会津・桜の道を辿る②会津美里町・⑤千歳桜 ①会津若松へ |
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秩父、那須、白河、長沼と桜を辿って北へと向かいながら、季節になったら更に北に向かい会津の桜を見に行こうと思っていました。会津五桜と言われる代表的な古木の一つ、樹齢600年と言われる石部桜も訪ねます。鶴ヶ城の満開の桜を見て会津若松から訪問を大いに楽しみにしていた会津美里町へと向かいます。会津若松の混雑から解放されて静かに神が宿ると畏敬を感じる桜の古木との邂逅です。まず米沢の千歳桜を訪ねます。樹齢700年を超えると推定される米沢の千歳桜は、田圃や畑の点在するありきたりの自然の中に静かにたたずんでいました。米沢の千歳桜住所:福島県大沼郡会津美里町米田字池南乙1777-22013.04.22 |
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説明にある千歳桜に纏わる伝承も大変興味深いものがあります。桜の神秘性がさらに増します。まだ2分咲き程度、まだ花の着かない千歳桜は黒々とそびえるモンスターのように見えます。 |
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花が僅かに着いただけ、黒々とした幹だけが目立ちます。一般的な優しげな桜の木とは少し印象が違います。逆らい難い圧力と神々しさで私をぐいぐいと押してきます。 |
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巨大な桜の周囲を一回りしてみました。裏から見ると花弁がかなり見えます。あたかも巨大なオブジェの様相、桜の花びらが、強烈な個性を和らげるには未だ咲き方が足りないようです。通常、会津若松の石部桜より開花が一週間程度遅いそうです。私達が桜を見ている間3台の車がやってきましたが、花が殆ど見えない為に直ぐに立ち去って行きました。2013.04.22 | ||||||||||||||
会津若松市から千歳桜に向かう途中大きな寺院の横を通りました。真新しい駐車場とトイレがあったので一休みします。福島県観光交流局というと言うところのサイトの説明では、”会津藩主代々の祈願所だったので、歴代藩主も足を運んでいます”と書かれていたので荘厳な寺院にも納得が出来ました。ちょっとした門前町になっていて旅館まであります。深い信仰の地なのでしょう。野口英世博士の母親も猪苗代から毎月お参りに来ていたと書かれていました。普門山弘安寺中田観音寺住所:福島県大沼郡美里町米田字堂ノ後甲147 |
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カーナビに従って宮川に向かって進むと桜並木の土手が見えてきました。その手前のグラウンドの中に大きな満開の一本桜が見えます。車を止めて一部が開けられている金網からグラウンドの中に入っていきます。それが古御田の桜でした。会津美里町の桜のパンフレットに出ていた一つです。偶然に満開の桜を静かに見上げることが出来ました。 桜の横にたつ説明版を見て今はグラウンドとなっているこの地の由来を知る事が出来て、大きな一本桜への親しみが更に増したようです。それにしても華やかな桜です。見ている人は誰も居ません。 |
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桜の幹はかなりの樹齢を示しています。姿がすっきりと風景の中に納まっている美しいシルエットです。宮川の土手に出て桜並木を伊佐須美神社に向かいます。2013.04.22 | ||||||||||||||
土手に延々と続く桜並木、そして1000本桜と称する場所は各地に見られます。全体の景色としての桜です。1本の歳経た桜の古木との対面は、神社仏閣に参拝する気持ちと似ています。少しの緊張、そしてその後の壮快感。 土手の桜を見るのには緊張がありません。ただ、ぼっとして春の宴の中に我が身を入れるだけです。 |
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八代将軍・吉宗の御手植が始まりと伝えられる墨堤の桜並木など東京でも見られる風景ですが、この景色には商業主義が皆無です。提灯も下がっていなければ売店もみられません。 春の清らかな自然の営みが広がっています。私は風に吹かれて無心に桜の下を歩きました。 |
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会津美里町と言う町を寡聞にして知りませんでした。私の暮らす街からは勿論、県境の村からもかなり離れている事から無理のない事かもしれません。北は山形、西は新潟に接している会津地方は如何にも訪れるのに遠い場所にあります。この神社は数年前に火事で全焼してここまで再建が進んだそうですが、非常に荘厳な神域です。会津五桜の一つ、境内にあるという薄墨桜を探してうろうろしますが見つかりません。福島ナンバーの方に伺うと火事からの再建途中で見ることが出来ないとの事でした。鳥居の前が駐車場と大きなあやめ園になっています。宮川と接しているので千本桜も見られます。 |
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あやめ園から神社の鳥居が見えます。東北地方で最も大きなあやめ園だそうです。桜の季節が過ぎればあやめの季節は直ぐです。 | ||||||||||||||
あやめ園のなかほどにうろになった桜の幹から新しい幹が二本上に伸びている珍しい古木が見えました。遠くからも満開の様子、近づくと上部は枯れたようで、樹高こそ低いのですが姿がまとまりを保った美しい桜の古木でした。明るいうちに県境の村まで帰り着きたいので、そろそろ南に向かって戻りながら旅を続ける事にします。次は馬の墓の種蒔き桜です。カーナビにセットして出発です。 | ||||||||||||||
カーナビがゴールの近い事を示す頃、目指す一本桜は畑の真ん中に見えました。大変好ましい事に誰も見ている様子がありません。困ったことに近づく道が分かりません。舗装の道路からかなり離れています。農作業の邪魔になるので農道には止められません。車を数台止めることが出来る砂利のスペースが、どうも馬の墓の桜の為の駐車場ではないかと思われます。此の辺りが”馬の墓”の集落と呼ばれているようです。 | ||||||||||||||
桜を目標にして農道を歩きます。辺りには果樹園が広がって、小さく選定された木の間から一際高い桜が望まれます。あたりに人はいません。桜の立つ場所まで、その空間を独り占めです。贅沢な事です。そしてそれは心が解放された気分です。木の下に立って空を見上げます、桜はただ静かに咲いているだけでした。
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大きな幹にはうろが見えます。ためしに入ってみます。すっぽりと桜に精に包まれた気分です。後を振り返りながら車を止めた場所まで戻ります。辺りの景色から桜色の塊だけが飛び出して空に伸びていました。 これから会津西街道に出て羽鳥湖を経て県境の村に戻ります。 |
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天長7(830)年に弘法大師によって開山したと伝えられているようですが、多分各地にある弘法大師に因む伝承と思われます。それでも非常に古い建立ではあるようです。 首なし観音と呼ばれる石像の秘仏があるとの事です。京の都に清水寺があるのは理解できますが、当時極めて山深いこの地にこのような観音堂があった事は驚くべき事です。その経済力と信仰心の源は何であったのでしょうか。2013.04.22 |
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23日は更に南に向かい南会津町周辺の桜を訪ねる予定でしたが、帰路、湯野上温泉駅の桜を見るとまだ早いように見えました。23日朝、観光協会に電話で確認すると5月初めが満開との事。 今日は久しぶりに花壇と畑の手入れをすることにしました。強風で壊れた塀の修理もやらなくてはなりません。仕事はいくらでもあるのですが、花の咲く頃は、そのチャンスを失するわけにはいきません。どうしても後回しになるのです。2013.04.23 |
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朝、白河農協の直売所”り菜庵”に買い物に出かけます。街のスーパーの半額以下で新鮮で美味しい野菜が買えます。大体の野菜は¥100前後、イチゴはB級品で¥250程度でした。1週間以上は野菜を十分に補給することが出来そうです。 | ||||||||||||||
買い物を終えて帰路に着きます。田んぼの道の先、阿武隈川の土手に桜色の帯が遠望されます。多分桜かと一応確かめに行ってみました。このあたりでは既に桜は終わっています。案の定八重桜の列でした。見る人等皆無です。緩やかな風に吹かれて、何時でも出かける時に持参するポットのお茶を飲んでのんびりと花見です。水路の水が勢いよく流れています。田に水を入れる季節が来たようです。 |
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桜並木は長々と続きます。その目の先に雪が残る那須連山。誰も居ない桜の景色を独り占めしています。ここまで自ら足を運んだ者だけの得がたい贅沢です。 | ||||||||||||||
今回の会津の桜の道を辿る度は当たり外れがあったのは確かです。会津美里町はそれでも懐の深い魅力的な場所でした。薄墨桜、虎の尾の桜は見る事が叶いませんでしたが、それを補って余りある歴史的な建築物に驚嘆するばかり、深い楽しみを得る事が出来ました。町からの走行距離が合計620キロの桜の道でした。2013.04.23 |
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01/06/2021
更新 |
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会津・桜の道を辿る①会津若松 |
会津若松市 |
①石部桜 |
②太夫桜 |
③鶴ヶ城 |
④神指城跡の桜 |
会津美里町 |
⑤米沢の千歳桜 |
⑥中田観音 |
⑦虎の尾桜 |
⑧古御田の桜 |
⑨宮川の千本桜 |
⑩伊佐須美神社 |
⑪馬の墓の種蒔桜 |
⑫左下り観音堂 |
⑬阿武隈川の八重桜 |