↑延享二年(乙丑)1745年作の三囲(みめぐり)神社狛犬阿像・石工 和泉屋太郎介 |
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境内にはかなり多くの石像があるのですが、最初に出迎えてくれる狛犬です。表情・体の表現に力の漲る狛犬に見えます。素人の印象ですが違和感なく観賞が出来る狛犬に出会ったようです。 牙をむきだしにして境内を睥睨しいます。 |
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尻尾が団扇を立てたような意匠が特徴的です。明治以降の作品の多い村の狛犬とは明らかに違います。 団扇のような尻尾に彫り込みが施されています、江戸らしい派手さと粋が感じられます。どこかすっきりしているようです。 |
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延享二年(乙丑)1745年狛犬・吽像・石工 和泉屋太郎介 |
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かなり大きな狛犬です、更に高い台座の上の乗っているので見上げるようです。力を感じる造形に見えました。 狛犬の知識がないので、村の狛犬とは明らかに異質な形をしていると言うのが第一印象です。どこか洒落れているようにも見えます。2015.08.31 |
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狛犬彫られた文字によれば延享二年(乙丑)1745年作の狛犬のようです。 石工の”太”以下の名前がはっきり判読できなかったので、”石工 和泉屋”と入れてウイキペデイアで調べたところ、大阪・泉南地方を本拠に全国で活躍した石工集団・泉州石工の事が書かれていました。江戸に移住した人々は八丁堀の石工の組合にも属していたようです。彼等は和泉屋と名乗る者が多かったとも書かれてもいました。その中に”和泉屋太郎介”と言う特定の名前が書かれていました、はっきり判読できませんが、多分この名前はその”和泉屋太郎介”のような気もします(正確ではありませんが)。 村の狛犬とは全く異なる270年前の江戸の狛犬に対面できて幸運でした。2015.08.31
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小雨の降る中、赤い前垂れを首から下げた、狐の像が咲き出した芙蓉の花の前に置かれています。江戸の風景らしい印象を受けました。2015.08.31 |
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尾篭な話ですが、その多さから”犬の糞”に例えられるほど江戸の町では多量の稲荷があったようです。この”こんこんさん”と呼ばれる優しい感じの狐の像は享和二年(壬戌)・西暦1802年の作品と説明板に書かれています。 三囲神社の境内には確か2か所か3か所の稲荷の社があったと思います。2015.08.31 |
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文化8年(辛午)・1811年の狛犬 |
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三囲神社のの本殿で参拝の後左手の恵比寿神と大国神の扁額の掛かる鳥居をくぐり参拝をしました。 入口に小さな狛犬が一対据えられています。 |
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小さな狛犬ですが牙が強調されて迫力があります。2015.08.31 | ||||||||
顕名神社 |
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三角石鳥居 |
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向島から浅草へ |
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上野東照宮本殿前の大きな狛犬 |
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かなり大きな迫力ある狛犬の阿像です。狛犬も大型なのですが台座もかなり高く狛犬は見上げる感じになります。 更に威風堂々とした印象を高めています。2015.08.31 |
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尾は江戸時代の狛犬のように団扇のような形ではありませんがやはり立っています。阿像の後ろ姿です。2015.08.31 | ||||||||
私の理解が正しければ大正3年の作品だと思います。大正4年の東照宮300年を記念して奉納されたようです。2015.08.31 | ||||||||
吽像も胸を大きく膨らませて力強い狛犬の姿です。徳川幕府の往時の力を示そうとするような狛犬に見えました。2015.08.31 | ||||||||
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04/17/2021 | ||||||||
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