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狛犬を訪ねて№39白河から那須の狛犬①白河市の狛犬 |
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狛犬を訪ねて39の①・須賀川市 鹿島神社⇒八幡神社⇒古峰神社 |
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蟇目鹿島神社(ヒキメ)住所: 須賀川市小倉一斗内245 。蟇目鹿島神社は太い道の交差点の角に一の鳥居が見えたので直ぐに分かりました。鳥居の先の道が太くなった路肩に車を止めさせて貰いました。帰りに分かった事ですが、神社前の交差点の脇に駐車スペースがありました。2021.03.01 |
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道路脇の一の鳥居の後ろに狛犬が奉納されていました。拝殿は山の斜面を登った場所に鎮座しています。 2021.03.01 |
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静かな参道を辿ります。木漏れ日が斑に影を作る心地よい神域です。拝殿でお参りをさせて貰ってから後方に回ってみました。2021.03.01 |
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菅舩(すがふね)神社狛犬・昭和9年(1934年)・白河市 野田平業(推定)36歳時制作 |
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参拝を済ませたのでゆったりした気持ちで入口の狛犬を見させて貰う事にします。一見して白河市の石工・野田平業の狛犬である事が推定できます。
大きさは通常よい微妙に小さいかもしれません。彫がかなり精緻な仕上がりを感じさせる良い狛犬です。 右に置かれた阿像は玉取りの意匠であったと思われます。平業の狛犬の一つの特徴である籠彫りの玉であったと思われますが、その多くの例に漏れず寒冷地故に凍結・破損したと思われます。 2021.03.01 |
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阿像の後ろから吽像の方向を写しています。野田平業らしい緩みを感じさせない張りつめた姿態が彫られているようです。2021.03.01 | ||||||||||||||||||||
昭和9年と推定出来る文字が彫られていますが、平業の彫り込みや字体ではないと思われます。この石像の元受けとして差配した石工の人の文字ではないかと推測しています。 平業はかなり数の狛犬を広範囲の地域の依頼を受けて彫っていますが、馴染みのない地域では地元の石工の人の依頼で石像部分の彫りを行っているようです(石組等を地元の石工の人が行う例が多いと思われます)。それらには平業の名前が彫られていない例が少なくありません。 平業の名前のない石像は、白河市内八雲神社や天栄村・若宮八幡神社の狛犬を彫った白河町の”大山英太郎”と見間違わないように注意をしていますが、この石像はほぼ間違いなく野田平業と推定出来そうです。2021.03.01 |
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左の吽像は子取りの意匠、平業の特徴ある顔つきを持つ子供を抑えつけた足の形も平業のものです。 歯の彫や鼻の形も野田平業の特徴が良く見て取れます。この狛犬彫りはかなり手の込んだ作りであることが立体感のある姿から感じられました。2021.03.01 |
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一の鳥居の前には野田平業の狛犬、その先は氏子の人々が行き来する生活道路が左右に伸びています。その道路の先には冬枯れの田圃が広がっている穏やかな神社の境内の中に私は居ます。 このような風土の中で暮らす方々が羨ましくなります、そして街の暮らしの忙しない速さの異常さが身に沁みます。2021.03.01 |
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吽像の前には、今日の暖かな陽気でまさに開きだそうとするロウバイの黄色の蕾が花弁で覆われていました。写真を撮るときは少し枝を避け乍ら写しました。2020.12.08 |
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時刻は12時30分、神社の境内の外の駐車場所で平業の狛犬を見ながら昼食をとることにしました。持参の一房の葡萄と干瓢巻きを供えます。手を合わせてからそれを頂いて食べました。境内の外にスペースがあり狛犬が指呼の間にあるロケーション等滅多にお目に掛かれません。 ポットのお茶を飲みながら時に目を上げては”ふくしま緑の百景”の説明版の先に広がる菅舩神社の緑の森に目をやっています。今日は神社の参道の上り下りで汗が出る程の穏やかに陽気です。2020.12.08 |
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03/16/2021 | ||||||||||||||||||||
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