樋口一葉・”たけくらべ”の舞台 吉原の物語②  ①へ
河出書房新社・たけくらべ 現代語訳・樋口一葉 
樋口一葉原文と河出書房新社・たけくらべを参照しています。

”廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火ともしびうつる三階の騷ぎも手に取る如く・・・・三島神社の角を曲がりてより・・・

樋口一葉”たけくらべ”の書き出しは吉原の見返り柳です。流れる水のように物語の情景が目の前を通り過ぎていきます。

吉原を訪ねた後、直ぐ近くの樋口一葉の旧宅跡を訪ねる事にします。“たけくらべ”の舞台はこの遊郭の吉原と三ノ輪までの間の町屋が舞台となっています。雰囲気も含めて吉原と地続きの場所なのです。これから尋ねる場所で生きていた雑多な職業の 人々が活き活きと描かれています。

主人公は吉原の遊郭大黒屋の売れっ子の花魁・大巻を姉に持ちその寮に親子三人で暮らす美しい娘・美登利、数えの14歳。姉のお陰で、近所の子供達にあれこれを買い与えて一目置かれる存在。 美登利の、自分でさえ気づかない龍華寺の住職の子供・信如(しんにょ)こと藤本信如(のぶあき)への淡い思慕の気持ちが流れるように書き込まれています。瑞々しい二人の心が、吉原を生活の中心として暮らす市井の人々の日常を背景に目の前にあるがごとく書かれています。

真如も自分の気持ちを持て余す程の思いを美登利に寄せます。ある霜のおりた朝、美登利の暮らす大黒屋の寮の格子戸の間に水仙の花束が置かれていました。それは、真如が翌日僧侶の修行に旅立つ日なのです。2018.02.13

佐伯泰英の吉原裏同心シリーズ・21巻”遺文”神守幹二郎と汀女が長屋から庭にザクロの咲く一軒家に引っ越す事になります。長屋が”田町”2丁目で一軒家が1丁目と書かれていました。偶然にもたけくらべの真如が”田町”に住む姉に着物を届ける場面が出てきてその田町だと思いました。

雨風の強い中、美登利の棲む大黒屋の寮の前で真如は下駄の鼻緒を挿げ替えるのですが、うまく行きません。誰とも知らない美登利が鼻緒にと友禅の切れ端を持って出てきます。軒下で悪戦苦闘するのが真如と知った美登利、心を弾ませますが戸を開ける事ができません。友禅の端切れを黙って投げ出して家に戻ります。真如も振り返る事が出来ません、美登利はやるせない涙顔で家に戻ります。その気配に振り返ると鼻緒にする友禅の切れ端が雨に濡れて散らばっていました。

 

樋口一葉:生年・明治5年(1872年)・没年明治29年(1896年)、24歳で肺結核の為逝去。明治26年(1893年)7月20日に本郷菊坂町から”たけくらべ”の舞台である下谷竜泉寺368番地に移り住み雑貨屋を営む。明治27年(1894年)本郷丸山福山町に移転する。”たけくらべ”の舞台となるこの地での居住は約10ヶ月であった。

   

三ノ輪橋駅から吉原大門までは土手通りを1km程です。

大門から吉原神社までの仲之町通りはどこにでもある普通の通りです。

神社からの帰路は国際通りに出て鷲神社や樋口一葉記念館等に立ち寄ると楽しい散歩になるかもしれません。

 
鷲(おおとり)神社
鷲神社住所:台東区千束3丁目18ー7。浅草・酉の市発祥の境内と言われている鷲神社は(足立区花畑の大鷲神社が各地酉の市発祥地と言われているようです)、佐伯泰英の”吉原裏同心”にもその賑わいぶりが書かれています。

たけくらべでもしばしば鷲神社が登場します。長屋の職人たちの熊手作りの様子が書かれています。熊手を買う人に福を呼ぶなら、手を絵具だらけにしている職人たちが、俺たちには1万倍の運をと言うが、金持ちになった噂をとんと聞かないと書いています。

”かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形なりに紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田樂みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし・・・”

たけくらべ”に書かれた酉の市当日の賑わいは、吉原の鉄漿どぶの跳ね橋を開放して客の流れを誘導する江戸の物語・吉原裏同心からも推測できます。

”此年三の酉まで有りて中一日はつぶれしかど前後の上天氣に大鳥神社の賑ひすさまじく此處をかこつけに檢査場の門より乱れ入る若人達の勢ひとては・・・・・”

鷲神社前の説明版の江戸時代の画像からもその賑わいが推測されます。

 

石浜神社 まっちやま 千住大橋 今戸神社 azumabasi 浅草神社 隅田川 見返り柳

国際通りに鳥居がありますが、いかにも商売繁盛の熊手が似合う艶やかな色彩の神社です。お祭り好きな江戸の人々がさぞかし楽しみにしたであろうと思いました。

 

30m程の参道が続いていました。社殿でお参りをさせてもらいました。参拝をする社の正面になんとも福々しい巨大なお面が祀られていました。2018.02.13

この説明版に書かれている足立区花畑の大鳥神社が各地酉の市発祥の神社と言われているようです。

2018.02.13

飛不動

鷲神社の裏の通りを北に向かって進んでいくと左手に飛不動尊がありました。境内一杯に提灯が奉納されています、

お詣りをさせてもらいました。目指す一葉の居宅跡は直ぐ近くです。2018.02.13

マップをご参照ください。

樋口一葉居宅跡

歩道の脇に小さな石柱、その横に説明版があります。

一葉がこの地に住んだのは僅か10ケ月あまりの事です。その折の町屋の人々の中での暮らしから”たけくらべ”が生まれたことになります。

河出書房新社の現代語訳は私でもつっかえることなく読み下すことが出来ました。今までは読む気にもならなかった物語に引き込まれてしまいます。吉原を訪ねると言うきっかけで手にした物語は大きな楽しさを与えてくれました。2018.02.13

この辺りは確かにお寺がかなり集まっています。よくぞ古い町名を残してくれたものです。一葉がかって暮らした通りに立つ町名案内の看板の先に、一葉記念館の左に向かう矢印が見えました。2018.02.13
 
一葉記念館と記念公園

裏通りながらかなり大きな一葉の記念館があります。残念ながら月曜日が休館日なのですが、その月曜が生憎の振り替え休日の為、今日は火曜日ながら閉まっていました。確か大人¥200が入館料だと思いました。

通りを挟んだ反対側に小さな一葉記念公園があります。親子ずれが遊んでいました。2018.02.13

公園の前に横幅2m程の記念の石碑が置かれています。”ここは明治文壇の天才樋口一葉・・”と刻まれていました。菊池寛と小島政二郎の名前が見えます。簡潔で美しく慈愛に満ちた文章に見えます。間違っているかもしれませんが、碑文の前段は菊池寛の文章のように思われます。2018.02.13
 

公園の隅に一つの大きな自然石を嵌め込んだ碑が見えます。

佐々木信綱の2首の歌が添えられています。2018.02.13

たけくらべの記念碑の横に立つ説明版です。
千束稲荷神社

三ノ輪橋駅の近く、昭和通りと明治通りの合流点の裏手に神社はありました。大きな”たけくらべ”ゆかりの神社の看板が見えます。 

たけくらべの中で、千束神社の祭りの様子が描かれています。未だ、日本堤の土手が残っていたようで、吉原の廓の中まで押しかけような勢いと書かれています。

”八月廿日は千束神社のまつりとて、山車だし屋臺に町々の見得をはりて土手をのぼりて廓内なかまでも入込まんづ勢ひ、若者が氣組み思ひやるべし・・・”

社務所も備えたかなり綺麗な社です。お参りをさせてもらいました。社殿の横の梅が4分咲き程度、春は遠くないと思いました。201 8.02.13
もう少し古いのかと思ったのですが、昭和33年に奉納された中々彫りの良い狐の石像。稲荷神社だけに狐の彫には十分注意して注文を付けたのかもしれません。2018.02.13

境内の左にかなり大きな一葉の像が置かれています。本名の夏子に近い筆名の樋口夏の名前で書かれたもののようです。

8月19日の自筆の日記のようですが、不思議にもたけくらべの”八月廿日は千束神社のまつりとて・・”と合致します。

千束稲荷神社で今日の目的の訪問地は全て周り終わりました。夕暮れが近くなったので急いで都電・三ノ輪橋駅に向かいました。2018.02.13

三ノ輪橋駅へ
昭和通りと国際通りの交差点、ここから30m程で明治通りと交差、そこは大関横丁、目指す駅はすぐ近くです。

土手通りにつながる明治通りを横断するとスカイ・ツリーが目に入ります。

都電三ノ輪橋駅に着きました。早稲田行の電車が既に乗車中です。大急ぎで電車に乗り込みました。午後4:03、午後1時21分に三ノ輪橋駅を出発したので3時間18分の吉原を回る小さな、そして思い出に残る旅でした。

最初は佐伯泰英の”吉原裏同心”を読んだことがきっかけで吉原を訪ねようと思ったのです。グーグル・マップで調べると吉原のすぐ傍に幾つかの樋口一葉の足跡が見つかりました。それなら、”たけくらべ”を読んでからと目論見が少し膨らみました。

古臭いと思っていたたけくらべの瑞々しい物語は熱中するに十分なほど面白く、吉原と地続きの一葉縁の街を回る事で、読む楽しさに加えて更に大きなプレゼントを貰う事が出来たのは幸運です。十分な満足を感じながら、都電の座席に座りながら再度たけくらべを読みました。

  裏同心 たけくらべ
吉原の物語②
11/14/2022
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