街の狛犬・江戸の狛犬を訪ねて

 

↑墨田区・高木神社の江戸の狛犬

評判の映画”ルーム”を見る途中、春の隅田川を散策しようと少し早めに家を出ました。桜の季節が過ぎて隅田川も若干喧騒が引いたようです。隅田川を左岸に渡り神社を巡り狛犬を見ました。2016.04.12

牛嶋神社住所:墨田区向島1丁目1−4−5。言問橋を渡るとすぐ右が牛嶋神社です。一週間前の桜の季節は多くの人で混雑していましたが、それが過ぎて今はかなり静かになったようです。2度目になるのですが、折角なので立ち寄ってみる事にしました。2015.08.31に訪ねています2016.04.12

社の前に一際美しい獅子山があります。左の吽像と推測される獅子山は子供を見つめる姿が、いかめしい狛犬と言うより動物の母親のような雰囲気です。

境内からはすぐ近くのスカイツリーが見えます。2016.04.12

確かではないのですが、左の獅子山に彫ってあった文政十年(丁亥)・1827年の年号。ただ、記憶があやふやです。左画像の前回の2015.08.31データでは大正7年と彫られた右の阿像の掘り込みを見たと記憶しています。寄進した人々が横網町であることは同じですが、現時点ではどちらが正確なのか不明です。
文化8年(1811年)の狛犬
前回は文化8年の彫込みだけを見つけましたが石工の名前を見つけました・石工和泉屋平吉と彫られていました。

この和泉屋の名前は泉州石工の出を表しているのでしょうか。泉州石工の名前は、牛嶋神社近くの三囲神社で・延享二年(乙丑)1745年狛犬・石工 和泉屋太郎介を見た時に知った事です。2016.04.12

享保14年・己酉・1729年の狛犬一対   2015.08.31データ

享保年間のかなり古い江戸の狛犬のようです、物語にもしばしば登場する牛嶋神社への江戸の人々の信仰心が見えるようです。2016.04.12

安政六年(己未)・1859年の牛の石像

江戸時代から牛御前と呼ばれてしばしば江戸の物語にも登場するこの神社のこれは”なで牛”と呼ばれているもののようです。牛は天神様の社ではお馴染みですが、この牛も人々の願いがこもった手で撫でられて、あちらこちらがてらてらに光っています。2016.04.12

2015.08.31の参詣では寄進した大工さんの名前は見つけたのですが年号が分かりませんでした。安政六年(己未)・1859年の年号を見つけました。

新しい牛の石像と、大きな昭和7年の狛犬が居ました。2016.04.12
秋葉神社
秋葉神社住所:東京都墨田区向島4−9−13

この辺りからはどこからでもスカイツリーが見えます。この神社の境内からも社の右横に見えていました。記憶で、秋葉様と呼ばれていた神社ではないかと思います。確か、平岩弓枝の”隼新八御用帳”の”大奥の恋人”でお参りに行った神社だと思うのですが、間違っているかもしれません。個人的にはそうではないかと思って少し興奮して社に足を踏み入れました。2016.04.12

 

秋葉神社狛犬

大きな狛犬が鳥居をくぐると置かれています。見応えのある堂々たる彫です。残念ながら右の阿像と思われる狛犬の顔面が欠落していました。寄進した人の名前と年号も欠落しています。2016.04.12

こちらは口をむすんだ吽像と思われる狛犬です。確りと姿が残っていました、やはり威圧感のある堂々たる狛犬です。

浅学の私の目から見ても、彫の線が滑らかに感じました。2016.04.12

阿像から吽像を見ています。その後ろは工場かアパートのようです。春の日差しが静かな境内に満ちていました。

尾が江戸の狛犬にしばしばみられる団扇のように広がっていました。浅学な私は何となく近くの三囲神社の狛犬に似ているよなと思いました。2016.04.12

秋葉神社昭和の狛犬

社近くにもう一対の新しい狛犬が見えました。昭和50年に奉納された昭和の狛犬でした。2016.04.12

高木神社

高木神社:東京都墨田区押上2-37-9。この神社には江戸の狛犬が居るらしく楽しみにしてやってきました。

東武線曳舟駅を目指して路地を歩いてきました。2016.04.12

境内の左側では10人ほどの人達が工事をしていました。辺りは家がびっしりと立て込んでいます。2016.04.12

高木神社の江戸の狛犬・弘化二年(乙巳・1845年)

弘化2年(乙巳・1845年)再建の文字が見えます。社が再建されたのか狛犬が再建されたかは不明ですが、狛犬は江戸時代の作品と思えます。

単なる想像ですが、私は天保10年(1839年)の南千住胡緑神社の狛犬を思い出しました。2016.04.12

 

再建・弘化二(年)乙巳の文字が彫られています。丁度工事をしていた人に挨拶をしたらこの神社の氏子の方でした。興味深い話を伺って驚きました。 奉納した白鼠屋藤七と言う人は愛玩用のハツカネズミを売って財を成したと言うのです。

私達がこの前で、白鼠を蝋燭ではないか(確かに蝋ではなく鼠でした)等といい加減な話をしていたのを聞いて教えてくれたようです。 江戸の文化が如何に深く広かった事をまたまた知って感銘を受けました。お礼を言って社を後にしました。2016.04.11

こちらは左にある吽像と思われる狛犬です。毛のカーブの彫り方がシャープです。かなりの腕の石工の人が彫ったのではないかと思いました。

阿吽像共に石を組み上げた獅子山の上に据えられています。大変素晴らしい江戸の狛犬を見る事が出来た上に、氏子の方の貴重な話を伺えたのは良い思い出になります

京成曳舟駅から浅草に出て、地下鉄で銀座4丁目に向かいます。今日はこれから有楽町・シネシャンテで映画”ルーム”を見るつもりです。2016.04.11

 
11/26/2017
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