↑牛嶋神社・獅子山の阿像・文政十年(丁亥)1827年 |
||||||||
|
||||||||
|
||||||||
|
||||||||
隅田川右岸に続く遊歩道は大変快適です。時折散歩する人に出会う以外浅草周辺の喧騒とは別世界です。言問橋が近くなるほどにスカイツリーの姿が目の前に立ちはだかります。 | ||||||||
言問橋にやってきました。スカイツリーに向かって左岸へと渡ります。2015.08.31 | ||||||||
|
||||||||
好ましい雰囲気の社です。最もどこも社は好ましいのですが。すぐ近くを隅田川が流れていて橋を渡ることが何か神域に入る行程としてとても充足感を感じるからでしょうか。狛犬を含めてかなり多くの江戸の石像が見られました。 | ||||||||
|
||||||||
昭和7年狛犬・吽像 |
||||||||
かなり大きな狛犬の上に高い台座の上の乗っているので見上げるようです。力を感じる造形に見えました。 狛犬の知識がないので、村の狛犬とは明らかに異質な形をしていると言うのが第一印象です。どこか洒落れているようにも見えます。2015.08.31 |
||||||||
獅子山狛犬阿像 ご参照ください |
||||||||
このような形を獅子山と言うそうですが大変素晴らしい石像だと感じました。派手好みの江戸の人にはお似合いの意匠だと思いながら周囲を一周してゆっくりと鑑賞させてもらいました。 これを見ていて、偶然通りがかりに見た下鶴間・氷川神社(埼玉県富士見市鶴間2ー1ー72)の明治26年の獅子山はかなり良い作品だったのだと思いだしています。2015.08.31 |
||||||||
|
||||||||
獅子山の吽像、まるで映画のシーンのようにリアルな動きを感じます。千尋の谷を這い上る子供、それを見守り励ます親、見る人に心の引き出しから様々な思い出を引っ張り出してくれるように感じました。 | ||||||||
外国の人が結構やってきては写真を撮っていきます。それでも私が会ったのは7人ほどですが、浅草から歩いてきた気配です。それともスカイツリーに行く途中なのかとも思いました。2015.08.31 | ||||||||
|
||||||||
|
||||||||
吽像の顔の左側は経年の為に欠落しているようです。2015.08.31 | ||||||||
牛嶋神社境内には多くの石像が奉納されています。大工・久次郎と刻まれた牛の像を見てもしやと思いました。時代小説にはおなじみの牛御前ではなかろうかと。家に帰ってから調べるとやはりここが牛御前と呼ばれる神社でした。私はもっと離れた場所かと思っていましたが幸運でした。 牛の像は大変リアルでじっと見る目に威圧されました。社の左右にありますがこれは右にある像です。 |
||||||||
奉納した大工さんの名前が久次郎と彫り込まれています。牛御前に牛とはやはり江戸の職人さんだと思いました。2015.08.31 | ||||||||
左側の牛の石像です。筋肉の盛り上がりや表情が活き活きとしています。かなり大きな石像です。 これは中々見ごたえのある石像でした。村の近くの坂本観音の小松布孝の牝馬の像を思い出してしまいました。 |
||||||||
今から約300年前の享保年間の狛犬との対面です。このように手を突っ張った狛犬はこの時代にあったことを知りました。2015.08.31 | ||||||||
横川町の人達が寄進したと推測されますが、横川は堅川と共に度々江戸の物語に登場する場所です。隅田川と並行して南北に流れている川でしたが今では埋め立てられてしまったようです。 それは時代の流れで仕方のないことですが、この刻まれた文字を目にして、私は江戸時代の人々の声を聴いたような気分です。2015.08.31 |
||||||||
300年前、どんな石工の人がこの狛犬を彫ったのでしょう。見上げるような目付きがどこか犬のようにも感じます。経年による破損がそれ程見られないかなり綺麗な状態の狛犬に出合えたことは幸運でした。 三囲神社に向かうことにします。2015.08.31
|
||||||||
|
||||||||
向島でも人が混むのはスカイツリー近辺だけかもしれません。この辺りに来ると町は大変静かで昔と同じような気がします。できれば、近い内に更に北にある白髭神社の狛犬を見に行こうかと思っています。 | ||||||||
|
||||||||
禅宗のお寺のようですが生憎工事中でした。大変大きな工事らしく本堂は見る事が出来ません。 | ||||||||
|
||||||||
02/20/2019 | ||||||||
Copyright (C) Oct. 10,2007 Oozora.All Right Reserved. |
||||||||
|