄る事にして松島を後にしました。思えば数年前に訪問した折もこの辺りをパスしたことを思い出しました。2019.09.22 |
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09/26/2019 |
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本日カウント数-
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昨日カウント数-
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