旅の細道 松島から尾花沢B尿前の関   @塩竈へ  A松嶋へ C山刀伐峠

尿前の関・芭蕉象と奥の細道・尿前の関 2019.09.24(禁)無断転載

 

曽良旅日記

15日小雨ス。(途中略)

壱里半尿前。シトマヘゝ、取付北ノ方、川向ニ鳴子ノ湯有。沢子ノ御湯成ト伝。仙台ノ説也。関所有。断六ケ敷也。出手形ノ用意可有之なり。壱リ半中山。
〇堺田(村山郡小田島庄小国之内)。出羽新庄領也。中山ヨリ入口五、六丁先ニ堺杭有。
〇十六日 堺田ニ逗滞留。大雨、宿(和泉庄や、新右衛門兄也)。

 

*参照ください・旅の奥の細道・目次・2019年8月24日〜24日 
@塩竈神社 A松嶋・雄島 B尿前の関・封人の家C山刀伐峠

2019年、今年は少し長い夏季休暇をとり県境の村の手入れをしなければと早くから仕事の段取りを整えました。8月17日から27日まで休暇を取り、いつもは慌ただしくて行き届かなかった家の手入れに身をいれました。ゆっくりと草刈りやペンキ塗りなどの雑事をこなしながら、滞在中に鳥海山に登ろうと思い鳴子温泉に2泊しましたが、あいにくの天候悪化でそれは叶いませんでした。

途中の物見遊山の旅では、岩波文庫の”奥の細道(曽良の旅日記が含まれた)”を手に塩竈⇒松島⇒尾花沢と芭蕉と共に旅をした思い出は大きく残りました。多くは芭蕉の見た風景とは大きく変わっているでしょうが、心の目で見る私の感慨はそれ程違和感を感じません。大きな思い出の残る旅となりました。私が陸奥に惹かれるのにはこの芭蕉と曽良の文章で知らしめてくれる文物に出会えることにありそうです。岩波文庫”奥の細道”と講談社”おくの細道”を参照しています。

たまたま、南東北2泊3日の間、高速乗り放題で¥7,500と言うサービスを見つけて利用しましたがほぼ元を取っておつりがくるほど高速を利用する事が出来たお陰で旅の思い出が更に膨らむ事になりました。それにしても今回は途中で記録を消したしまいましたが街からの走行距離は1,500kmを超えたのではないかと思っています。2019.09.24

奥のほそみち・元禄2年・1689年
旧暦
新暦
行程
5月8日 6月24日 @塩釜神社を参拝する
5月9日 6月25日 A塩竃より海路松島に渡り・瑞巌寺・五大堂・雄島を訪れ松島海岸に宿泊。
5月13日 6月29日 一の関より平泉を訪れる、一の関泊。
5月14日 6月30日 宮城県大崎市岩出山に泊まる。47号線。
5月15日 7月1日 B鳴子を通り尿前の関を越え境田・封人の家に泊まる
5月16日 7月2日 雨で封人の家に泊まる
5月17日 7月3日 封人の家を出立、C山刀伐峠を越えて昼過ぎに尾花沢の鈴木清風宅に着き宿泊する。
 
奥の細道と今回の旅の地図 *2019年訪問地
 

@は旅の細道 松島から尾花沢@塩竃 ・AはA松島 Bは尿前の関・封人の家 掲載分。 地図中の他の場所は順次掲載申し上げます。

奥の細道 二十五 尿前の関

二十五 尿前の関

南部道遙かにみやりて、岩手の里に泊る。小黒崎・みづの小嶋を過ぎて、なるごの湯より尿前の関にかゝりて、出羽の国に超えんとす。此の路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。大山のぼって日既に暮れけらば、封人の家をみかけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。

蚤虱馬の尿する枕もと

曽良旅日記

15日小雨ス。(途中略)

壱里半尿前。シトマヘゝ、取付北ノ方、川向ニ鳴子ノ湯有。沢子ノ御湯成ト伝。仙台ノ説也。関所有。断六ケ敷也。出手形ノ用意可有之なり。壱リ半中山。
〇堺田(村山郡小田島庄小国之内)。出羽新庄領也。中山ヨリ入口五、六丁先ニ堺杭有。
〇十六日 堺田ニ逗滞留。大雨、宿(和泉庄や、新右衛門兄也)。

 

芭蕉と曽良は元禄2年(1689年)旧暦5月15日( 陽暦7月1日)、小雨の中、江合川左岸から対岸の鳴子温泉を左に見ながら尿前の関に至ります。尿前の関を抜けて山形県境田の封人の家(堺田の庄屋・旧有路家宅と推測)に宿をとります 。16日は大雨となり更に一泊境田に泊まります。

蚤虱馬の尿する枕もと

2019.09.24

鳴子温泉

鳴子温泉に2泊してこの日は鳥海山に登るつもりでしたが雨模様との天気予報で断念、鳴子町の近辺を訪ねる事にしました。

鳴子温泉街にある温泉神社を訪ねるべく温泉街の狭い坂道を進みます。神社が分からず坂道をかなり登ると温泉街が眼下に広がっていました。

山には雲がかかっています、鳥海山に登る事は難しかったと納得できました。

芭蕉は新暦の6月30日、前日泊った岩出の里(宮城県大崎市)を出立、鳴子温泉を経て尿前の関に掛かります。2019.09.23

雲の中を大きな鳥が獲物を探すのか風に身を任せて滑空しています。心が晴れ晴れとする情景が目の前に広がっています。芭蕉も感じたであろうはるばる来たという感慨が湧いてきます。2019.09.23

鳴子ダム

鳴子ダム住所:宮城県大崎市鳴子温泉岩渕。江合川の支流・荒雄川に釣りに行くべく宿を出ました。

途中鳴子ダムの表識が見えたので立ち寄ってみました。釣りをする場所はこのダムのかなり上流になります。

高い堰堤のダムがありました。2019.09.23

ダムから上流部を見ています。かなり長いダムのようです。バック・ウオーターのある鬼首温泉の辺りまで行って見る事にします。駐車場には観光客の人が途切れず訪れていました。

2019.09.23

 
荒雄川

 

 

 

ダムを左側に見ながら車を走らせて行きました。かなり走ると鬼首温泉の集落がありました。

中流域特有の広い川ですが、降りる場所が見当たりません。鬼の首から上部が飾られた”とどろき橋”から川の近くに車が入れる道がありました。2019.09.23

とどろき橋から降りた川岸に車を止めました。草むらの先に見える堰堤から40分程川を下流に下りながら毛鉤を流してみましたが魚の姿を見る事は有りませんでした。川原を歩いて移動するのも難しいように見えたので今回は釣りを諦めて鬼首温泉の間欠泉を見に行くことにしました。

鬼首温泉の看板を見ただけでどのような場所か全く知りません。2019.09.23

 

県境の村のイワナ釣りの渓流でも馴染みのシシウドの白い花に鮮やかな色の蝶が止まっていました。ニガナではないかと推測する黄色の花もしばしば目にする花です。静かに咲く自然の中の野草は風情があって私は大好きです。

釣り道具を車に仕舞ってから鬼首温泉の間欠泉に向かいました。アスファルトの狭い道を登っていきます。地獄谷の標識の分かれ道を左に入ってみました。行き止まりには広い駐車場があります。2019.09.23

鬼首(おにこうべ)温泉・地獄谷
地獄谷遊歩道住所: 宮城県大崎市鳴子温泉鬼首吹上16。

観光地ずれしていない遊歩道らしいので車を止めて沢に向かって降りてみました。沢に掛かる木橋を渡ると遊歩道が上流に続いています。所々から熱湯と湯気が立ち上っている風景が見られます。2019.09.23

「秘境・吹上地獄谷と鬼首伝説」:説明看板より

この「吹上地獄谷」は、吹上沢の流れに沿って両岸10ヵ所に温泉が自噴し、人を寄せ付けないような雰囲気を漂わせた谷です。しかし、新緑や紅葉のころはすばらしい景観で訪れる人々を魅了します。 この地に語り伝えられるところによると、今から千二百年ほど前の平安時代初期、大竹丸(又は高丸)という蝦夷(東北の先住民族)が、陸奥を治めようとする大和の軍勢に抵抗したそうです。 この大竹丸の伝説は、鬼首のほかにも遠田郡湧谷など、宮城県内各地に伝えられています。まさに神出鬼没の大竹丸ですがついに破れて斬首され、その首が追分の地(現在は荒雄湖底)に飛んだと伝えられています。 鬼と呼ばれた大竹丸が戦場から逃げ延びて、この「地獄谷」にも入り込んだのかもしれません。 ぜひ、「吹上地獄谷」の美しい景観と共に、秘境の伝説をお楽しみください。

渓流沿いに熱湯の吹き出しが幾つか見られます。それぞれに名前が付けられていてこれは”雷の湯”と書かれていました。

渓流沿いの遊歩道は木陰もあって大変楽しい散歩道です。渓流に手を入れて見ると若干の温度差がありますがどこも快適な湯温です。大きな噴煙の上がる源泉は紫地獄の名前が着いていました。手前の熱湯でゆで卵を作っている人がいました。大変静かで自然らしさが残った楽しい遊歩道でした。2019.09.23

すぐ近くの間欠泉にやってきました。温泉旅館の中にあるようです。確か入場料は¥400だったと思います。個人的に、雄大な間欠泉は見飽きています。私は外で待つことにして妻だけが折角だからと見て来ました。これがその写真です。2019.09.23
 
尿前の関

鳥海山に登る計画が悪天候で流れたので帰路の計画に色々悩みました。

迷った結果、この機会を逃すとわざわざここまで来ないだろうと踏ん切りをつけて、2泊した鳴子温泉を発って芭蕉のたどった道を尋ねながら尾花沢に向かうことにしました。尾花沢からは山形道を経て常磐道を南下する事にしました。最初の目的地、45号線沿いの尿前の関の駐車場に車を停めます。尿前の関住所:大崎市鳴子温泉尿前-140。 2019.09.24

 

山形県に向かう47号線の右側に大きな駐車場があります。その手前からも直接尿前の関の遺跡の前に出られるようですが、地元の人の交通の邪魔になる恐れがあることや、ここから遺跡までの木立の道は芭蕉の旅を辿るには適しているように思いました。往路は木立の中の僅かな距離の下り道です。2019.09.24

奥の細道・25 尿前の関
尿前の関の案内板に加筆しました。41号線沿いに見える黒い線が芭蕉の通った旧道と推測されます。車の流れがスムースな道なので前もって分かっていないとあっという間に目的地を通り過ぎてしまいます。2019.09.24
尿前の関説明板

 

駐車場から降りてきた旧道の前の道に出ました。尿前の関の遺構が再現されています。 2019.09.24

 

かなりの石が見られる事がこの辺りが尿前の関のあった場所のように思われました。

出羽街道 中山道の道標が再現されています。

 
芭蕉句碑・明和5年(1768年)
 
尿前の関の道路を挟んだ反対側・説明板の奥に芭蕉の句碑があります。 句碑裏面と思われる石面の真ん中に”蚤虱馬の尿する枕もと”と思われる文字が見られます。 年号は”明和五x子六月十二日建”と思われる文字が見えます。もしそうだとすると明和5年は”戊子(つちのえね)”の年で西暦1768年ではないかと思うのですが、説明版とは違っています。私の理解が違っているかもしれませんが、一応1768年としました(芭蕉通過の80年後に建てたとの辻褄があいそうです)。説明文は1712年に見えますが(はっきりしませんが)、もしそうだとすると正徳二年(壬辰)になると思われます。2019.09.24

雪深いこの地で明和5年に建てられた姿を今も留めているのかは不明ですが、辺りの風景を壊すことなく静かにそこにある句碑は俳句楽しむ地元の人々の芭蕉への憧憬の心持が表れている良い姿だと思いました。2019.09.24

 

木陰の中に芭蕉の銅像や新しい句碑などが見られます。芭蕉だらけの空間です。2019.09.24

 

芭蕉が鳴子を通り尿前に関に付いたのは元禄2年(1689年)新暦7月1日の事です。尿前の関の説明版⇒。

曽良旅日記

15日小雨ス。(途中略)

壱里半尿前。シトマヘゝ、取付北ノ方、川向ニ鳴子ノ湯有。沢子ノ御湯成ト伝。仙台ノ説也。関所有。断六ケ敷也。出手形ノ用意可有之なり。壱リ半中山。

 

鳴子峡レスト・ハウス住所:宮城県大崎市鳴子温泉星沼13−5。尿前の関から次の目的地”封人の家”に向かいます。途中左手に鳴子狭レスト・ハウスの標識が見えたので立ち寄ってみました。

広い駐車場やトイレもありました。見える橋が尿前の関から封人の家に向かって走ってきた四十七号線に掛かる橋です。峡谷の下に陸羽東線のトンネルの口が見えました。紅葉の頃はさぞ美しい風景が広がっているだろうと思いました。 2019.09.24

 
 
封人の家

封人の家(旧堺田の庄屋・有路家宅と推測)住所:山形県最上郡最上町大字堺田59−3。宮城県から山形県に入ると突然大粒の雨がフロント・ガラスを叩きます。法人の家は道路脇なので分かったのですが、左側は土産物屋のようで車を止める場所がありません。この激しい雨に封人の家を諦めて一旦は次の山刀伐峠に向かうべく3km程先に進みましたが、次回訪れる事はないと思い引き返しました。土産物屋の駐車場と思った場所は封人の家見学用の駐車場でした。2019.09.24

曽良旅日記

15日小雨ス。(途中略)

壱里半尿前。シトマヘゝ、取付北ノ方、川向ニ鳴子ノ湯有。沢子ノ御湯成ト伝。仙台ノ説也。関所有。断六ケ敷也。出手形ノ用意可有之なり。壱リ半中山。


堺田(村山郡小田島庄小国之内)。出羽新庄領也。中山ヨリ入口五、六丁先ニ堺杭有。
〇十六日 堺田ニ逗滞留。大雨、宿(和泉庄や、新右衛門兄也)。

激しい雨に傘を差してもカメラのレンズに雨粒が付きます。外から家の佇まいを見て、この辺りに芭蕉の足跡がある事を頼りに曽良と二人の姿を思い浮かべて車に戻る事にしました。芭蕉も雨で降り込められてこの家に2泊する事になります。

駐車場の左にある農家の販売所でカボチャと茄子を買い込みました。2019.09.24

買物を済ませてから、山刀伐峠を目指して左、尾花沢方面に道をとります。

あの大雨は何だったかと思うほど晴れてきました。2019.09.24

 

 

2泊した鳴子温泉の町の中は狭い道ですがごみごみした感じがしません。静かに時を過ごせる温泉の町を堪能させてもらいました。ただ、県境の村からでも中々の距離があります、町からでは更にその道のりは遠くなり果たして再度訪れる事が叶うかどうか・・・2019.09.24

旅の細道
B尿前の関
   
09/26/2019
 
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