狛犬を訪ねて№39・須賀川市~郡山市
須賀川市の狛犬② 
    
菅舩(すがふね)神社狛犬・昭和9年(1934年)・白河市 野田平業・36歳時(推定)()無断転載

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狛犬を訪ねて№39白河から那須の狛犬①白河市の狛犬 

地震の被害が案じていたほどの事も無かったので、翌3月1日、人に出会う事のない神社なのでその内の幾つかを訪ねて参拝させてもらう事にしました。近頃暫く訪れていなかった福島県の狛犬を訪ねるべく北上することにします。今回は、須賀川市の東部・水郡線に沿って神社を辿る事にしました。

この道は芭蕉の奥の細道と交差する私には思い入れのある場所です。元禄二年(1689年)旧暦の4月29日、芭蕉と曽良は7日間滞在した須賀川を発って、乙字ケ滝を経て八流の滝を見ながら田村神社に詣でます。私も同じく田村神社を目指して北上する事にします。今回の神社巡りでは、結局お一人の境内を清掃していた氏子の方にお会いしただけでした。

須賀川市の狛犬スライド

狛犬を訪ねて39の①・須賀川市 鹿島神社八幡神社古峰神社
狛犬を訪ねて39の②・須賀川市 蟇目(ひきめ)鹿島神社菅舩(すがふね)神社
狛犬を訪ねて39の③・須賀川市 塩田・菅舩神社菅布禰(すがふね)神社
狛犬を訪ねて39の④・郡山市 田村町・駒形稲荷神社田村町・田村神社
狛犬を訪ねて39の⑤・郡山市 安積町・妙見神社安積町・三渡神社
狛犬を訪ねて39の⑥・須賀川市 白旗神社鹿嶋神社

須賀川市・蟇目(ひきめ)鹿島神社

蟇目鹿島神社(ヒキメ)住所: 須賀川市小倉一斗内245 。蟇目鹿島神社は太い道の交差点の角に一の鳥居が見えたので直ぐに分かりました。鳥居の先の道が太くなった路肩に車を止めさせて貰いました。帰りに分かった事ですが、神社前の交差点の脇に駐車スペースがありました。2021.03.01

道路脇の一の鳥居の後ろに狛犬が奉納されていました。拝殿は山の斜面を登った場所に鎮座しています。

2021.03.01

静かな参道を辿ります。木漏れ日が斑に影を作る心地よい神域です。拝殿でお参りをさせて貰ってから後方に回ってみました。2021.03.01

 

神社は凝った木彫が多く施されている美しい社です。周囲の山の斜面には大きな石がかなり多く堆積して神様の鎮座に相応しい不思議な空間を作り出していました。2021.03.01

今日の神社巡りの二つ目の狛犬に出会えて目途が立ったようです。旅の無事を願って柏手を打ち手を合わせて祈りました。2021.03.01

拝殿の後の斜面に如何にも穏やかな表情の大黒天の石像が祀られていました。後方に置かれた山灯籠の風情が感じられる石灯篭との組み合わせがとてもお似合いです。台座には大正13年(1924年)・石工 佐久間重x(一文字が苔で覆われていて見えません)の文字が刻まれていました。2021.03.01

拝殿での参拝を済ませたので石段を下り狛犬を見させて貰う事にします。うす暗い世界から明るい世界に戻る事になります。2021.03.01

 

須賀川市・蟇目(ひきめ)鹿島神社狛犬・
昭和15年(1940年)紀元2600年記念・石工 上田保(推定?)一郎・橋本亘
強い陽の光が体半分を照らし出しいる玉取りの意匠の阿像。玉には模様が彫り込まれています。全体のバランスに僅かな乱れを感じますが、毛などの凹凸が大変丁寧に彫られている様に感じました。どこかで似た狛犬を見たような気がするのですが思い出せません。2021.03.01
強い陽の光が逆行になるので左の吽像から阿像を写しました。吽像の後ろの尻尾の毛が透かし彫りで彫られているようでかなりの手間が掛かったであろう事が推測されます。2021.03.01
台座には昭和15年(1940年)紀元2600年記念・石工 上田保(?)一郎・橋本亘の文字が見られます。上田保一郎の名前の”保”がはっきりと判読できませんが多分合っているように思います。2021.03.01
左に置かれた吽像、かなり変わった意匠の子取りの狛犬です。大きな牡丹の花が肩の部分に彫り込まれています。如何にも盛沢山に飾られた狛犬に出会いました。2021.03.01
神社の前を小さな沢が流れ下っていました。この辺りは雪の積もる山ではないので冬の季節は細々とした流れですが神々の場所の印象を感じさせてくれます。2021.03.01
須賀川市下小山田・菅舩(すがふね)神社
菅舩(すがふね)神社住所:須賀川市塩田西清水184。蟇目(ひきめ)鹿島神社と同じく菅舩神社も道路の脇に一の鳥居と狛犬が見えたので迷うことなく辿り着けました。2021.03.01

一の鳥居の前に目を引く氏子の方々の奉納した石灯籠と村社菅舩神社の石柱(よく見られる村社の部分が黒塗りされていますが)、加えて迫力のある狛犬が置かれています。後方には盛り上がった緑の森が背景です。2021.03.01

一の鳥居の前に置かれた狛犬の横に”ふくしま緑の百景”の説明版が置かれていました。鎮守の杜には常緑樹の森が付き物ですが、急な斜面に森が広がっている立体的な風景が見られます。2020.12.08
狛犬を見る前に拝殿でお参りをさせて貰う事にします。人家に沿った参道を進むと二の鳥居、その先からは石段が拝殿まで続きます。2020.12.08

緑に覆われて静かに鎮座する神社の前で頭を垂れてお参りをさせて貰いました。誰一人その人影もその気配も感じられない深い静寂の空間が広がっています。
2021.03.01

北上して郡山市に近づくほどに神社への道が狭くの成るのではと案じています。幾度となく車をこすった経験が有るのでその心配には理由がある事なのです。その安全をお願いしました。2021.03.01
参道の石段の両脇は鎮守の杜に覆われて薄暗く感じる程です。結界に並ぶ緑の木々が神域の静寂を護っているようです。私の記憶では石段の幅が広げられていたように思います、随分親切な心遣いだと感じ入りました(記憶違いかもしれません)。2021.03.01

菅舩(すがふね)神社狛犬・昭和9年(1934年)・白河市 野田平業(推定)36歳時制作

  参拝を済ませたのでゆったりした気持ちで入口の狛犬を見させて貰う事にします。一見して白河市の石工・野田平業の狛犬である事が推定できます。

大きさは通常よい微妙に小さいかもしれません。彫がかなり精緻な仕上がりを感じさせる良い狛犬です。

右に置かれた阿像は玉取りの意匠であったと思われます。平業の狛犬の一つの特徴である籠彫りの玉であったと思われますが、その多くの例に漏れず寒冷地故に凍結・破損したと思われます。

2021.03.01

阿像の後ろから吽像の方向を写しています。野田平業らしい緩みを感じさせない張りつめた姿態が彫られているようです。2021.03.01

昭和9年と推定出来る文字が彫られていますが、平業の彫り込みや字体ではないと思われます。この石像の元受けとして差配した石工の人の文字ではないかと推測しています。

平業はかなり数の狛犬を広範囲の地域の依頼を受けて彫っていますが、馴染みのない地域では地元の石工の人の依頼で石像部分の彫りを行っているようです(石組等を地元の石工の人が行う例が多いと思われます)。それらには平業の名前が彫られていない例が少なくありません。

平業の名前のない石像は、白河市内八雲神社や天栄村・若宮八幡神社の狛犬を彫った白河町の”大山英太郎”と見間違わないように注意をしていますが、この石像はほぼ間違いなく野田平業と推定出来そうです。2021.03.01

左の吽像は子取りの意匠、平業の特徴ある顔つきを持つ子供を抑えつけた足の形も平業のものです。 歯の彫や鼻の形も野田平業の特徴が良く見て取れます。この狛犬彫りはかなり手の込んだ作りであることが立体感のある姿から感じられました。2021.03.01

一の鳥居の前には野田平業の狛犬、その先は氏子の人々が行き来する生活道路が左右に伸びています。その道路の先には冬枯れの田圃が広がっている穏やかな神社の境内の中に私は居ます。

このような風土の中で暮らす方々が羨ましくなります、そして街の暮らしの忙しない速さの異常さが身に沁みます。2021.03.01

吽像の前には、今日の暖かな陽気でまさに開きだそうとするロウバイの黄色の蕾が花弁で覆われていました。写真を撮るときは少し枝を避け乍ら写しました。2020.12.08

時刻は12時30分、神社の境内の外の駐車場所で平業の狛犬を見ながら昼食をとることにしました。持参の一房の葡萄と干瓢巻きを供えます。手を合わせてからそれを頂いて食べました。境内の外にスペースがあり狛犬が指呼の間にあるロケーション等滅多にお目に掛かれません。

ポットのお茶を飲みながら時に目を上げては”ふくしま緑の百景”の説明版の先に広がる菅舩神社の緑の森に目をやっています。今日は神社の参道の上り下りで汗が出る程の穏やかに陽気です。2020.12.08

奥の細道の芭蕉と曽良の足跡を訪ねてしばしば訪れてから随分と時は流れました。久し振りに訪れた須賀川市の神社はたった一人の参拝者を柔らかく包み込むように迎えてくれました。ただ参道を辿り素直な気持ちでただ頭を垂れました。それは極めて居心地の良い心のあり様でした。2021.03.01

03/16/2021
 
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