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↑牛嶋神社・獅子山の阿像・文政十年(丁亥)1827年

秋葉原のヨドバシカメラに用が出来たので、少し早めに出て映画を見るか狛犬を見るかと思案しました。映画は格別見たいものが無かったので狛犬を訪ねる事にしました。数年前、江戸の七福神に興味を持って、谷中、向島、深川と回りましたが生憎その時は狛犬には興味が無く、果たして有ったのかどうかの記憶も定かではありません。

また、江戸の風情が残る町を歩くことが出来てそれはそれで大変楽しい事になりそうです。時間がそれ程ないので向島と上野を回ってみました。2015.08.31

墨田区・牛嶋神社 2016.04.12データ  2017.03.28データ
牛嶋神社住所:墨田区向島1丁目1−4−5
 

地下鉄銀座線で浅草までやってきました。明らかにどこか昭和の印象が強い数年前の浅草駅とは全く違っています。多くの外国人が行き交っているのに驚いてしまいました。時折雨が落ちてくる天候、これなら空いているかと隅田川に向かいます。吾妻橋を渡るか言問橋を渡るか思案しましたが、スカイツリーを見るならやはり隅田川右岸の遊歩道が良いと思い、言問橋を目指して浅草から上流の千住方面に向かいます。アサヒビールの特徴ある金の雲(だと思うのですが)が見えてきます。左のスカイツリーは雲で覆われていました。2015.08.31

やはり隅田川右岸の道が正解だったようです。東京とは思えない静かな散歩を楽しみながら言問橋にやってきました。橋を橋を渡って江戸の人達の言う川向うに向かいます。

隅田川右岸に続く遊歩道は大変快適です。時折散歩する人に出会う以外浅草周辺の喧騒とは別世界です。言問橋が近くなるほどにスカイツリーの姿が目の前に立ちはだかります。
言問橋にやってきました。スカイツリーに向かって左岸へと渡ります。2015.08.31
橋を渡ると右下に公園が見えます。通りには大きな看板が付いていました。すぐ分かります。2015.08.31
好ましい雰囲気の社です。最もどこも社は好ましいのですが。すぐ近くを隅田川が流れていて橋を渡ることが何か神域に入る行程としてとても充足感を感じるからでしょうか。狛犬を含めてかなり多くの江戸の石像が見られました。
昭和7年狛犬・阿蔵
境内に入ると最初に目に入る大きな狛犬です。昭和7年の作品と思います。関東大震災で焼けた社殿を新たに建てた折に奉納されたようです。尻尾が強調されているようです。
昭和7年狛犬・吽像

かなり大きな狛犬の上に高い台座の上の乗っているので見上げるようです。力を感じる造形に見えました。

狛犬の知識がないので、村の狛犬とは明らかに異質な形をしていると言うのが第一印象です。どこか洒落れているようにも見えます。2015.08.31

獅子山狛犬阿像  ご参照ください

このような形を獅子山と言うそうですが大変素晴らしい石像だと感じました。派手好みの江戸の人にはお似合いの意匠だと思いながら周囲を一周してゆっくりと鑑賞させてもらいました。

これを見ていて、偶然通りがかりに見た下鶴間・氷川神社(埼玉県富士見市鶴間2ー1ー72)の明治26年の獅子山はかなり良い作品だったのだと思いだしています。2015.08.31

大正7年、古い地名の本所横網町(よこあみ・蛇足ながら横綱ではなく)一丁目の名前が刻まれていました。時代小説に登場する古い町の江戸の人々の様子を思い出すと、この獅子山はその好みには合いそうだと思いました。

偶然、夜、ちょっと頭の休憩に藤沢周平の短編集”神隠し”(新潮文庫)を読んでいました。どのページも馴染なのですが、偶然開いたら””暗い渦”です。今は店の主となった信藏は長屋に住まう腕の良い筆職人・弥作を訪ね専属の職人として抱える約束をします。長屋を出る時に一軒の家の前で、昔信藏を袖にした”おゆう”を見てしまいます。そこがまさに南本所の横網町なのです。さすが藤沢周平は、簡単な文字なのですが”よこあみ”と読み仮名を振っていました。2015.08.31

獅子山の吽像、まるで映画のシーンのようにリアルな動きを感じます。千尋の谷を這い上る子供、それを見守り励ます親、見る人に心の引き出しから様々な思い出を引っ張り出してくれるように感じました。
外国の人が結構やってきては写真を撮っていきます。それでも私が会ったのは7人ほどですが、浅草から歩いてきた気配です。それともスカイツリーに行く途中なのかとも思いました。2015.08.31

2017.03.28の牛嶋神社訪問の折、左側獅子山の台座に文政10年の彫りを見つけました。知識が浅いので間違っているかもしれませんが、以上の事から文政10年に奉納され、大正7年に修正と推定させていただきました(少なくても左の狛犬は文政10年かと思われます)。間違いが判明次第訂正いたします。

文化8年(辛午)・1811年の狛犬
文化8年は辛午の年、随分昔の狛犬の年代が残っていたものだと感心しました。

村の西白河郡泉崎村・関和神社狛犬に文久3(1863年)と書かれた一対がありますが、尻尾はこれほど大きくありませんが、どことなく優しげな雰囲気が似ています。思い出してしまいました。2015.08.31

吽像の顔の左側は経年の為に欠落しているようです。2015.08.31
牛の像一対

牛嶋神社境内には多くの石像が奉納されています。大工・久次郎と刻まれた牛の像を見てもしやと思いました。時代小説にはおなじみの牛御前ではなかろうかと。家に帰ってから調べるとやはりここが牛御前と呼ばれる神社でした。私はもっと離れた場所かと思っていましたが幸運でした。

牛の像は大変リアルでじっと見る目に威圧されました。社の左右にありますがこれは右にある像です。

奉納した大工さんの名前が久次郎と彫り込まれています。牛御前に牛とはやはり江戸の職人さんだと思いました。2015.08.31

左側の牛の石像です。筋肉の盛り上がりや表情が活き活きとしています。かなり大きな石像です。

これは中々見ごたえのある石像でした。村の近くの坂本観音の小松布孝の牝馬の像を思い出してしまいました。

享保14年・己酉・1729年の狛犬一対
今から約300年前の享保年間の狛犬との対面です。このように手を突っ張った狛犬はこの時代にあったことを知りました。2015.08.31

横川町の人達が寄進したと推測されますが、横川は堅川と共に度々江戸の物語に登場する場所です。隅田川と並行して南北に流れている川でしたが今では埋め立てられてしまったようです。

それは時代の流れで仕方のないことですが、この刻まれた文字を目にして、私は江戸時代の人々の声を聴いたような気分です。2015.08.31

300年前、どんな石工の人がこの狛犬を彫ったのでしょう。見上げるような目付きがどこか犬のようにも感じます。経年による破損がそれ程見られないかなり綺麗な状態の狛犬に出合えたことは幸運でした。

三囲神社に向かうことにします。2015.08.31

 

ここまで来たので、三囲神社の先の隅田川七福神の弘福寺(布袋)と江戸の物語にも登場する桜餅で有名な長命寺(弁財天)を回ってみる事にします。隅田川左岸の遊歩道を桜橋まで辿ってみました。

向島でも人が混むのはスカイツリー近辺だけかもしれません。この辺りに来ると町は大変静かで昔と同じような気がします。できれば、近い内に更に北にある白髭神社の狛犬を見に行こうかと思っています。

桜橋が見えてきました。桜の季節は多くの人で賑わいますが今はひっそりとしています。進む右手には首都高速向島線の先にスカイツリーが大きく見えます。2015.08.31

禅宗のお寺のようですが生憎工事中でした。大変大きな工事らしく本堂は見る事が出来ません。
三囲神社への道は現在は往時程の賑わいは無いのかもしれませんが、ここは検番通りと呼ばれる通りです。夜には少し様子が違ってくるのかもしれませんが、今はひっそりと静まり返っています。三囲神社に向かう検番通りの左にはスカイツリーがが大きく見えます。三囲神社はもうすぐです。2015.08.31
 
02/20/2019
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