山の辺の道の中ほどに立つ道標の石柱 |
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全く勝手な個人的好みなのですが、他人の決めたスケジュールで旅をする事がどうも好みに合いません。従って、団体旅行の一人旅となる家人にはしばしば嫌味を言われるので、出雲と奈良なら行くと言い逃れていたところ、数年前に出雲の旅に引き出されました。これが思っていたより団体旅行も自分勝手に楽しめる事が分かって大いに観光臭の薄い静かな松江の街を大いに楽しむ事が出来ました。 今年の正月はいよいよ奈良と決められて下調べをと思ったのですが、多忙でままならずかって読んだ本の記憶を頼りに慌ただしい出発となりました。お陰で、私の日本の中では尋ねたいと思う出雲や山陰と奈良が繋がり大いに楽しい旅となりました。 無秩序な人の波は奈良市内近くの東大寺と春日大社程度で、多くは神域らしい重厚かつ嫋やかな佇まいの中での社寺巡りを存分に楽しむ事が出来ました。最も楽しみにしていた山の辺の道の散策では地元の方々の親切に助けられヤマトの国の始まりに思いを馳せながら三輪から巻向駅まで一駅分の古道歩きを存分に堪能する事が出来ました。我が身をあたかも大神(おおみわ)神社の大物主大神や7世紀の世界に漂よわせるような中身の濃い思い出が出来ました。帰ってから妻に斑鳩なら又行っても良いと申し出たほどでした。 |
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正月のヤマト逍遥 |
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大神神社住所:奈良県桜井市三輪1422。 今日は旅の中での自由行動の一日です。午前中に山野辺の道を散策、午後からは奈良市内の東大寺、春日大社等を時間の範囲内で参拝する予定です。そのなかでも三輪の大神神社から山野辺の歩き巻向古墳へ向かう前半が最も大切な旅になります。多忙の中、時間はほぼ今日の自由行動の一日の計画作成に費やされたと言いえます。 今回の奈良への旅で最も楽しみにしている山野辺の道を歩くので朝一番の時間に食堂に向かいました。。 2034.01.03 |
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大神神社 |
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7:55・JR奈良駅に向かうべくホテルを出発、通りには未だ観光客の人の姿は見られません。 2034.01.03 |
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奈良県のマスコット・”せんとくん”が奈良駅ホームの広場に置かれていました。家人がどうしても一緒に写真を撮りたいと言うので人の姿が無くなってから大急ぎでシャッターをおしました。高さが1m30cm程かも知れません。 2034.01.03 |
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8:30・JR万葉まほろば線で桜井駅に向かいます。ゆっくり座席に座り辺りの風景を存分に楽しむ事が出来ました。 2034.01.03 |
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9:10・桜井駅に到着、ホームに降りて出口を探します。人の波が通り過ぎるの待って、一つ手前の巻向駅方向に進んでいる残りの降車客の後から付いて行きました。 驚く事にホームの端まで来ると左の大鳥居方面から長い人の列が踏切を渡って続いていました。多くが地元の人達のようで整然と鳥居の方向に列が続きます。思っても居なかった事で、道路脇の溜池の側で持参のポットからお茶を飲んで心を落ち着けます。私の計画では山野辺の道の出発点で手を合わせて旅の無事を祈ると想定してのです。後から調べると大神神社のただならむ創建の歴史と営々と続いてきた人々の大切な祷りの場所である事を知りました。 参拝の人々の列に入らせてもらって緩やかに坂を登りました。それにしても最初からヤマトの神からなんと大きな贈り物をいただいた事かと幸運に感謝しました。 2034.01.03 |
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9:15・参拝の人の流に従って大きな社にやって来ました。手を合わせて旅の無事をお願いしました。人込みで関係の無い人が写り込むといけないので暫くカメラの操作を中断しました。
2034.01.03 |
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9:24・山野辺の道への入り口を探して境内を歩いていると健康と病気平癒の神様である狭井(さい)神社に向かう”くすり道”の入り口にやって来ました。更にこの道を緩やかに登って行くと山野辺の道への入り口に続く大美和の杜展望台の下に出ました。 これで一安心、山野辺道入り口近くにある大直禰子(おおたたねこ)神社(若宮社)を目指して道を下ります。
2034.01.03 |
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大直禰子(おおたたねこ)神社 | ||||
9:36・大直禰子(おおたたねこ)神社住所:奈良県桜井市三輪177。 大直禰子(おおたたねこ)神社は大神神社の摂社の一つのようでこの小さな社の前を通って大神神社の参拝に向かう人がかなり見られます。道脇に地元の農家の人が細やかな売店を出していました。如何にも手入れして作った風の干し柿が見えたので5個程買いました。家人は里芋を買いました。この干し柿が極めて品良い甘さと口当たりでもっと買っておくべきだとホテルに帰ってから地団駄踏んだ事は楽しい思い出です。境内で参拝を済ませて入り口方向の氏子の方々の街が望まれます。 2034.01.03 |
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下調べて狛犬が奉納されている事が分かっていたので初めて見る奈良の石像を楽しみにして参拝に訪れました。鳥居の前には二つの石像が見えます。 2034.01.03
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右に置かれた石像は口の開き具合からみて阿像のようです。一般的な阿吽像の並び方でした。一見して豊かな毛並みが掘り込みから見て取れます、それが全体に膨らみを与えているようです。 2034.01.03 |
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左の石像は口の開きが小さなことから吽像と思われます。阿像と同じく毛並みの豊かさが表現された石像です。 2034.01.03 |
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右に置かれた阿像の後ろから吽像方向を写しています。尾が立った意匠は、東京の狛犬ではお目にかかりますが私の馴染みの県境の村の狛犬とは異なります。 2034.01.03 |
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台座に彫り込まれた奉納年月日は明治43年(1910年)らしき文字が見られます。年代が正しいとすると100年以上の歴史を刻んだことになりますが状態は良好だと思います、そして尾の立った意匠も納得が出来ます(この地方の狛犬の特徴かも知れませんが)。 由緒ある神社での参拝と初めて狛犬との出会い、かなり幸先の良い旅の出だしとなりました。いよいよ今回の旅の大きな目的である山野辺の道への散策を開始する事にします。目指すは一駅奈良寄りの巻向駅です。2034.01.03 |
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鳥居を潜り再度拝殿に向かって手を合わせました。これからの山野辺の道の散策が迷うことなく達成できることをお願いしました。 2034.01.03 |
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9:48・大神(おおみわ)神社から小高い丘の下を通って大直禰子(おおたたねこ)神社に下った道を再度登り直します。 丘の上から眺める奈良盆地の美しい風景に歓声が出そうです。ヤマトの国の始まりの地を眺める事が出来ました。 2034.01.03 |
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9:54・先程参拝をさせて頂いた大神(おおみわ)神社の説明が書かれていました。この辺りには大神神社の摂社がかなりあるのでこの小山もその一つかもしれないと推測しました。
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三輪山を しかも隠すか 雲だにも こころあらなむ 隠くさふべしや 天智天皇の6年(667年)、都が飛鳥から近江に遷都されます。近江大津宮に下向する額田王が詠んだ三輪山への別れの歌をうろ覚えらがら思い出します。もしかしたら山の辺の道をかすめたかもしれないなどと他愛もない妄想を楽しみました。 2034.01.03 |
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10:13・展望台を過ぎて山の野辺の道の標識が現れます。更ににすすむと人影がぱったりと途絶えてしまいました。道端に農家の人が無人販売所がありました。果物好きの家人がミカンを一袋購入しました。2034.01.03
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10:15・神社の赤い鳥居が小高い登り道の先に見えます。後から調べると蓮池が見られるそうです。今回は時間がないので山の辺の道を更に進む事にしました。 2034.01.03 |
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10:16・太い道に合流しました。道しるべに従って右に折れて緩やかに上ります。 2034.01.03 |
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10:24・グーグルマップによれば玄賓僧都(弘前仁9年・818年没)が隠棲した庵で”玄賓庵”と呼ばれる建物に出ました。綺麗に再建されているような建物に向かって山野辺の道は右の砂利道に続いています。 2034.01.03 |
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10:27・無人の”玄賓庵”の脇に小流れ見えました。石垣の上から流が落ちていました。流れる水を口に含んでみました。持参のポットのお茶を飲んで一息入れました。 2034.01.03 |
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10:32・説明文などで見ていた古道らしい雰囲気の道脇に石碑が立っていました。 2034.01.03 |
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10:48・檜原神社に到着しました。神社の写真を撮り忘れたか削除してしまったようです。T字路には休憩所があります。 私達は此処から山野辺の道から坂を下り巻向駅に向かいます。 2034.01.03 |
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10:49・井寺上池が右手に現れてきました。柿本人麻呂の歌碑がある訳ですが見付かりませんでした。 2034.01.03 |
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10:51・池の石の上に白い鳥が体を休めているのが目に入りました。神様だらけの山野辺の道で出会ったこの鳥もまさかそのお使いではないでしょうか、嬉しいプレゼントに出会って嬉しくなりました。 2034.01.03 |
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11:09・國津神社住所:奈良県桜井市箸中1128。下調べで狛犬が奉納されているのが分かっていたので親切な地元の方に道を聞きながら楽しく参拝することができました。 2034.01.03 |
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國津神社に奉納されている狛犬は若干小型のサイズにみえます。此方は右に置かれた阿像と思われる狛犬です。先程の大直禰子(おおたたねこ)神社の狛犬と同じく足下に子供や玉などが無い作りが見えます。 2034.01.03 |
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左に置かれた吽像の後ろから阿像を写していますが尻尾の形がやはり立っているような意匠です。 2034.01.03 |
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左の吽像、しずかな眼差して参拝の人を見つめているようです。台座等を探しましたが年号等を見つける事が出来ませんでした。もしかすると明治から大正の造りではないかと推測しています。 2034.01.03 |
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参拝をさえていただいてから鳥居の先を写しました。氏子の方々の普段の暮らしが広がっていました。2034.01.03 | ||||
11:18・往路撮ったJR万葉まほろば線のガードをくぐって反対側の道に出ると電車が巻向駅を出て三輪駅に向かっていきました。2034.01.03 |
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11:21・集落の道の脇には森で覆われた箸墓古墳が続きます。 2034.01.03 |
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11:25・巻向駅に向かって進みます。箸墓古墳を振り返ってみました。 2034.01.03 |
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纒向遺跡見学者用のトイレがありました。メクリ1号墳跡・纒向遺跡等と地図には書かれていますがはっきり区別が出来ません。 2034.01.03 |
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11:37・JR万葉まほろば線の桜井駅方向の電車駅に到着しました。駅に隣接する踏切に数人の人が集まっていましたが鉄道マニアだったようです。 2034.01.03 |
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11:41:奈良市方面の電車の到着には未だ少し時間があるようなので駅の近くを歩いてみました。先程の箸墓古墳近くで観られたどっしりした家並は見られませんでした。JAの支店がみえます。 2034.01.03
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JAの建物の空き地に”朝臣柿本人麻呂公屋敷跡”の石柱が立っていました。 巻向の 山辺とよみて 行く水の みなあわの如し 世の人われは
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纏向遺跡は単なる過去の遺物ではなく、生き続けている歴史の産物です、それが私を惹きつけます。電車は単線でしょうがこの駅も過去と未来の間を毎日生き続けているのです。
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奈良駅に向かう電車がやってきました。踏切近くの人達がシャッターを押しています。私も長い歴史のページの中を進んでくる電車にカメラを向けました。 2034.01.03 |
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電車が奈良駅に向かって巻向駅を北に向かって発車しました。すぐ進行方向左側の車窓から石柱が林立する場所が見えます。南北約1.5km、東西約2kmと広大に広がる纏向遺跡の中に電車が走り人々の暮らしが続く驚くべき場所です。 2034.01.03 |
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最後にまた驚きの贈り物をもらいました。 奈良駅の一つ手前の駅の名前が”京終”と書かれていて少し驚きましたがそのフリガナが”きょうばて”と書かれているのを見て我が目を疑いました。 2034.01.03 |
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奈良を旅して未だ二日目ですが私の年月の感覚がおかしくなりました。この地の人達は少なくても1600年近くの歴史の時間の上に暮らしてきたことになります(今も暮らし続けているのです)。私の人生の時間など数秒にも値しないことになります。慌てても仕方が無いと思いきる以外ありません。 2034.01.03 |
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05/29/2024 | ||||
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