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狛犬を訪ねて37・2020年12月の狛犬巡り・茨城県の神社 |
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狛犬を訪ねて#37の別稿・村から海までをご参照ください。神社巡りの道筋の旅が掲載されています。 | ||||
狛犬を訪ねて37の1・福島県東白川郡矢祭町 八幡神社⇒若都々古別神社⇒東舘神社 狛犬を訪ねて37の2・茨城県北茨城市 大子町内大野・十二所神社 ⇒八坂神社⇒佐波波地祇神社 |
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丞殿神社(じょうどのじんじゃ)住所:北茨城市中郷町松井1430 。同じ北茨城市の佐波波地祇神社の3対の出来の良い狛犬との遭遇に思ったよりの時間がかかりました、そしてそれぞれの石像の姿の余韻が残ります。同じ市内の丞殿神社(じょうどのじんじゃ)は道の脇に坂道が見えて容易に辿り着く事が出来ました。 2020.12.07 |
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砂利の敷かれた坂道は車が入れそうですが今まで数回無理をして車を傷つけたので交通の邪魔にならない道端に車を停めて念のために歩いて登ってみました。嬉しい事に鳥居の前に十分なスペースがあります、安心して参拝が叶うようです。2020.12.07 |
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小山の上に鎮座する神社の境内は薄暗い神域の佇まいですが、日の差す明るい鳥居の辺りは心地良い静かな田園の風景が広がっています。2020.12.07 |
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杉の巨木に挟まれた参道の先に鎮座する拝殿の辺りだけ光りが差し込んでいます。意図したわけでは無いでしょうが、暗い参道から光りの差す拝殿に向かう舞台装置には何時も期待感が産み出す心地良さに反応してしまいます。明暗、神域と俗世界を行き来できる場所が静かに待っていてくれることも神社巡りの一つの大きな喜びです。 日の差す拝殿の前に手彫りの狛犬が静かに待っていてくれるようです。2020.12.07 |
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玉取りの意匠の左の吽像、玉には飾りなどは見られません。 | ||||
嬉しい事に台座には昭和18年(1943年)の年号と”石工 鮎澤金吾 刻”の文字が残されていました。2020.12.07 | ||||
次の大甕神社に向かう道を車で進んでいます。八溝山塊が晴天の空に長い山並みをうねらせていました。辺りは未だ紅葉が見られます。暫し道端に車を停めて何気ない風景を見渡しました。 | ||||
大甕神社(大甕倭文神社)住所:茨城県日立市大みか町6丁目16−1。目指す大甕神社(おおみか)は国道6号線に大きな鳥居が面していたので案ずることも無くスムースに辿り着く事が出来ました。
入り口には大きな新しい狛犬が奉納されています。6号線から入った広い駐車場に車を停めさせて貰ってから境内を進むと拝殿がありました。2020.12.08 |
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大きめの新しい狛犬はかなり猛々し風貌でこちらを睨んでいます。悪心を戴く者にはドキリとするような力の漲る石像でした。2020.12.08 | ||||
地元の方と思われる参拝の人がお参りをしていました。6号国道の反対側に鎮座するこの拝殿の前にも神社の駐車場がありました、地元の方はそこに車を停めて参拝をしています。 私達も2020.12.08 |
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拝殿から鳥居の外に出てみました、地元の方々はこちら側から参拝に訪れるのかもしれません。6号線側から車を入れると広い境内をかなり歩くく事になりそうです(始めての私達には珍しい風景を楽しむことが出来ますが)。2020.12.08 | ||||
周りを人家に囲まれた丘の上に神社は鎮座しています、風格を感じさせる社で鈴を鳴らしてお参りをさせて貰いました。2020.12.08 | ||||
拝殿の柱を飾る木彫も流れるような繊細な彫りの見事な作りです。右の木鼻狛犬も見応えのある細工で暫しの間見惚れいました。こちらは右の木鼻狛犬です。2020.12.07 | ||||
2020.12.08 | ||||
日立市・大甕神社狛犬・野田平業 (推定)昭和8年(1933年) |
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右に置かれた阿像の彫りと全体の風貌を見てこれは白河の石工・野田平業の作ではないかと直ぐに推測出来ました。毛の透かし彫り、玉取りの意匠の彫り(篭彫りではありませんが)、大正から昭和初期の平業の特徴である若干横長の顔の意匠等が私の推定を裏付けてくれていると思いました。 平業の狛犬の中でもかなり手の込んだ良質の石像に見えます。もしこれが野田平業の狛犬だとすると平業35歳の作品になりそうです。 2020.12.08 |
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台座には石工 野田平業の名前は見られませんでした、奉納された方の名前と昭和8年の年号が見られます。2020.12.08 | ||||
左の吽像は子取りの意匠で彫られています。吽像の歯の彫りや子取りの子供の表情などは私の知る平業の狛犬を偲ばせます。 もし平業の彫った狛犬だとして、台座に名前が見られないのは狛犬の元受けが地元の石工の人で(多分台座や据え付け等の作業を行ったと思われます)平業は狛犬だけを彫ったと思われます。 平業作の狛犬でであるという推測が間違っている場合もある事をご承知ください。2020.12.08 |
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境内を歩いて車を停めさせて貰った国道6号線沿いの駐車場に戻る途中大甕神社(おおみか)の御由来が目に入りました。2020.12.08 | ||||
御由来書かれた板版の建つ場所からは太平洋が望まれます。陸路もさることながら海路がある事はこの神社の歴史の古さが成程と納得できました。 2020.12.08 |
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大洗磯前神社住所:〒311-1301 茨城県東茨城郡大洗町磯浜町68902。大洗漁港を目指してやって来ました、既に午後3時30分、冬の夕暮れは直ぐやって来ます。2020.12.08 | ||||
最初に漁港でスーパーでは変えない大入りのしらす干しを買い込みました。今回の旅はこの後参拝する大洗磯前神社が最後の訪問地になりそうです。2020.12.08
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漁港での買い物の後カーナビの指示に従って神社までやって来ると坂道を登るように指示されます。坂道を登り切るとかなり広い駐車場がありました、これで安心して参拝が出来ます。一番奥に鎮座する拝殿から海へと降りる事になりそうです。2020.12.08 |
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拝殿の前に随身門を備えた大きな神社の前に狛犬が奉納されていました。2020.12.08 | ||||
狛犬が置かれた随身門の両脇には神馬が奉納されています。2020.12.08 | ||||
名称を何と呼ぶのかは分かりませんが、神社の軒下が綺麗な彩色された板で飾られています。2020.12.08 |
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随身門の前、右に置かれた阿像の狛犬は台座の文字等から珍しい備前焼の陶器の狛犬でしょう、光沢のある姿から同じ茨城県の大子町・十二所神社の陶器の狛犬を思い出しました。100年以上の長い年月、幾ら信仰の力があったとしても風雨に晒される屋外で陶器の狛犬がほぼ原型を留めている事は驚きです。2020.12.08 |
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明治3年の年号以外の文字は下記の通りと思います。浅学な私の推測では岡山県の森本屋杢助作の備前焼の狛犬と思われます。台座等の石組や据え付けは千葉県佐原市の石工 久次郎が行ったと理解できそうです。2020.12.08 備前国伴部宿 釜本 森本屋杢助 下総佐原 石工 久次郎 |
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左に置かれた吽像、足の部分にひび割れが見られます。陶器製の狛犬らしく光沢はほぼ失われていないようで、輝きを放ちながらすっくと頭を擡げた姿を見せてくれています。風雪のみならず陶器製の狛犬には極めて難儀な地震もあるのだと前回の震災を潜り抜けたこの狛犬に心の中で誉め言葉をつぶやきました。勿論氏子の方々の大きな手助けがあってこその美しい現状があるのでしょう。 私にとっては大変珍しい陶器製の狛犬に出会えた事は大きな思い出になりそうです。2020.12.08
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拝殿から長い石段を下り海岸の神磯の鳥居を参拝する事にします。降り立った石段を見上げています。石段の両脇に狛犬が奉納されています。 2020.12.08
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右に置かれた狛犬、激しい摩耗で原型が分かりません、海岸隣接する事が原因なのかもしれません。拝殿に置かれた狛犬が備前焼である事の理由にもなるかと素人の推理を楽しみました。大きさはやや小型のサイズです。2020.12.08 | ||||
左に置かれた吽像も右の狛犬を同じく激しい摩耗が見られて原型がわっきり確認できませんでした。鳥居の前の通りを渡り神磯(かみいそ)の鳥居を尋ねる為に海岸に向かう事にします。 2020.12.08 |
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既に午後4時、少し夕方の気配が感じられます。散歩道の小さな防波堤から海岸から突き出した岩礁の先に鳥居が望まれます。手をあわせて旅の最後の安全を願い、多くの思い出を戴いたお礼を申し述べました。 2020.12.08 |
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鳥居の先は太平洋です、日没の近い赤い色に水平線が染められているようです。思わず手を合わせてしまいたくなる佇まいの中に旅の最後に立てた事は楽しい思い出になりそうです。 今でも海で暮らす人々は自然のさじ加減一つで生死を分かつ事が身に染みているでしょう、大昔の人々は猶更だと思います、私にも僭越ながらこのような風景を崇める事が分かる様な気がしました。2020.12.08 |
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神社の鳥居を潜り拝殿で再度お参りをしてから駐車場に向かいました。2020.12.08 |
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01/15/2021 | ||||
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