出典:国立国会図書館書誌データ・2024年3月22日取得 https://dl.ndl.go.jp/pid/2542226/1/2 ・縮小・加筆加工 |
上記の当時の地図は”御宿かわせみ”に登場する舞台が見られる大変貴重な”築地外国人居留地”の当時の絵地図です。地名に加筆してあります。 この地図を見るたびに私には物語が生き生きと動き出すような錯覚を起こさせてくれる嬉しい地図です。尚現在はこの絵地図に記された掘割の殆どが埋め立てられていますが、物語を思い浮かべるには十分な地図です。推定した場所が違っている場合もある事をお許しください。
D新・御宿かわせ:”江梨香という女”・P 236・麻太郎が明石橋(俗名・寒さ橋)で江梨香に声を掛けられ16番のバーンズ診療所まで歩く。それを花世に見られる。 *現在の築地川公園北側に軽子橋があった事から築地外人居留地の地図に見える新境橋から続く道が現在の”居留地中央通り”と思われます。 |
2月下旬、体が運ばれそうな強風の中での毎週恒例の土手のジョギングの翌日、近くの歯医者さんへの帰路太腿が痙攣してしまいました。それがきっかけで膝と腰までが痛くなりその症状が中々収まりません。今まで経験した事が無い出来事で整形外科のお世話になりました。それでも無理は出来ず1週間程は薬を飲みながらジョギングを取止めていると歩く事には大きな支障が出なくなりました。近所をテストで歩いても問題は無さそうなので、毎春恒例の中山道から海までジョギングの下調べを兼ねて築地に出かけてみる事にしました。
築地は江戸幕府開港の折の外国人居留地の有った街、加えて私の好みの”御宿かわせみ”の舞台にもなっている場所で以前かから気になっていました。”御宿かわせみ”の物語を胸に浮かべながら築地居留地を尋ね歩けば物語の感動が更に増す事は間違いないと確信して、この機会に散策してみる事にしました。出発は築地の本願寺、築地場外のお寿司屋さんで昼食をとり居留地中央通りに残る記念碑を辿りながら”かわせみ”の舞台であろうと素人の知識で推測した隅田川の川岸にある新川跡までの道を歩いてみました。物語の場所を探しながらの日比谷線・茅場町駅まで約6km程の楽しい散策でした。 居留地中央通りは、聖路加病院が大きなスペースを占めて居る事もあってか観光客で込み合う築地場外とは異質の静かで品のある古い東京の街の風景が広がっていました。行き交う人も殆ど見られない静かな通りの散策を存分に楽しむ事が出来ました。 この地は”御宿かわせみ”の中でも”新”の表題が付いたおるいさんと東吾の次の世代の神林麻太郎や畝源太郎が主人公となる物語の地になります。隅田川を上流に辿る程に江戸の物語の舞台の地に向かう事になります。参考に一部データに写真撮影時の時間を表記してあります。 |
居留地中央通りを北に進んで行くと聖ルカ通りとの交差点の左に瀟洒な佇まいの建物が見えてきました。建物の前に置かれた説明によれば聖路加国際病院の創設者であるドクター・トイスラーの名前が付いた記念館との事です。 2024.03.18
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記念入り口の右にトイスラーの像が嵌め込まれた石碑と説明版が置かれていました。 2024.03.18 |
ドクター・トイスラーの説明部分を拡大してみました。 2024.03.18 |
トイスラー記念館入り口の左にはかってのアメリカ公使館跡の記念碑が見えます。2024.03.18 |
アメリカの国鳥でもある白頭鷲と思われる鳥と11個の星が彫り込まれた石碑が見られます。 2024.03.18 |
説明版を拡大して写してみましたが画像でははっきり読み取れません。更に拡大して説明の概略を下記に記載しました。 安政6年(1859年)タウンゼント・ハリスにより麻布善福寺に創設され最初のアメリカ公使館が焼失後、明治8年(1875年)築地外国人居留地に移転してきたとの説明が見られます。何度かの移動の後、明治23年(1890年)に現在の赤坂に移転するまでアメリカ公使館は築地の外国人教留地にあったと書かれていました。 2024.03.18
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星が13個刻まれた石像はアメリカ建国初期の13週を表しているようです、2024.03.18 |
芥川龍之介生誕の地案内板住所:中央区明石町1−25。静かな佇まいの街の通りに目的の案内版はヒッソリと立っていました。この辺りにも牧場があった事は驚きです。当時すでにそれなりの牛乳の需要があった事が推測されます。芥川龍之介が牧場主の長男として生誕したとの説明に驚かされました。 因みに”新・御宿かわせみ”のP316の”天が泣く”の物語の中ですが、”江戸前”と言われる江戸の東、日本橋界隈に3か所、神田付近に4か所、豪商の町・京橋あたりに8か所牧場がある”と書かれています。物語の中ですがあのお吉も鼻をつまんで飲んでいると書かれていることからも、速やかに牛乳の需要が高まった様子が描かれています。
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静かな通りの反対側には海苔屋さんがあります。道路を渡って海苔屋さんの前から芥川龍之介生誕地の案内板を写してみました。後方の建物は聖路加国際大学です。 2024.03.18 |
カトリック築地教会住所:中央区明石町5−26。築地居留地中央通りを更に南下、居留地通りとの交差点にある先程訪れた”築地外国人居留地跡案内板”まで再度戻ってきました。 その折道路の反対側に見えたカソリック教会を訪ねる事にしました。
2024.03.18 |
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教会入り口に立つ案内板です。この聖堂は関東大震災後、昭和2年(1927年)に再建されたと書かれていました。 2024.03.18 |
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説明版には合わせて入り口に置かれた”江戸のジャンヌ・ルイーズ”と名付けられた由緒ある鐘に付いての説明も見られます。 2024.03.18 |
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通りに面した入り口も、歴史を感じさせる雰囲気で拒絶するような様子が感じられません。吸い込まれるように中に足を運びました。 2024.03.18 |
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1870年代に創建された東京で最も古いカソリック教会との事です。 2024.03.18 |
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人影は全く見えません。受付なども見られないので、入り口から中に入れさせて貰いました。入り口の右側に由緒ありげな大きな青銅製の鐘が目に入りました。これが入口の説明に書かれた鐘のようです。 2024.03.18 |
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教会内部にも説明版が置かれた居ました。明治9年(1876年)フランスのレンヌで作られ、”江戸のジャン・ルイーズ”と名付けられた由緒ある鐘と書かれていました。 2024.03.18 |
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関係者の方が居ればうかがおう思い乍ら、美しい姿の教会からこのままでは去りがたく石段を恐る恐る登ってみる事にしました。 2024.03.18 |
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多分聖ペトロの聖像と思われますがその横に歴史コーナーへの入り口の案内が見えました。聖堂を尋ねた後歴史コーナー見させて貰う事にしました。 2024.03.18 |
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陽が差し込んで所々光を放つ静かな聖堂の前で手を合わせてお礼を申しました。教会の中に足を足を踏み入れさせて貰ったのは,昔しばしば尋ねた英国”ラドロー”のパリッシュ教会に続いてこれで2回目の事になります。 仏教徒ですがと信者の方の許しを得て、見上げる程高いパリッシュ教会の中から尖塔を見上げた事を懐かしく思い出しました。教会の中に身を置いたせいか心が癒されたようです。歴史館を尋ねる事にします。 2024.03.18 |
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小さな館内は江戸時代のキリスト教迫害の歴史の証が見られます。 2024.03.18 |
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金属製の踏み絵のレプリカが置かれていました。説明では当初イエス・キリストやマリアを描いた紙が使用されたいたようですが、損傷が激しい為木製や金属製が使用されるようになったと書かれていました。 2024.03.18 |
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マリア観音像:キリスト教禁教令下の江戸時代のマリア像を思わせる子安観音像。頭部の裏側には十字架が彫られているようです。 2024.03.18 |
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マリア観音の説明文です。 2024.03.18 |
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”懸賞訴人の高札”がありました。 2024.03.18 |
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懸賞訴人の高札の説明文です。 2024.03.18 |
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カトリック築地教会の訪問を終えて居留地中央通りを差更に南に進みます。後を振り返ると証所為学校の行程が望まれます。 2024.03.18 |
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静かで綺麗な街並みが続く築地居留地中央通りを更に北上します。 2024.03.18 |
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473号・新富晴海線を高架橋で越えます。橋の上から新富町方向を眺めてみました。後方は佃大橋で佃島に行けます。 2024.03.18 |
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06/02/2024 | ||||
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