樋口一葉・たけくらべの町から永井荷風・墨東綺譚の町を辿る① ②へ ![]() |
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㊨河出書房新社・たけくらべ、㊧新潮社・墨東綺譚 ![]() |
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たけくらべの街を歩く 一回目 |
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前回の墨東綺譚の物語の町・東向島を歩いた折にはかなり心が騒いでいて、見るべき事物を前にしても上の空であったと、虚ろな目がただその上を通り過ぎていたことを極めて残念に思っていました。 再度の訪問を計画していましたが、墨東綺譚の荷 そんな折、何度目かの新潮社版の”墨東綺譚”読書の折に巻末の解説を読んで、P134の一葉好きの荷風が”たけくらべ”を意識していたとの文章に思わず仰天してしまいました。大好きな二つの物語の間に細い接点がありそうに思えてきました。 かたや吉原、此方は玉ノ井、互いに隅田川を挟んだ東と西の町でした。一緒に尋ねてみたいという思いが抑え難くなりました。
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例えば、この墨東綺譚の解説にお雪さんが一人の特定の女性ではなく、玉ノ井の窓際の複数の人達から作り出されたモデルではと書かれています。 さもありなんとは思いますが、知らなければ良かったと言う思いがしました。頭に描いたお雪さんの姿が消えてなくなりそうです。知識は一先ず置いて、出来る限り物語の中に身を没して目の前に広がるその舞台を尋ねてみたいと思います。 知識を得たとしても物語の自分勝手な感動が揺らがないという思いがしたので、今回は一葉記念館を訪ねる事にしました。数時間の滞在では極めて勿体ない濃密な陳列物の数々に出会いました。そしてその裏側に、私の錯覚かもしれませんが、説明文の数々にはこの街から生まれた物語の作者である、小説を生業とすると決断した、一葉に対するあたたかな心使いまでもが感じられました。再度訪れたい記念館に出会えたことは今回の街歩きの大きな見つけものです。入館料一般¥300
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樋口一葉・たけくらべの町から永井荷風・墨東綺譚の町を辿るマップ
今回は”たけくらべ”の町から墨東綺譚の町の順序で尋ねてみることにしました。私が今までの東京の町を歩いた中でも、もしかすると最も密度の高い散策の一つだったのではと思いました。町々の風景に重ねた物語からの感動が心に溢れるほどに深まったようです。 |
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都電で三ノ輪橋駅へ 前回・2008年1月28日 |
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尚、石神井川は西に流れて明治通りの溝田橋を抜けてやがて隅田川に合流します。
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三ノ輪橋 前回・2008年1月28日 |
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前回尋ねた折の三ノ輪橋商店街は残念ながら気のせいか以前の活気が薄れているように見えました。時間が早かったのかもしれませんが、最初の目的地、浄閑寺に向かうことにします。 |
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浄閑寺 一回目 |
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その慰霊塔と向き合うようにある荷風慰霊の石碑もゆっくり見たいと思っています。
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江戸の物語にはしばしばその舞台として目にする投げ込み寺の一つですが、新吉原が近い事から最も知られているお寺だと思われます。
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新吉原総霊塔と花又花酔句壁 |
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永井荷風筆塚と文学碑 |
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昭和38年(1963年)建立と書かれた石碑の中に谷崎潤一郎を初めとする後輩42人が”故人追慕の情に堪へず”と書かれているのを見て、私の荷風への印象が又大きく動いたようです。 |
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1923(大正12)年9月1の関東大震災が書かれています。一葉作品に対する荷風の興味が分かる言葉に出会いました。
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4号国道から左に入ると目の前に目的の千束稲荷神社がありました。
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たけくらべに書かれた千束稲荷神社の様子を思い出しながら参拝をさせてもらいました。吉原大門内にも繰り込みそうな勢いを感じる祭りの高揚感が目に浮かびます。今は静まり返った境内の前に立ちお参りをさせてもらいました。 ”八月廿日は千束神社のまつりとて、山車だし屋臺に町々の見得をはりて土手をのぼりて廓内なかまでも入込まんづ勢ひ、若者が氣組み思ひやるべし・・・”
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私の訪れる村の神社と変わらない静かな境内に立ち大きく深呼吸をしました。
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正にこの碑文は”たけくらべ”の文章を想起させるものです。
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一葉記念館 一回目 |
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美登利信如らも この園に来あそぶらむか の歌を読んで物語の舞台の只中に居る自分の姿をも目に浮かべてみました。
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![]() 格子戸を模したと思われる入口から入場し受付で入場料の¥300を払ってからテーブルに置かれたパンフレットをいただきました。 家に帰ってゆっくり読んでみました、その内容が一葉の歴史が極めて深く書かれていて見飽きることがありません。ありきたりの事実の記載だけではなく何処か一葉に対する行き届いた心づかいを感じさせる書き方に心を打たれました。
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①千束稲荷神社②樋口一葉記念館③樋口一葉旧宅跡④大音寺⑤日本堤・土手下の細道⑥日本堤⑦山谷掘⑧田町 尚③樋口一葉旧宅跡 前を通り④大音寺に向かう道は大音寺通り(茶屋町通り)と呼ばれ左(西方向)に進むと三島神社があります。”たけくらべ”ではこの通りの様子が書かれています。 『大音寺前と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社の角をまがりてより・・・かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田樂みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、一軒ならず二軒ならず、』 江戸時代の物語にしばしば登場する有名な鷲神社酉の市で売られる熊手の類を一年がかりで作る人達が住まいする様子が書かれている物語の場所です。 たけくらべ一回目の2018年2月13日の文章をご参照ください:”たけくらべでもしばしば鷲神社が登場します。長屋の職人たちの熊手作りの様子が書かれています。熊手を買う人に福を呼ぶなら、手を絵具だらけにしている職人たちが、俺たちには1万倍の運をと言うが、金持ちになった噂をとんと聞かない”と書いています。 ⑤に付いては何の変哲もない道に”土手下の細道”という注意書きが書き込まれていることから、もしや地図の作者はこの道がたけくらべのクライマックス、美登利が暮らす妓楼・大黒屋の寮と推測しているのではないかと思いました。私は⑧の田町方向のおはぶろどぶの道(現在名・花園通り)の日本堤の辺りかと思いましたが、この地図を見て⑤の可能性が高いような気がしてきました。③の一葉の旧宅跡に近い事も⑤を物語の舞台として使用した可能性の高い事を知らせているように思いました。以前におはぐろ溝の遺構をこの近くで見た事がありました。
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記念館には1967年長谷川清作の”雪晴れの朝 樋口一葉女史宅”が飾られています。②の平屋の二軒長屋の左が一葉の”だがし・あらもの”と障子に書かれた店が描かれています。戸主として母と妹の暮らしを守ろうとする一葉の姿が浮かんで、何か少し胸がジンとしてしまう絵です。
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"たけくらべ"では玉菊灯籠を飾る季節の賑わいぶりが記されています。 春は櫻の賑ひよりかけて、なき玉菊が燈籠の頃、つゞいて秋の新仁和賀には十分間に車の飛ぶ事此通りのみにて七十五輛・・
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約3度目のたけくらべの物語の舞台となった街の散策になりますが、今回初めて一葉記念館を訪ねた事が物語の理解に大きな助けになりそうです。お陰で一葉の他の物語も含めて、まだまだ”たけくらべ”を読む事を楽しむことが出来そうです。もう一つの舞台であるかっての新吉原への道を辿ることにします。
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12/10/2022
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