築地居留地中央通から隅田川・御宿かわせみの舞台を尋ねて@ Aへ Bへ Cへ
築地外国人居留地跡案内板

  2月下旬、体が運ばれそうな強風の中での毎週恒例の土手のジョギングの翌日、近くの歯医者さんへの帰路太腿が痙攣してしまいました。それがきっかけで膝と腰までが痛くなりその症状が中々収まりません。今まで経験した事が無い出来事で整形外科のお世話になりました。それでも無理は出来ず1週間程は薬を飲みながらジョギングを取止めていると歩く事には大きな支障が出なくなりました。近所をテストで歩いても問題は無さそうなので、毎春恒例の中山道から海までジョギングの下調べを兼ねて築地に出かけてみる事にしました。

 

築地には江戸幕府開港の折の外国人居留地の有った街、加えて私の好みの”御宿かわせみ”の舞台にもなっている場所で以前かから気になっていました。”御宿かわせみ”の物語を胸に浮かべながら築地居留地を尋ね歩けば物語の感動が更に増す事は間違いないと確信して、この機会に散策してみる事にしました。出発は築地の本願寺築地場外のお寿司屋さんで昼食をとり居留地中央通りに残る記念碑を辿りながら”かわせみ”の舞台であろうと素人の知識で推測した隅田川の川岸にある新川跡までの道を歩いてみました。物語の場所を探しながらの日比谷線・茅場町駅まで約6km程の楽しい散策でした。

居留地中央通りは、聖路加病院が大きなスペースを占めて居る事もあってか観光客で込み合う築地場外とは異質の静かで品のある古い東京の街の風景が広がっていました。行き交う人も殆ど見られない静かな通りの散策を存分に楽しむ事が出来ました。

この地は”御宿かわせみ”の中でもの表題が付いたおるいさんと東吾の次の世代の麻太郎や源太郎が主人公となる物語の地になります。隅田川を上流に辿る程に江戸の物語の舞台の地に向かう事になります。参考に写真撮影時の時間を表記してあります。

築地本願寺 

10:08(撮影時間)・前回参拝の折も昔と異なり多くの観光客の姿が目に入りましたが、今回一段と多く見られる事にいささか驚かされました。特異な寺院の姿が海外の人にも受け入れられるのかもしれません。今回はそれを上回る人達の姿が見られて正に浅草なみだと人の多さに目を見張るほどでした。

最も海外の旅行者に人気の高い築地場外を訪れる折には地下鉄日比谷線の築地駅で降りて築地本願寺の前を通る事になるのですから嫌でもこの特異な建物が目に入る事になるのも一因かもしれません。
2024.03.18

拝殿の石段を登ると参拝の人の列が長く続いていました。列の後ろから手を合わせてお参りをさせてもらいました。

2024.03.18

折角の参拝なので石段の前の狛犬を見させてもらいました。口を大きく開いた右に置かれた吽像、やはり見慣れた石像とはかなり異質で如何にも特異な彫りでどうも私の心に収まりつきません。石像は大形の部類に入ると思います。

2024.03.18

 

左に置かれた口を結んだ吽像、伝馬やペガサスの羽根のイメージなのかもしれないと思いましたが果たして推測が合っているのか分かりません。どちらにしても私の見た狛犬の中ではかなり特異な彫の石像である事は間違いありません。

2024.03.18

右の阿像から左の吽像を写してみました。この方向から見ると、羽根を付けた馬のペガサスのイメージが近いかもしれないと思いました。

特異な寺院の建築様式からもその可能性が高い気がしてきました。

2024.03.18

築地本願寺の境内に季節外れのツツジの花が咲いていました。2024.03.18

 

築地場外・本種

11:31・住所:中央区築地6丁目25−4。下調べした中で昔の風情が感じられる”本種”に向かいました。未だ11時半で昼食に少し間があるせいか外には順番待ちの人の姿がありませんでした。椅子に待つこと僅かで店に入るとかなり狭い店の中は満員でした。

昔は時々場外で食事をするために通ったことがありましたが、その当時は何処の店もお客は本職の魚屋さんがほとんどで私は身を縮めて注文をして大急ぎで食べて出て行きました。ただ、多くが本職の人の舌を満足させる味であったことは記憶に残っています。佇まいは当時の風情を十分感じさせてくれます。2024.03.18

家人が頼んだ寿司¥1,800です。家人が口に合わない鯵のにぎりを食べてみました。寿司の上にのった刺身は切り口は武骨ですが鯵の寿司を口に入れて魚の味が濃いと感じました。薄っぺらではない刺身が魚のおいしさを生み出しているように感じました。

2024.03.18

私が頼んだちらしのドンブリです。やはり魚の美味しさが口中に広がります。加えて甘みを感じさせるシャリの具合が何とも厚みのある刺身の深い美味しさとマッチしています。

美味しさにも嬉しくなりましたが、量の多さにも驚きました。一般的に寿司を食べてお腹が満腹に感じる事はそれほどありませんが、この丼物は食べきれないのではと感じる程です。

メニューにはご飯の大盛りもアラ汁の御変りも自由と書かれていました。寿司で満腹する人も居るんだと今更ながら見てくれの恰好より魚の美味しさに重点を置いていることに感心しました。昔の本職相手の場外のお寿司屋さんに出会ったようで大変嬉しくなりました。

2024.03.18

サービスのアラ汁、味はコクを感じますが上品と言う味噌汁ではありません。私はお代わりをさせてもらいました。味の好みは人それぞれですので断定はできませんが、私はまた訪れたいと思いました。

2024.03.18

吹田商店

12:07・中央区築地4丁目11−1。家人は日暮里で洋裁用の品物を買うというので地下鉄日比谷線の築地駅まで送っていくことにしました。途中大きな乾物屋さんがあったので日高昆布を買うことにしました。

以前は上野アメ横に商売人の方用の乾物屋さんが数軒あったのですが今では観光客が増えたせいか行きつけの店が営業を止めてしまいました。大袋の鰹節の味が絶品でスーパーで買ったものとは雲泥の差です。運良く袋に書いてあった工場に電話してみたところ操業しているとの事、今は工場から買っています。家庭用に使用するだけですが乾物屋さんの減少は大変困っているところです。 この昆布のお店の雰囲気が商売人の人も買うような店に感じられたので立ち寄ってみました。2024.03.18

本職の人用に対応する豊富な品ぞろいです。¥750と手頃な価格の日高昆布を二パック買い込みます。築地に来る楽しみが一つ増えました。

家人を日比谷線の上野駅に向かうホームまで案内してから私は居留地中央通りに向かうことにしました。

2024.03.18

備前橋跡

12:19・住所:中央区築地7丁目1。

御宿かわせみの物語の舞台を尋ねる旅の始まりです。此処まで来ると働く人を含めた地元の方々の姿だけが見られる本当の東京の街の一つの風景が広がっています。

地下鉄日比谷線・築地駅から居留地中央通りに向かって進んでいくと小さな公園の脇に備前橋跡の案内板が見えました。

2024.03.18

数人の人がベンチに座って昼食を楽しんでいます。私もベンチに座って持参のお茶を飲みながら一服する事にしました。

2024.03.18

昔はこの辺りにも隅田川に通じる堀がかなりあったと思われます。この橋は備前・岡山藩邸があった事から備前橋と呼ばれたと書かれていました。

遠い昔、首都高の建設に合わせて銀座一丁目の京橋川等の多くの川が埋めたてられた行った記憶が残っています。

2024.03.18

早速”御宿かわせみ”の物語の舞台が登場してきました。
御宿かわせみ・単行本bR1の”江戸の精霊流し”:” 昼顔の咲く家” 76ページ。

西本願寺横のこの備前橋近くで深川でも屈指の老舗料亭”望潮楼の主・宇兵衛”が殺害されます。備前橋近くの番屋の者がその姿を見ていることから東吾と源三郎が話を聞きにいきます。

 

御宿かわせみの”昼顔の咲く家”96ページに書かれた、殺害された深川の老舗料亭”望潮楼の主・宇兵衛”の辿った道が国立国会図書館の江戸絵図からはっきりと確認できます。古地図が加わり御宿かわせみの物語は、更にその躍動感を増して私の眼前に広がりだしました。現場に立つ東吾と源三郎の姿が目に浮かんでくるようです。私も東吾と源三郎の辿った道を本願寺を参拝してから備前橋に向かって歩きました。

物語に書かれた経路(一部私の推測等を加えました):木挽橋⇒三の橋(*絵図から見ると一の橋ではないかと思われますがたしかではありません。因みに三の橋二の橋より絵図の更に下、隅田川寄りになります)⇒本願寺の手前を左折・北に向かう⇒(本願寺の先で右折・私の推測です)殺害現場の松平内蔵助下屋敷脇の道⇒備前橋

左の江戸絵図の出典について: https://dl.ndl.go.jp/pid/1286660 〔江戸切絵図〕 築地八町堀日本橋南絵図 国立国会図書館・2024年3月26日ダウン・ロード、 嘉永2−文久2(1849−1862)刊。*尚、切り取り加工・名称記入をおこないました。

立教女学院発祥の地跡

12:36・住所:東京都中央区明石町10。備前橋跡から100m程更に道を進むと居留地中央通りとのT字路に突き当たりました。左折して居留地中央通りを210m程北に進むと聖路加国際大学の敷地と思われる公園状の芝生の庭に金属製の記念碑が見えました。”立教女学院発祥の地”文字が刻まれています。

2024.03.18

石の記念碑も合わせて建っていました。

2024.03.18

石の記念碑には1884年(明治17年)に建てられた立教女学院の校舎の絵が見えます。

2024.03.18

文字の説明版には1882年に湯島からこの地に移転したと書かれています。

2024.03.18

この居留地中央通り周辺には多くの記念碑が見られますが、その数が余りにも多く正確の位置が確認できません。取りあえず更に通りを、最終的な目的地・”御宿かわせみ”の舞台となる大川端方向の北へと進んでみました。

大きなビルが立ち並ぶ静かな通りの散策は極めて贅沢な気分を味わう事が出来ます。

 

2024.03.18

築地外国人居留地跡案内板

12:40・住所:中央区明石町5−26。立教女学院発祥の地跡から居留地中央通りに戻り約140m程北に進むと交差点の左角に”築地外国人居留地跡案内板”と石のベンチ、ガス灯等が一塊となった場所がありました。

2024.03.18

通りに立つガス灯の後方の建物は中央区立・明石小学校です。 ガス灯の前には花崗岩で石組されたベンチが置かれています。ベンチの中央部には銅板の説明が取り付けられていました。ガス灯の説明は下記に見えます。

ガス灯の後方に見える美しいイギリス積のレンガ塀は当時の外人居留地時代の物(レンガがと思われます)だと説明版に書かれています。

2024.09.25

花崗岩のベンチは大正15年(1926年)に建設された後方に見える明石小学校の旧校舎で使用されていた石段から作られていると書かれていました。

2024.09.25

イギリス積で作られた美しいレンガ塀とガス灯の説明です。あらゆる分野で開国から近代化への道を突き進む明治政府の意気込みが感じられます。

2024.09.25

中央区立郷土天文館所蔵の築地鉄砲洲景・歌川国輝の当時の絵図ですが少し薄れてしまいはっきりその様子が読み取れませんでした。画像を2分割してみました。
2024.09.25

競って海外諸国が新しい市場の開国日本に進出してきた当時の賑いの様子が分かります。

 

2024.09.25

明治元年(1868年)、この説明版の立つ明石町の一帯に外国人居留地が設けられたと書かれています。この明石町界隈が東吾やおるいが主人公の”御宿かわせみ”の次の世代となる麻太郎、源太郎、花世が活躍する”新御宿かわせみ”の舞台と考えられます。

2024.09.25

 

05/21/2024
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