室生寺・国宝五重塔・奈良時代に建立された塔で法隆寺の五重塔に次ぐ古い塔 |
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全く勝手な個人的好みなのですが、他人の決めたスケジュールで旅をする事がどうも好みに合いません。従って、団体旅行の一人旅となる家人にはしばしば嫌味を言われるので、出雲と奈良なら行くと言い逃れていたところ、数年前に出雲の旅に引き出されました。これが思っていたより団体旅行も自分勝手に楽しめる事が分かって大いに観光臭の薄い静かな松江の街を大いに楽しむ事が出来ました。 今年の正月はいよいよ奈良と決められて下調べをと思ったのですが、多忙でままならずかって読んだ本の記憶を頼りに慌ただしい出発となりました。お陰で、私の日本の中では尋ねたいと思う出雲や山陰と奈良が繋がり大いに楽しい旅となりました。 無秩序な人の波は奈良市内近くの東大寺と春日大社程度で、多くは神域らしい重厚かつ嫋やかな佇まいの中での社寺巡りを存分に楽しむ事が出来ました。最も楽しみにしていた山の辺の道の散策では地元の方々の親切に助けられヤマトの国の始まりに思いを馳せながら三輪から巻向駅まで一駅分の古道歩きを存分に堪能する事が出来ました。我が身をあたかも大神(おおみわ)神社の大物主大神や7世紀の世界に漂よわせるような中身の濃い思い出が出来ました。帰ってから妻に斑鳩なら又行っても良いと申し出たほどでした。 |
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正月のヤマト逍遥 |
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1月3日午後の奈良市の差散策のマップを添付申し上げました。ルート:興福寺⇒氷室神社・春日野町1−4⇒東大寺⇒春日大社⇒奈良町散策・奈良市勝南院町住吉神社⇒元興寺⇒率川(いさがわ)神社 | ||||
長谷寺住所:奈良県桜井市初瀬731−1。 長谷寺に向かってバスが進んでいきますが、何処か山国のような気配の道が続きます。詳細な境内地図の付いた長谷寺の詳細な案内書。
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11:34・石段の上に仁王門が出迎えてくれました。陽気も良いせいかかなりの参詣の人が仁王門を潜って参拝に向かっていきました。 2024.01.04 |
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明治22年に再建された仁王門を見上げながらツアーの同行の人々と共に案内のガイドの方について境内に入りました。 2024.01.04 |
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11:38・登廊(のぼりろう)と呼ばれる趣のある木製の階段を登り本堂に向かいます。登廊下の左の石垣の段々にボタンの花が咲いていました。霜除の藁帽子の中で花弁を開かせてくれていました。 2024.01.04 |
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11:39・少し登ると右側にかなり本格的な石組の段々畑が見えてきました。ほぼ全ての段にボタンの花が見えました。 2024.01.04 |
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11:41・趣のある階段を緩やかに登ります。吊り下げられた長谷型灯籠が更に風情を加えてくれているようです。 2024.01.04 |
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11時44分・登廊を一曲がりして登り切ると本堂の前に出ました。本堂脇に立つ石柱に”国宝 本堂 慶安3年(1650年)建立”等の文字がみられます。因みに徳川家光の時代ですが家光は慶安4年に死去しています。 2024.01.04 |
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本堂の脇に”時の貝”の説明が立っていました。清少納言を驚かせたと書かれているホラ貝の音を聞く機会に恵まれなかったことを残念に思いました。 2024.01.04 |
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本堂は澄み渡る外気の満ちた山の中腹の高みに建っています。
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11時50分:本堂で本尊の十一面観世音菩薩に手を合わせて祈りました。扁額には”大悲閣”の文字が見えます。 2024.01.04 |
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11時53分:山の斜面に懸造りで伸ばされた舞台の見晴らしは特筆ものです。眼下に広がる寺院の伽藍や参道の家並み、取り囲む山々が景色を生き生きとした空気で包んでくれているようです。 加えて人混みが見られない事があります。参拝の人の姿は見られますが、奈良町の混雑とは異なり程よい参拝の人達の姿が見られるだけです。 これから尋ねる五重の塔が眼下に望まれます。 2024.01.04 |
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11時58分・五重塔を目指して上の参道を歩きます。弘法大師・御影堂(みえどう)の案内板の立つ御堂の前に立ちました。
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説明版を読ませてもらってから手を合わせてお参りをさせていただきました。奈良の旅も終わりが近づいてきました。出来る限り多くの仏様に手を合わせたいと思います。 2024.01.04 |
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12時1分:室町時代末期の1561年(永禄4年)に再建された一切経堂が小山の上に鎮座していました。御堂の前で心から旅のお礼を申して手を合わせました。 2024.01.04
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12時8分:本堂の舞台から眺めた五重の塔の前にやって来ました。美しい作りで空に向かって立ち上がっています。 2024.01.04 |
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五重塔の前の説明版を見て綺麗な姿の理由が理解出来ました。かってあった三重塔が消失して昭和29年(1954年)に再建されたと書かれていました。 2024.01.04 |
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再建された五重塔の前に三重塔址の石柱が立っていました。バスの時間も心配なので此処から石段を下って仁王門に戻る事にしました。
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12時17分:石段を下ると奈良のお寺でしばしば目にした美しい校倉造りの六角堂(写経堂)が道の脇に見えました。 2024.01.04 |
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眼下に広がる門前町の長閑な正月風景を楽しみながら坂を下って仁王門に向かいます。緑の山が穏やかな彩をそれてくれていました。 2024.01.04 |
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12:42・参道に続く店が並ぶ路地に入ってみました。それ程観光客用の雰囲気が少ない静かな路地に感じました。一応地元の人も入ると思われる雰囲気の店が路地の終りの人家が並ぶ角に見えます。ここなら観光客専門の店ではないと思い中に入りました。吉野館の名前が旅館のような感じもします。 2024.01.04 |
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中に入ると予想通り地元の方も入る店に見えます。時間が無いので一番早く出来るソーメンを頼む事にしました。 これが今回の旅の中で最も美味しい地元の味でした。妻と最後の昼食で美味しい”にゅうめん”(暖かいソーメン)に出会ったと大いに喜びました(最も正月で殆どの地元の店が休みで、開いていたのは所謂チェーン店のみではありました)。品の有る盛り付けを見たときはこれはと思いましたが思った通りでした。 店の方も大変親切で美味しかったとお礼を言って店を出ました。価格も観光客用ではない普通の価格でした。 2024.01.04 |
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室生寺住所:奈良県宇陀市室生78番地。いよいよ旅の終りがやって来ました。迫りくる寂しさを振り切って女人高野とも呼ばれる室生寺の仁王門に向かいます。 2024.01.04
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1時45分:これから向かう室生川に掛かる赤い太鼓橋方向を写しました。室生寺の仁王門は太鼓橋を渡った対岸にあります。 2024.01.04 |
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1時50分:一際美しく感じられる赤い仁王門、女人高野とも呼ばれる室生寺らしい造りだと見上げてみます。右には赤い仁王像、左は青い仁王像、私にはかなり珍しく見える木像です。 2024.01.04 |
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かなりの参拝の人の列が続くので辛うじて左の青い仁王像を写してみました。 2024.01.04 |
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14時9分:如意輪観音菩薩を見ようと本堂に登りました。大らかなお姿の木像に手を合わせて頭を垂れました。 2024.01.04 |
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如意輪観音菩薩を見ようとかなりの数の参拝の人が手を合わせているので一旦時間をずらして訪れる事にしました。 2024.01.04 |
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14時13分:本堂に沿って石段を登って進むと美しい五重塔が見えてきました。奈良時代に建立された塔で法隆寺の五重塔に次ぐ古い塔だとの事です。屋外に建つ塔としては最も小さな塔はその故に纏まりの取れた建造物に見えます。 2024.01.04 |
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ほぼ国宝の五重塔と同じ地面から見上げています。 2024.01.04 |
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2時14分:五重塔の立つ右側の山の斜面に小さなお堂が見えます。”修円僧都の廟”の案内板が見えます。室生寺の創建に関与した平安時代の僧”修円”お墓との事です。 遠くから手を合わせました。 2024.01.04 |
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2時19分・奥の院に行こうかとも思いましたがバスの時間が気になるので諦めて五重塔から引き返す事にしました。旅の終りがいよいよ現実のものとなってきました。美しい五重の塔に思いを込めてカメラのシャッターを押しました。 2024.01.04 |
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2時22分:五重塔から石段を下ります。重厚な室生寺本堂の大きな屋根が広がっていました。少し人混みが引いたようのなので再度”如意輪観音菩薩”を見たく訪れる事にしました。
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2時23分:人の波が無くなったので如意輪観音菩薩をゆっくり見る事が出来ました。
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天候に恵まれた奈良の旅のお礼を申し上げて手を合わせました。これで踏ん切りが着きました、街の普段の暮らしに戻る事が出来そうです。 2024.01.04 |
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静かに建つ国宝の金堂が目に入りました。柿(こけら)葺きの木の板が美しい屋根の柔らかな線を生み出しているようです。平安時代初期の建立のようです。 堂内に安置されている国宝の釈迦如来の木造の前で手を合わせたと思います、残念ながらその記憶があいまいです。 2024.01.04 |
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室生寺の伽藍は優雅な趣の柿葺きの屋根が複数みられます。この弥勒堂も柿葺きの親しみを感じる御堂です。参拝の人の姿が見えなかったのでお祈りをさせて頂きました。 2024.01.04 |
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2時34分:仁王門迄戻ってきました。出発時の混雑が嘘のように静まり返っていました。仁王門の前で手を合わせて最後のお礼をもうしました。
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仁王門の前に植えられたシャクナゲの蕾が咲き出していました。 2024.01.04 |
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2時41分:受付を通って太鼓橋に向かおうとして何気なく右手を見ると庭園らしき中に道が通じていました。 2024.01.04 |
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2時45分・:静寂に満ちた庭の中の参道を進みます。護摩堂の前にきました。 2024.01.04 |
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南天の真っ赤な実が寺院の庭らしい簡素な美しさを醸し出していました。 2024.01.04 |
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2時36分:庭の奥まで進んでみると伽藍が見えてきました、その前に”女人高野”の石柱が立っていました。帰宅後調べると室生寺の慶雲殿でした。 誰一人人影の見えない静寂の庭と伽藍の前で最後のお礼を申し述べました。旅の最後の最後に素晴らしい贈り物を頂いたようです。 2024.01.04 |
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室生寺の説明版。 2024.01.04 |
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2時43分:太鼓橋を渡りバスの駐車場に戻る事にします。左には室生寺の門前町の家々が軒を連ねています。背景には空を分断するような山脈が続いています。 幾多の伽藍を訪ねた奈良への旅は極めて思い出に残る良い旅だったと最後に橋の上で手を合わせてバスへと向かいました。
2024.01.04 |
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長い正月の奈良への旅が終わりの時を迎えて、3日間の旅とは思えない濃密な歴史の旅を堪能しました。多くの寺院が観光とは一線を画して迎えて呉れた事は良い思い出となりました。果たして実現が可能かは不明ですが、出来れば再度北部の奈良の町を訪ねたいと思い巡らしているところです。 夕闇の迫る奈良の街の風景を楽しみながら過ごすだけで家に戻る事が出来ます、団体旅行の有難さを思い知らせた今回の旅でした。 2024.01.04 |
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03/03/2024 | ||||
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