桜の咲く隅田川・中仙道から深川まで物見遊山のジョギング(U) その(T)地図  
続編・海まで@ A
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13時26分、右岸から左岸のスカイツリーと墨堤の桜⇒13時39:さくら橋を渡り左岸・墨堤の桜。

◎中仙道から隅田川のジョギング
@深川まで @T A深川まで AU  B海まで @T C海まで AU
◎中仙道から荒川を海までジョギング 
@  A  B
中仙道から荒川土手を海まで @ A B

昨年の2015年3月30日、中山道から荒川を海までのジョギングですっかり楽しさを堪能したので今年の春は隅田川の桜を見ながら海までを試みる事にしました。ジョギングとは言っても普通の人のように颯爽と走るのではなく、自分でも無様だと思うのですがよたよたと景色を見ながら進みます。興味のある場所を訪れる物見遊山の旅の手段でもあります。

今回は結果としては途中足を痛めて、深川の小名木川までで引き返すこととなりました。初期の目的を達せなかったのは残念ですが、隅田川に掛かる美しい橋と、スカイツリーに墨堤の桜を見て大いに感動したのは大きな思い出になりました。

帰りは、足を引きずるようにして電車に乗って家まで帰りました。それが一晩寝たらほとんど治ってしまい、骨折や脱臼などではなかったことは幸運でしたが、あの痛みは何だったのか不思議な気持ちです。2016.04.05

本来は4月4日に決行する予定でしたが、雨が降り出したので5日に変更しました。4日の午後から雨が止んだので隅田川のジョギングの出発点の荒川の土手の桜を鑑賞しました。何時ジョギングで走るの土手に長く続く桜並木です。翌日の足慣らしにぴったりだと思いました。

地図の地点を参照ください。およそ地図上のルートを辿りました。地図製作に慣れないために未完成です、醜いかもしれませんがお許しください。

地図上のアルファベットの印は3つの印で3分割されています。
●戸田公園駅からのA〜Gまでは単にA〜Gで説明します。
●一つ目と二つ目の印の間のアルファベットは1A〜1Gで説明します。
●二つ目と三つ目の印の間のアルファベットは2A〜2Gで説明します。

千住出発・地図印1C⇒1D

12:16、1C点を出て千住大橋を右岸に渡り南千住。隅田川沿いの道を進む。東武線のガードをくぐる。 12:26、やっと路地を抜ける。快適な右岸のテラスをジョギングで進みます。 12:26、右岸のテラスから下流の千住の町を見る。
墨田川土手下の南千住・胡録神社

12:29〜12:40、土手を歩いている地元の人らしい方に、近くに神社が有るかを訪ねてみました。確かにあると思い出そうとしているようですが、どうも通り過ぎて来た場所のように言うので諦めてジョギングを初める。少し進むと見晴らしの良い土手から由緒ありげな神社が見えてきました。土手を降りて訪れて見ると探している胡録神社でした。

江戸の狛犬を見る事が叶いましたが、これは桜の咲く隅田川・中仙道から深川まで物見遊山のジョギング狛犬編でご紹介したいと思います。住所:荒川区南千住8−5−62016.04.04

1D地点・水神大橋
12:50、1D・水神大橋。右にはトイレもある快適な汐入公園。水神大橋、左岸に渡ろうとも考えたが、海まで行くのが目的と快適な右岸の道を進む。結果的にはスカイツリーが見える右岸の道が良かった。
隅田川土手下の白浜神社

13:02〜14:11、大きくなってくるスカイツリーを左に見ながら快適な隅田川右岸のテラスの土手をジョギングしていると土手下にまた大きな神社が見えてきました。

白浜神社です。神社の後ろには大きなマンション群が見えます。調べた折にはもっと隅田川から離れた場所にあったと記憶していますが、マンション群の建築で移動したのかもしれません(確かではありません)。狛犬を見る事が出来ましたがこれは桜の咲く隅田川・中仙道から深川まで物見遊山のジョギング狛犬編でご紹介申し上げます。住所:荒川区南千住3−28−582016.04.05

地図の1E地点・白髭橋

13:19、1E地点の白髭橋右岸の道を信号で横断します。2016.04.05

13:21、白髭橋下のテラスに下ります。隅田川の川面とスカイツリーがジョギングの楽しさを倍加してくれます。2016.04.05
1C地点⇒1F地点

南千住、隅田川右岸の汐入公園から隅田川テラスと呼ばれる河川敷の快適な道がほぼ海まで続いています。上部の土手より下部の河川敷の方が人が少ないようです。

隅田川の川面は手が届くほどです。白髭橋を過ぎて次の桜橋まで、13:19〜13:32の風景です。

墨堤の桜がはっきりと見えてきました。個人的な趣味としては桜並木は少し離れて見たほうが美しいと思います。桜の並木の中に入ると全体が見えなくなるようです。

右岸から見る墨堤の桜と空にすっきりと立ち上がるスカイツリーのコントラスト、春の景色が空まで広く広がっています。2016.04.05

走りながらシャッターを押していますが、それでもちょっとは立ち止まるので中々先に進めません。ちょっと大げさですが、江戸時代の富士山のように見えます。2016.04.05

左岸の桜並木の土手はさぞかし人で混雑しているのだろうと、静かな右岸をジョギングしながら想像しています。2016.04.05

左岸の桜並木の花が膨れ上がるように盛り上がっています。右岸のテラスも徐々に人の姿が増えてきました。2016.04.05
1F地点・墨堤右岸

13:02.浅草が近くなってきました。混雑を避けて桜橋を右岸から左岸に渡ることにします。

一旦川岸のテラスから土手に上がりました。右岸の桜並木が続きます。かなり若い桜です。2016.04.05

 

13:32、桜橋の右岸に到着。人込みの中を通るので此処からは暫く歩くことになります。橋を左岸に渡ります。

13:40、左岸の向島を散策するつもりでしたがこの人込みでは難しいようです。

桜並木の中も、シャッターを押せば関係のない人を写してしまうようなので、左岸のテラスを歩きました。

吾妻橋でテラスが切れるので土手に上がりそこから墨堤の桜を撮りました。2016.04.05

土手より少しは人がスクナイ左岸のテラスから墨堤の桜を見上げています。2016.04.05
右岸、浅草川の隅田公園の桜並木です。右岸の浅草方面からはスカイツリーの景色が見えるるので混雑は左岸以上のようです。2016.04.05

桜の花の隙間からスカイツリーが見えます。2016.04.05

13:47、浅草の船着き場の辺りですが桜と多くの人の姿見えます。遊覧船が忙しく行き来しています。

2016.04.05

13:47、地図1H地点の吾妻橋左岸です。このあたりの道路はかなりの混雑です。友人がこの辺りに住んでいたのでしばしば来たことがありますが、静かな昔とは大違いです。2016.04.05
13:52、浅草周辺の混雑を抜けて左岸のテラスを走ります。1H地点の駒形橋が見えてきました。それでも、外人の姿が時々見られるのは、観光客の興味も有名な場所だけ以外にもあるのが分かります。2016.04.05

13:56、次は2A地点の厩橋です。人込みは嘘のように静かな隅田川テラスの左岸です。どうも右足に力が入らなくなりました。午前中、小台橋の近辺で高いところから飛び降りて足を痛めたせいかもしれません。

海までの道のりを考えてジョギングを中断して歩きながら調子を見ることにしました。2016.04.05 

14:00、蔵前橋が見えてきます。色と姿が美しい橋です。右足の調子が改善しません。少し不安になります。2016.04.05

総武線の鉄橋を電車が千葉方面に向かっています。

14:11、2D地点の江戸時代有数の繁華街であった両国橋、船が海の方向に下っていきました。堅川の一の橋で上の道に出て迂回しなくてはなりません。ついでに足の調子が改善しないので、両国橋で隅田川から一旦離れ歩いて回向院と吉良上野介邸跡を訪ねてみる事にします。それから堅川を超えて再度隅田川に下りる事にしました。2016.04.05

回向院

14:20、回向院に着きました、国道六号線に面した賑やかな通りに面しています。江戸時代各種の御開帳でたいそう賑わったお寺のようです。確か宗派にとらわれず供養してくれたと本で読んだ記憶があります、それが諸宗山の山号に関係があるのでしょうか。住所:東京都墨田区両国 2-8-102016.04.05

これが有名な鼠小僧治郎吉の慰霊塔です。本堂の左側にあります。墓とも書かれていますがはっきりしません。 確か石を削って持っていると博打の運が付くと言われているような記憶があります。合格祈願が本当かもしれません。 墓の摩耗が激しいので前に削る用の石が置かれています。試しに少し削って手に付けてみました。宝くじでも買わなくてはなりません。

本所松坂町・吉良邸跡地

14:31:回向院のすぐ近く、本所松坂町に吉良上野介の屋敷跡が公園として残されています。当時の江戸庶民の心持はさることながら、事件の真相は講釈師の語るものとはいささか違っているような気がします。公園として残したことも、一つの考えだと感心してしまいました。それは町の角地にこじんまりとありました。 住所:墨田区両国3-13-9 (本所松坂町公園) 2016.04.05

吉良上野介像だと書かれていました。 襲撃され憤死した吉良家家臣の人々の名前が彫られていました。小林平八郎、清水一学、新貝弥七郎などの名前が見られます。
みしるし洗いの井戸と看板が立っています。 怨霊を浄める為に稲荷神社を遷宮したようです。道路の反対側にも稲荷神社が有りました。

吉良邸跡の公園の前の稲荷神社です。公園にも稲荷神社があります。

堅川にかかる一の橋を渡って隅田川に戻ることにします。2016.04.05

堅川から小名木川

江戸の物語はしばしば登場する、隅田川に東から合流する堅川の水門です。耐震工事が行われていました。

一の橋は、赤穂浪士が泉岳寺に向かう折に通った橋でもあります。たしか鬼平の物語では、しゃも鍋屋の五鉄があると書かれていたと思います。これから南に向かう深川の町は、多くの物語の中で、江戸の人々の暮らしが濃密に語られている一帯です。私は、橋のたもとのスーパーでペット・ボトルとプリンを買い込みました。隅田川左岸のテラスに下ります。2016.04.05

15:05、2E地点の新大橋が見えてきました。歩けば足が少しは楽になるかと思ったのですが、ますますひどくなってきます。

非常に残念なのですが小名木川を見て今回の隅田川を海までのジョギングは途中で断念することにしました。2016.04.05

15:13、大橋を過ぎました。溢れる程に満ちた隅田川の水流です。訪れる事が出来なくなった海の方向を見ながら歩きます。どうも足の調子が益々悪くなるようです。大きな自然石のベンチに腰を掛けて3度目の食事をしながら休憩をしました。2016.04.05
小名木川と芭蕉記念館分室

15:25、お馴染みの小名木川に到着しました。海はそれ程遠くはないのですが、足が痛い今の私には途方もない道のりに思えます。

清洲橋が見えます。2016.04.05

 

15:25、2F地点の芭蕉記念館の分室にやってきました。久し振りの対面です。小名木の桜が芭蕉像に華やかな春のおすそわけです。計画が頓挫した無念さが少し和らぎました。2016.04.05
15:27、最後に小名木川を見て、左前の芭蕉稲荷に立ち寄り帰路に付きます。途中大江戸線・森下駅の途中で風呂に入ることにします。2016.04.05

15:31、深川の風呂屋さん・地図ルートの再度の印地点のときわ湯にやってきました。一番風呂のようです。この為にズボンやシャツの着替えをデー・パックに入れてきました。

足の痛みを和らげるようにかなり長湯をしました。心がさっぱりとした気分です。住所:東京都江東区常盤2丁目3−8

2016.04.05

16:15、大江戸線森下駅に向かう道路も桜の花が咲いています。悪い事に足の調子がさらに悪くなってきました、多分風呂でリラックスして気力が抜けたのでしょう。足を引きずるように歩かなくてはなりません。

駅の下り階段は大変な苦労です。何とか最寄駅まで戻ってきました。生まれて初めて駅でエレベーターに乗りました。足の不自由な事の大変さが初めて実感できました。家に帰り湿布薬を張りました。何処か医者に行くほど痛めたに違いないと思ったところ、朝になったら全く痛くありません。そうだとすると、原因はただ一つ体力の劣えが思い当たります。

なんとも尻切れトンボの結末を迎えた隅田川のジョギングでした。1・2終わり。Vは、ジョギングの途中に狛犬を訪ねた話になります。2016.04.05

03/30/2024
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