↑さいたま市岩槻区・八幡宮・年代不詳 |
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八幡神社の狛犬 |
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右の狛犬から左の狛犬をを写しました。背中の緩やかなふくらみと曲線が旨く彫られているように見えました。2017.005.16 | ||||||
整った清らかな拝殿の前の狛犬です。例の如く誰一人いない静かな境内で参拝をし、狛犬をゆっくりと見まわしました。 拝殿の後ろには掃除の行き届いた3つの末社が鎮座していました。 |
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久伊豆神社の狛犬・天保9年(戊戌)・1838年 |
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右に置かれた阿像と思われる狛犬です、見る者の緊張感が和らげられるような優し気な姿に見えます。 若干口の開きが大木野で阿像と推定しました。江戸時代の狛犬らしく子供や玉が彫られていません。個人的にはこれはこれで良いと思いました。2017.005.16 |
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左の吽像と思われる狛犬は阿像より更に優し気でペットの犬のように見えます。堀はあっさりしていますが全体のバランスが取れています。2017.005.16 | ||||||
台座に天保9年の文字が彫られています。年号の文字をこする人が居るらしく白くなっています。 | ||||||
神楽殿と思われる堂宇が境内にあります。参道から入り口を見ています。道具立て・辺りの形式申し分なく訪れるに楽しい神社です。 |
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供養塔や墓塔として建てられる仏塔である宝篋印塔(ほうきょういんとう)が境内の横にありました。奉納された年代を見て驚きました、元文元年(丙辰)1736年とはっきりと刻まれています。 将軍吉宗在位の最後の年、そしてお馴染みの大岡忠相の時代です。200年以上前のかなり古い宝篋印塔ですが綺麗な状態で残っています。2017.005.16 |
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飯塚神社狛犬 |
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阿像の後ろ横から吽像を撮りました。やはり石工が手で彫った狛犬はそれぞれに特徴があって、見る楽しみがあります。 これ以上破損が進まない事を祈るばかりです。2017.005.16 |
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左に置かれた吽像です。やはり目の表情が良いと思いました。こちらはほぼ制作時の状態を保っていると思われます。 サイズは若干小さ目かもしれません。2017.005.16
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スッキリした境内に続く参道の両脇にゆったりした感じの狛犬が見えます。お参りをしてから見させてもらいました。2017.005.16 | ||||||
久伊豆神社の狛犬・慶応三年(丁卯)・1867年 |
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若干大型の部類の狛犬です。表情や姿に怖さが無く落ち着いて見る事が出来ます。右に置かれた狛犬です。 慶応3年と推定されます、左の月の行の上に”丁卯”らしき文字が見えるのでほぼ間違いないと思われます。安永七年の文字が見られることから1778年に奉納された狛犬のようです。 この辺りには江戸の狛犬がかなり残っているのは大変嬉しい事です。2017.005.16 |
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二人の石工の名前が彫られていました。 台座の彫りも中々のものです、これ程綺麗な状態で残っていない例が多いのですが、保存状態がかなり良好に見えます。 石工の名前は”石工・田中三五郎 石工 金x善治郎”ではないかと思われます。田中三五郎の右に”岩”の文字が見られます、地元の岩槻の石工ではなかったのではと思いました。2017.005.16 |
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左の狛犬です。どちらが阿吽の像か素人の私には決めかねます。顔付がかなり確りしています、足下には模様が彫られた玉を押さえています。 全体の形に違和感が無く美しい狛犬です。かなり作り慣れた石工の人なのではないかと思いました。2017.005.16。 |
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