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永井荷風・墨東綺譚(岩波文庫)・挿絵 木村荘八2022.11.01 ()無断転載

昔の東京の地図を探して古書店を訪ねましたが古地図などは皆目見当たりませんでした。その代わり本棚に並ぶ大変綺麗な岩波文庫の墨東綺譚を見つけました。

ページをめくると木村荘八の絵が物語の情景を思い浮かべる大きな助けになる本にすっかり魅了されて既に一冊あるのですが思わず購入してしまいました。

2022.11.01

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墨東綺譚の町を歩く 一回目
樋口一葉・たけくらべの町から永井荷風・墨東綺譚の町を辿るマップ

今回は”たけくらべ”の町から墨東綺譚の町の順序で尋ねてみることにしました。私が今までの東京の町を歩いた中でも、もしかすると最も密度の高い散策の一つだったのではと思いました。町々の風景に重ねた物語からの感動が心に溢れるほどに深まったようです。

2022.11.01

鷲神社

鳥居をくぐると参道の両側に沢山の熊手が並んでいました。幸運にも江戸の物語でもしばしば出てくる鷲神社の酉の市の準備に出くわしたようです。

家に帰ってから連絡した浅草に住む後輩の話では今年の鷲神社の酉の市は11月4日(金)、16日(水)、28日(月)と三の酉まであるそうです。そして三の酉まである年は寒いと言われていると話してくれました。

偶然にも今年はたけくらべの物語と同じく三の酉まであるのも不思議なめぐりあわせです。

”此年三の酉まで有りて中一日はつぶれしかど前後の上天氣に大鳥神社の賑ひすさまじ・・・”

2022.11.01

鷲神社の御由来、これを読んで11月に酉の市が執り行われる由来が分かりました。

2022.11.01

狛犬巡りでしばしば目にする四手や注連縄が付けられる由来も書かれていて興味深く読みました。

2022.11.01

参拝の人の姿が見られない本殿でお参りをさせてもらいました。本殿でも酉の市の用意が始まったようです。

2022.11.01

参拝が終わり本殿から入口の鳥居方向を眺めています。11月4日の酉の市では多くの参拝の人の波で参道が埋まる事でしょう。

2022.11.01

持ち込まれた沢山の熊手の類が無造作に置かれていました。これから飾り付けの作業がさぞかし念入りに行われるのでしょう。

それが終わった熊手の中からお気に入りを探す参拝の人々の熱気が辺り一杯に満ちる様子は、しばしばテレビ等で目にする年末まじかの恒例の風景です。

2022.11.01

飾り付けの重みで形が崩れるのでしょうか、大形の熊手は台に立てかけられていました。

2022.11.01

幸運にも大変珍しい鷲神社の酉の市の準備段階の様子がゆっくり見られました。

2022.11.01

 
新吉原花園池(弁天池)跡 前回・2018.02.13

鷲神社の参拝を終えてから吉原神社の別院の新吉原弁天裏の道を通り花園通りに向かいます。

今回は吉原神社を参拝する時間がないので観音像の前で手を合わせて祈りました。

2022.11.01

関東大震災で490人の人が池に逃れて溺死した慰霊の観音像が美しいお姿で自然石の石組みの上に祀られています

 

2022.11.01

花園通り(鉄漿溝跡)

吉原弁天から僅かで中央に分離帯のある花園通りに出ます。人通りの少ない静かな道を土手通りを目指して歩きます。花園通りはかっての鉄漿溝の跡と聞いていますがその遺構の痕跡は見られません。

2022.11.01

花園通りと京町2丁目通りの交差点からかっての吉原の中心部である仲之町通り方向を写しています。花園通りとの角にユニークな模様が壁に書かれた建物が目に入りました。

2022.11.01

土手通りが近かくなると分離帯がなくなり道幅が狭くなってきました。

2022.11.01

 

再度分離帯が見えてきました。花園通りの土手通りに向かう左側に噂だけは聞いていたそれらしい建物が並んでいる一帯の前を進みます。昼間のこともあってか歩いている人は殆ど見られません。
2022.11.01

土手通りと花園通りの交差点が見えるあたりで大きく道が広がります。一葉記念館で展示されていた地図からこのあたりが(その地図の⑧の位置)かっての”田町”と呼ばれていた場所ではないかと思います。

今回のたけくらべと墨東綺譚の町巡りに出る前は、この花園通りの右側辺りが、”たけくらべ”のクライマックスである信如が突然の強風と雨で美登利の暮らす妓楼・大黒屋の寮の前で鼻緒を踏み抜き慌てる舞台ではないかと思っていました。

 

2022.11.01

樋口一葉・たけくらべの町から永井荷風・墨東綺譚の町を辿る①に掲載の一葉記念館の地図を再度載せてみました。

この地図を見てから物語の美登利の家は、推定していた花園通りの近くではなく、大門の北側の⑤の辺りではないかと思えてきました。

千束稲荷神社樋口一葉記念館樋口一葉旧宅跡大音寺日本堤・土手下の細道日本堤山谷掘田町

地図上の⑧のかっての田町の辺りの街並みを見ています、ビルの間からスカイツリーが望まれます。この時は一葉記念館の地図をはっきり見ていないので美登利の家はこの辺りに設定されているのかと思っていました。

上の地図を見て⑤日本堤・土手下の細道 がその舞台としたのではないかと思えてきました。最もどちらも素人が推測を楽しんでいるので違っている可能性が高いでしょう。

 

2022.11.01

山谷掘跡

土手通りを横切り山谷堀の遺構を見ることにします。墨東綺譚の中で主人公が山谷堀の吉原大門近くの町の裏通りある古本屋を訪ねる話の舞台に登場する場所です。

墨東綺譚では、裏通りは山谷堀に沿った片側町で、対岸は人家の裏面に限られ、土木関係の問屋があるが、夜は正法寺橋、山谷橋、地方橋、髪洗橋等の灯が僅かに道を照らすばかりと書かれています。

2022.11.01

説明版には日本堤が築かれたのは新吉原が出来る明暦3年(1657年)の37年前の元和6年(1620年)と言われると書かれています。

日本堤の土手の西に新吉原、東には山谷堀、更にその東に隅田川、正に水の流れが直ぐ近くに見られる場所でした。

この案内板から南方向・浅草方面に向かって歩くことにしました。橋の遺構が次々に現れます、かってはそれだけ橋を必要とする人々の家が立ち並んでいたことを示しているのかもしれません。

2022.11.01

最初の地方橋(じがたばし)を初め、全て新しく作られたと思われる橋の一部を模したコンクリート製の標識として残されているように感じました。標識に嵌め込まれた来歴として下記の文字がみられます。数字部分は省きました。

本橋ハ帝都復興事業トシテ改築シタルモノナリ
起工 昭和四年四月
竣工 昭和四年八月
工費 弐萬四百圓

 

2022.11.01

山谷堀は全て暗渠となり今は公園になっています。地方橋の公園の浅草方向にはスカイツリーが見えます。

2022.11.01

かっての橋の場所はアスファルトの道路となり地方橋通りの標識が立っていました。。

2022.11.01

更に浅草方向に公園を歩きます。次の橋の標識には”地方新橋”の文字が刻まれていました。少し広めの公園の名前は山谷堀公園の標識が見られます。

2022.11.01

新吉原の案内板が見られます、説明の概略を下記に書きました。

”明暦の大火(1657年)後に、幕府の命で日本橋にあった吉原が浅草北部に移転、新吉原と呼ばれるようになる。最盛期には遊女3,000人と呼ばれる盛況の地でした。”

 

 

2022.11.01

紙洗橋の標識が見られます。確か紙漉き作業の折水で洗う事から付けられたと読んだ記憶があるので調べると多くの人が詳しく書いているデータがありました。古紙を再生するとの事、佐伯泰英の”吉原裏同心”にしばしば登場する浅草弾左衛門の事が頭に浮かびました。

 

2022.11.01

墨東綺譚では建物で一方が塞がれた片側町と書かれていますが確かに往時の写真でもその様子が見られます。説明版には昭和51年(1976年)頃から暗渠化されたと書かれています。

2022.11.01

山谷掘跡の公園の最も南、浅草方向の山谷堀橋に到着、此処から見る限り公園は此処で終わっているようです。しばしば江戸の物語の登場する山谷堀の跡を歩く事が出来ました。

加えて墨東綺譚の荷風の物語の舞台も訪ねる事が出来ました。その舞台はここより北側の大門近くになりますが、帰路主人公は巡査に呼び止められて荷物を調べられることになります。古本と、古本屋で出会った人から買った赤い長襦袢を見とがめられてることになります。

馬場通りに戻り都バスで浅草に出る事にしました。

2022.11.01

浅草雷門で都バスを下りて前回開店前に尋ねた、昔しばしば訪れた鰻屋さんで昼食を食べようと訪ねてみました。残念ながら店舗改築の為か暫く休業の案内が張り出されていました。諦めて東武伊勢崎線・浅草駅から2回目の墨東綺譚の町の散策の為に東向島駅前に向かう事にします。 

雷門通りはかなりの観光客で混雑しています、急いで駅へと向かいました。

2022.11.01

浅草駅から電車に乗ると直ぐ隅田川を渡ります。隅田川の河口方向を目指して下っていく荷船とその先に墨東奇譚で主人公が警官に尋問を受ける派出所のある言問橋が見えます。

山谷堀際の古本屋で古雑誌と店を訪れた人から長襦袢を買い風呂敷に包んで公園で包み直していると巡査に尋問を受け言問橋際の派出所に連れていかれます。派出所の場所は隅田川の右岸・浅草側、写真の左側になります。
2022.11.01

今ではかなり馴染みになった気がする東向島駅で降り駅前の”東向島粋通り”を鐘ヶ淵駅方向に進みます。墨東綺譚の中で旧京成電車駅の痕跡を探しましたが全く分かりません、路地の太さなどから前回もここでは思った道を辿ってみる事にしました。

 

 

2022.11.01

工事の車が退いた路地に入り、東向島粋通り方向を眺めてみました。この辺りの路地ではやはりかなり広い事と位置などから京成電車の駅跡の可能性が高いかもしれないと思いました。

2016.04.12

 

東向島駅前の東向島粋通りにある”逢来軒”というラーメン屋さんが地元のお店らしい佇まいなので昼食を摂る事にしました。最もシンプルな醤油ラーメン¥600を頼みました。店は昼過ぎですが3組ほどの地元の人が昼食を楽しんでいたので期待が出来そうだと選択した事を自画自賛しました。

出来上がったラーメンは懐かしいラーメン、出汁も大変円やかでこれはと思わず喝さいを叫びました。チャーシューも円やかでソフト、大変美味です。何より近頃ラーメン独特の臭いが少し気になって居たのでラーメンを避けていました。それが殆ど感じられない事が嬉しく感じました。

久し振りに美味しいラーメンに出会いました。

2016.04.12

二度目となる墨東綺譚の舞台にやって来ました。5差路の交差点から当時”賑い本通り”とも呼ばれた道を正面から眺めてみました。

2022.11.01

”賑い本通り”の更に左にいろは通り(大正道路)が見えます。今では東京大空襲で全てが消え去り当時の気配は微塵も感じられませんが、この二つの道の間がかっての墨東綺譚の舞台であった場所です。

目的の路地の入口を20m程通り越して次の目的地・和菓子の梅林堂さんに向かいました。

2022.11.01

今回も店には地元の方が訪れていました。果たして豆大福が残っているか心配になります。

2022.11.01

今回、家人も大変気に入った豆大福を6個買いました。ショーケースを見るとどうも残りが少ないようで危なく買い損なうところでした。

2022.11.01

路地に入る入り口の前に戻り、右に曲がりました。

2022.11.01

路地の中にはかってのドブが暗渠の中に閉じ込められたように点々とマンホールが見られます。墨東綺譚にしばしば登場する、人がすれ違えない程細い路地が現れ、果たして個人のお宅の庭か道か区別がつきにくい路地も見られます。

2022.11.01

路地を左に曲がり進みます。個人的な推測ではこの路地の左が墨東綺譚の舞台ではなかったかと推測しています。静かな路地を私も出来る限り静かにしながらお雪さんと主人公の物語を頭に浮かべながら通り過ぎました。

2022.11.01

路地を抜けてかっての賑い本通りと呼ばれた太めの道に出ました。道を東向島駅とは反対の東に向かいお雪さんと主人公が激しい雨の中で出会ったポストの位置を推測しながら歩きました。

多分この辺りではないかと推測して暫しの間立ち止まりその情景を思い浮かべてみました。

2022.11.01

”賑本通り”と墨東綺譚で記された通りのポストの場所と推定される位置から10m程の角を右に曲がりました。墨東奇譚の中で、縁日では多くの露店と人の波が続く玉ノ井稲荷への道になります。左に”玉の井町会々館”の看板が掛かった建物が見えます。

2022.11.01

いろは通り(大正道路)との交差点です。左に向かえば交番、梅林堂、路地の入口方向になります。

2022.11.01

いろは通りを渡り玉ノ井稲荷方向に進みます。路地の先に玉ノ井稲荷が見えてきました。境内でお参りをして玉の井いろは通りに戻ることにします。

 

2022.11.01

辺りでも車の通りや人の通りも多くみられる玉の井いろは通りに戻ってきました。玉の井いろは通りを鐘ヶ淵通り方向に10m程進み四辻の交差点を右折して6号線(改正道路)方向に路地を進むことにします。

2022.11.01

路地に入って80m程進んだ道路の広くなった右の建物の辺りがかっての中島湯の場所ではないかと推測しています。お雪さんの家の前を流れる溝は此処まで続いていると書かれています。

2022.11.01

更に改正道路(6号線)方向に100m程進むと路地の先に車で込み合う6号線が見えます。

途中”賑本通り”呼ばれていた道と交差しますがその角、空き地が見えるあたりが墨東綺譚に書かれた九州亭と言う店ではないかと推測しています。

”九州亭と言う支那飯屋の前まで来ると改正道路を走る自動車の灯が見え”と書かれています。

2022.11.01

この更地が荷風の地図に書かれた九州亭があった場所だと推測していますが、そこから今通って来た中島湯があったと思われる方向を写しています。更地の反対側にも小さな路地が斜めに家の密集する町の中に続いています。

 

2022.11.01

賑本通りと呼ばれた道を東向島駅に向かって戻ることにします。途中、お雪さんと主人公が雨の中で出会うポストを通り、お雪さんの家に入る路地の入口を通ることになります。

最後に右に曲がり、再度お雪さんと主人公の物語を頭に浮かべながら曲がりくねった路地を通り抜けて駅に向かうことにします。

2022.11.01

未だ夕方のラッシュアワーには少し早い時間の電車なので、ゆったりと座席に座り通り過ぎていく町々の風景を眺めながら大きな満足感を幾度となく反芻していました。今回のたけくらべの町から墨東奇譚の町への散策は、思っていたより多くの物語の場所を推測する楽しさを満喫すことが出来ました。多分それらは、多くが見当違いか当時の様子とは大きく違っているかもしれませんが、私の二つの物語を読む楽しさを深めてくれることは間違いないと思いました。
2022.11.01
11/21/2022

たけくらべの町から墨東綺譚の町へ②

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Copyright (C) Oct. 10,2007 Oozora.All Right Reserved. 11/21/2022 更新   ()転載