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前回白河神社の狛犬を訪ねたのは20015.07.13、約1年半前に事になります。その間に随分沢山の狛犬と対面することになりました。白河神社は、狛犬巡りを始めたばかりでしたので随分感動も驚きも大きかったものだと懐かしく思い出されます。正月のお飾りが見えました。2017.1.3 |
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右側に置かれた狛犬、口の開きが左より小さい気がします。これは吽像ではないかと思われます。阿吽が逆になっているかもしれません。このあたりの狛犬はあまり力の抜けた彫りの作品は見られないようです。この時代まではかなりこのような造形を彫る事が出来る腕の石工の人が多かったのではないかと思います。
腕を見せつける(奉納する人の努力に応じる範囲ででしょうが)素晴らしい彫りの作品が多く見られます。この狛犬も細部がとても注意深く彫られていると楽しくみました。 |
右側の像から左の狛犬を見ています。 |
左に置かれた狛犬で少し口の開きが大きな気がします。阿像なのではないでしょうか。中々見応えがあります。
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台座に石工の名前は見受けられませんでしたが、昭和6年奉納の文字が見えます。石工の名前は、素人の推測ですが、白河市カラメ・関根沼石(国三)ではないかと思っています。
白河市の石工一覧を参照ください |
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拝殿前の境内の入り口に置かれた素朴な造りの狛犬です。
狛犬を彫るのに慣れた石工の人が彫ったものではないように思えます。かなり奔放な形に思えます。決まり切った形にとらわれないこのような狛犬の見るのは楽しい事です。
口をわずかに開いて、左手で玉を押さえていることから阿像ではないかと思われます。頭上の丸いものはもしかすると擬宝珠なのかもしれません。 |
左に置かれた狛犬です。右足の周辺が破損していますがもしかすると子供が彫られた居たのかもしれません。 |
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年代や石工の名前を見つけたのですが苔むしてそのようなものは見られませんでした。神社の由来などからも江戸時代の狛犬のように感じられます(違っているかもしれません)。 |
拝殿でお参りをして石段を下ることにします。沢山の石碑や歌碑が見られます。神社の由来の説明板が立ててありました。 |
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石段を下りながら拝殿を振り返りました。狛犬がぽつんと置かれています。参道の脇に一体の大黒像が奉納されていました。2017.1.3 |
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入り口の狛犬まで石段を下ってきました。この一帯に白河の関が設けられていたことが説明されていました。遠く平安時代の話です、すでに人々が田を耕し暮らしていたと言う事のようです。アイヌの英雄・アテルイもこの道を引き立てられるようにして都にいったのかなどとアテズッポウノ想像を楽しみながら看板の文字を読みました。すぐ近くの五龍地神社に向かいます。2017.1.3
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白河神社からこの五龍地神社はすぐ近くです。更に先に進むと僅かで東京バームクーヘンの美松製菓工場があります。駄目かもしれないと行ってみましたがやはり明日・4日からの営業でした。東京の販売所ではアウトレット製品は扱っていないので行ってみました。 確かではないのですが、前回神社の門柱にローマ字が書かれていましたがどうも悪戯だったというニュースを見た気がするのです(記憶は極めてあやふさです)。確かめたらその文字が見当たりませんでした。
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社掌の方の名前と昭和八年の年号が見えます。石工の人の名前が”カラメ関根沼石”と彫ってありました。2017.1.3
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鳥居の龍の彫りが大変精巧で美しいと何時も感心して眺めています。 |
杉木立と拝殿だけの清冽な神域、静寂だけが辺りを支配しています。正月からこのよう社で頭を垂れる事が出来て大変幸運です。
これから家人を迎えに行くことにします。2017.1.3
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