土手のジョギング・草藪に咲く彼岸花の帰路に”青春”の記念碑に立ち寄るA @
埼玉県蕨市城址公園のサミュエル・ウルマンの”青春”の石碑

偶然、サミュエル・ウルマンの”青春”の記念碑がジョギングの帰路への道からそれ程遠くない街にある事を知りました。心惹かれて時折誰にも気づかれないように口に出す”青春”の訳者の出身地である街にそれがある事を知り、ジョギングする土手の帰路立ち寄る事にしました。

驚くことに、私の心を鷲掴みにする”青春”の訳者の生誕の地を記念する石碑が、2018年に狛犬を訪ねた事がある蕨神社に隣接する蕨城址公園にある事を知り更にその驚きが益しました。

その折の経験から、蕨神社や隣接する蕨市民会館に車を止める事が出来る事を知っていたので”青春”の訳者の生まれたかっての中山道の宿場町・蕨市を散策してみる事にしました。約1.5km程の心癒される街の散策でした。

記念碑の裏に、建立に至った青春の碑建立委員会 の説明がありました。

「青春の碑」

「青春とは人生の或る期間を言うのはなく心の様相を言うのだ」で始まる「青春」は成年から高齢者に至るまで、年代を超え多くの人々に勇気ときぼうそして深い感動を与え続けています。 この詩の原作者は米国人のサミュエル・ウルマンで、蕨出身の岡田義夫氏が翻訳したものです。これはまさに岡田義夫氏育んだ郷土蕨の誇りでもあります。よって、市民へのメッセージとして、この碑の建立を企画した次第であります。
平成五年四月  青春の碑建立委員会

2024.09.30


現在の17号国道と旧中山道の交差する交番の横に有る小さな公園の”ふれあい広場”に掲示されていた絵地図を掲載しました。青春記念碑蕨神社(蕨城址公園)⇒三学院ふれあい広場蕨市役所蕨神社と約1.5km程の道を巡りました。

古い宿場町らしく、昔から暮らす人達の一戸建ての家が密集していたせいか、人々の暮らしの息吹が感じられる心地よい街の散策を存分に楽しむ事が出来ました。庭の付いた家がかなり見られる街並みは、青空が狭められた無機質な空間を作り出す大きな建築物が殆ど見られません。

心癒される人々の暮らしが息づく心地よい道の散策を大いに楽しむ事が出来ました。

2024.09.30

グーグル・マップ左上の⇒マークをクリックすると掲載場所の一覧がご覧いただけます。
2024年9月30日・サミュエル・ウルマンの”青春”の石碑が建つ蕨城址公園

蕨市民会館の駐車場から会館の前の道を抜けて城址公園に向かうと入口に蕨城跡の説明版が見られました。

蕨城は南北朝時代に渋川氏が館を構え、大永4年()(1524年)北条氏綱により攻撃され破壊されたと書かれています。加えて江戸時代始めには徳川家の鷹狩り用御殿として城跡が利用されたとも書かれています。

2024.09.30

入口の石垣の先にこれから訪ねるそれらしい石の記念碑が見えます。小広い芝生の公園の中に静かに建っています。

2024.09.30

”青春”の記念碑の横にもかなり大きなブロンズ像が石碑の上に立っているのが見えます。”青春”の記念碑をゆっくり見てから隣接する蕨神社に向かう折にそのブロンズ像を見させてもらうことにします。

2024.09.30

公園に入ると大きな四角の石碑が直ぐに目に入ります。前面にはサミュエル・ウルマンの”青春”の英語の原文と岡田義夫の訳した文章が刻まれていました。

目にするたびに私の心を打つ馴染みの言葉の数々が刻まれていました。余り人影も見えないので心行くまで記念碑に刻まれた文字を読む事が出来ました。

2024.09.30

 

青春の碑建立委員会の文

石碑裏面の青春の碑建立委員会の碑文を直接判読できるよう2分割にして掲載しました。

bP・「青春とは人生の或る期間を言うのはなく心の様相を言うのだ」で始まる「青春」は青年から高齢者に至るまで、年代を超え多くの人々に勇気と希望そして深い感動を与え続けています。

2024.09.30

bQ・この詩の原作者は米国人のサミュエル・ウルマンで、蕨出身の岡田義夫氏が翻訳したものです。これはまさに岡田義夫氏を育んだ郷土蕨の誇りでもあります。よって、市民へのメッセージとして、この碑の建立を企画した次第であります。
平成五年四月
青春の碑建立委員会

 

2024.09.30

サミュエル・ウルマンの青春の岡田義夫の訳文

記念石碑の前面の岡田義夫訳の日本文を3分割にして掲載しました。

bP:”青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ”から始まる長く美しい言葉が胸の中を心地よく流れ下ります。

2024.09.30

bQ:”人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる”から始まる私にとってはあたかもお題目のように思える言葉が見えます。

辺りに人の気配がないので口に出して呟いてみました。

 

2024.09.30

bR:”青春”の最後の壮大な言葉が立ち尽くしている私の心に大きな何時ものように勇気を与えてくれます。

2024.09.30

青年式発祥の地

”青春”の記念碑から5〜6メート横に直立した銅像が見えます。”青年式発祥の地”のプレートが付いたかなり大きな記念碑です。

2024.09.30

所謂成人式の発祥の地がこの蕨市という事を記念した碑と思われます。

2024.09.30

蕨神社

折角ここまできたので以前訪れた蕨神社を参拝する事にしました。鳥居をくぐると神社の本殿は目の前です。その折にも、本殿に大きな絵馬が有ったことを懐かしく思い出します。頭を垂れて”青春の碑”を訪れる事が出来たお礼を申し述べました。

2024.09.30

蕨神社境内の庭園の池を望んでいます。静まり返った小さな水面と辺りの緑が清冽な神域の心地よい佇まいを生み出してくれているようです。

2024.04.22

”青洲”の記念碑のある公園と神社の間には鳥居が神域との区切りを作っていました。

2024.09.30

拝殿の前から神社入り口の鳥居の建つ参道を眺めています。参道の脇に置かれた狛犬が見えます、前回尋ねた馴染みの石像です。

 

2024.09.30

神社の参道に戻り”青春”の記念碑の公園に向かいます。記念碑のある公園の外に出て神社の裏を通って旧中山道を目指して進む事にしました。

2024.09.30

三学院

蕨北小学校と市民病院の前を通り旧中山道方向に進みます。小学校を過ぎて更に進むと右手に辺りを圧するような大きなお寺の甍が目に入ります。仁王門を備えた極めて大きなお寺の境内に入ってみました。

 

2024.09.30

巨大な本堂の手前には大きな鐘撞堂や美しい三重の塔が見えます。圧倒されるような空間が広がっています。

2024.09.30

限られた時間しかないので本堂の手前で手を合わせてお礼を申しました。

2024.09.30

本堂の右手には舎利殿があります。芙蓉の花と思われる花が咲いていました。

 

2024.09.30

仁王門を出て外から眺めると巨大な三学院の甍が見えます。

2024.09.30

三学院の内部の配置図が置かれていました。巨大な本堂の裏には舎利殿や池などがあるようです。手入れがされた清冽で広大な境内に圧倒されました。

2024.09.30

三学院の道を更に17号国道方向に進むと道が細くなります。細い道の左には長い塀で囲まれた旧家がみられました。

細い道から突然17号国道に出ます。17号国道と旧中山道との交差点です。旧中山道の道に蔵を供えた旧家の屋根が見えます。画像左方向が東京・日本橋方向になります。

2024.09.30

交差点の旧中山道に現在は営業をしてないようですがかなり大きな2階建ての家が見えます、家屋の右には蔵があります。

2024.09.30

旧中山道と国道17号国道の交差点にやってきました。画面右の17号国道は東京方向になります。左が旧中山道、車の行き交う17号国道と違い大変静かな街並みが続いています。

2024.09.30

交差点近くの旧中山道に”中山道蕨宿”の石柱が立っていました。

2024.09.30

旧中山道と17号国道の交差点の交番の隣に小さな”ふれあい広場”と呼ばれるベンチの置かれた公園が有ります。公園の壁には宿場の説明や絵地図などが見られます。

2024.09.30

公園の中に旧中山道の周辺の絵地図が見えたので一部を掲載申し上げます。絵地図に見られる場所を次の順序で巡りました。青春記念碑蕨神社(蕨城址公園)⇒三学院ふれあい広場蕨市役所蕨神社と約1.5km程の道を巡りました。

2024.09.30

ふれあい広場の前に立つ家が目につきます。かなり新しい家のようですが町並みの景観に配慮したと思われる美しい日本家屋です。

 

2024.09.30

蔵を備えた旧家も見えます。これから蕨市役所を目指して旧中山道の散策を楽しむ事にしました。

2024.09.30

三度笠と思われる傘と合羽を纏った河童を思わせる絵が浮き出している下水道の蓋が見えました。蓋には中山道・蕨宿の文字が見えます。

2024.09.30

 

先程圧倒された三学院への旧中山道からの参道への道しるべがあります。三学院の山門が100m程先に見えました。

2024.09.30

時折旧中山道らしい佇まいを保った旧家が現れて散策をより一層楽しませてくれます。

2024.09.30

先程の旧家から50m旧中山道を進むと車の行き交う道との交差点に出ました。今日の旧中山道の散策は此処までとして交差点を左折して蕨神社方向に戻る事にしました。

左折すると直ぐ右手に蕨市役所の庁舎が見えます。木造の雰囲気を残した新しいビルのようです。

2024.09.30

蕨神社に戻ってきました。境内を通って拝殿で楽しい旧中山道散策のお礼を申し述べます。

2024.09.30

 

帰路に立ち寄ったサミュエル・ウルマンの”青春”の記念碑と旧中山道の宿場町の散策は想像以上に心を癒してくれる極めて楽しい一時でした。”青春”に書かれた言葉の数々が私に与える感動は散策の間に一層深くなったようです。記念に石碑に刻まれた言葉が与えれ呉れた深い感動を胸に抱え込みながらのその後の旧中山道沿いの穏やかな気配が漂う旧蕨宿の散策は、”青春”の碑で高まった私の心を鎮めてくれる極めて心地良いものでした。

2024.09.30

2041年10月7日・花散る彼岸花

一週間ぶりの土手のジョギングにやってきました。例年ならこの時期には広大な土手の草刈りが終わって斜面に咲きだした彼岸花が一面に咲いているのですが、今年は何故か未だ雑草が生い茂っています。

一面の彼岸花の土手が見られると楽しみにしていた私の目論見は見事に外れてしまいました。

一週間前の9月30日と同じ雑草の茂る土手道のジョギングを開始しました。

2024.10.07

雑草の土手にはツユクサの群落が点々と見えます。

2024.10.07

先週は雑草の中で輝くように咲いていた彼岸花は既に盛りを過ぎて花弁の色が変色していました。

2024.09.30

枯れ始めた彼岸花が残る土手にはオオキンケイギクが旺盛に花びらを開かせていました。

2024.09.30

ベニシジミが アイノコセンダングサ(合いの子栴檀草)に止まって花の蜜を吸っているようです。土手の上ではトンボが空を舞いバッタが盛んに飛び跳ねています、猛暑の夏もやっと過ぎ去っていく気配です。

2024.09.30

一週間前の9月30日の”草むらに咲く彼岸花”のその後の姿を楽しみにやってきましたが、私の目論見は見事に外れてしまいました。出かける前は、例年通り土手の草刈りが終わって土手一面に彼岸花が咲く姿を推測していましたが、土手には未だ一面に雑草の緑の原が広がっていました。残念ながら一面の緑の深い草むらの中の彼岸花を見る事は叶いません、一週間前に土手際の雑草の中に咲いていたお目当ての花は既に盛りを過ぎていました。今回は秋の気配の漂う快適な土手のジョギングを楽しむ事で良しとすることにしました。

2024.10.07 

10/12/2024
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旧中山道蕨宿の散策A
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