隅田川のジョギング・中仙道から海まで物見遊山のジョギング(U) そのT
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3時37分、晴海埠頭に到着・美しい練習船・海王丸が停泊していました
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◎中仙道から隅田川のジョギング |
2018年3月27日中仙道から海まで・桜巡り |
@ A B C |
2017年3月28日中仙道から浅草 |
@ A B |
@深川まで @T |
A深川まで AU |
B海まで @T |
C海まで AU |
◎中仙道から荒川を海までジョギング |
@ A B |
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一週間前の20116.04.05.中仙道から隅田川を海までの予定でジョギングをしましたが、足を痛めて深川で引き返すことになりました。一夜寝てから朝になったら痛みはすっかり引いていました。仕事では出来る限り歩くことにして様子を見てみました。どうも痛みが無いようだと踏ん切りが付いたので一週間後の4月11日、再度海までを目指して中山道の戸田橋を渡りました。家を出たのは4月11日の午前6時、曇天の早朝、街頭の明かりが灯っていました。
今回も、4月5日のジョギングで飛び降りて足を痛めた場所で道に迷ってしまいました。ただ、それ以外はほぼ隅田川テラスをよたよたと走りとおすことが出来、晴海埠頭に出る事が出来ました。幸運にも停泊中の4本マストの海王丸を見る事ができました。それから月島の埠頭まで回って隅田川の河口までたどり着きました。胸のつかえがとれた気分になりました。
私の時速は約6km、文中ただ走ると書いてある場合でも”よたよた”と言う形容が付いているとご理解ください。したがって自分でも無様な姿と思うので人の多い場所では歩くことにしています。橋を渡る時や人の多い場所は歩いています。
距離については隅田川の、北区赤羽の岩淵水門からの流程は23.5kmだそうです。戸田公園駅から、ジョギングを開始した板橋区戸田の渡し跡まで約2.4km、そこから岩淵水門まで約4km。単純に合計すると27.5kmとなりますが、道路は隅田川から離れたり、道に迷ったり、晴海埠頭から月島の埠頭まで行ったりすると5km程がプラスされるかもしれません。合計は30kmを少し超えると推測されます。2016.04.11
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*このページはグーグルマップの印の区間が掲載されています。2016年4月5日の隅田川ジョギング@とAも合併されています。
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14:00、休憩が終わり前回中断した芭蕉稲荷近くの小名木川を出発、海を目指します。
14:04、水色の美しい清州橋が見えます。大きな遊覧船が浅草を目指して隅田川を遡っていきます。
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14:09、清州橋を右岸に渡りました。この美しい橋は昭和3年に作られた国の重要文化財と言う石原慎太郎のサインが入った説明が橋に取り付けられていました。
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14:12、隅田川大橋が見えてきました。上が首都高速で下が歩行者も通れる一般道になっています。箱崎と湾岸線を結ぶ首都高速です。隅田川の川幅がかなり広くなってきました。 |
14:50、永代橋が見えてきました。この先で隅田川が右に曲がるようです。隅田川の真ん中に聳えるビル群が月島のようです。ここまでは快適なテラスのジョギングが続きます。 |
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14:25、永代橋を過ぎます。海に向かって船が猛スピードで下っていきました。水を切り裂く舳先に白い波が立っています。 |
14:27、月島のビル群が大きく見えてきました。広くて見晴らしの素晴らしいテラスが続いています。いよいよ海は近いようです。隅田川は右に湾曲していきます、左は晴海運河と呼ばれています。 |
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この本のお陰で、登場する4人の中学生の暮らす月島の街の匂いまで感じていました。訪れる事が楽しみでした。 |
月島に掛かる中央大橋にやってきました。多分月島の北部が江戸時代からの古い佃島で、南部が埋め立てられたのだと思います。佃島なら江戸の物語にもしばしば登場するのですが、月島と言われるとはっきりイメージがわきません。遊覧船が浅草を目指していきます。
私の知識は、昭和通りから東は魚河岸で、トラックが溢れ専門家の町だと言う印象、まして勝鬨橋の先に行こうなどとは思ったこともありませんでした。つまり興味の対象としては月島も伊豆大島も同じというかなり古くさい印象でした。流石近頃は数度魚河岸や聖路加の辺りまでは出かけましたが、隅田川を超える用もありません。
石田衣良の”4テイーン”で語られる近代的な街を背景にした物語を大いに楽しみました。その物語の街と銀座を隔てる隅田川に掛かる中央大橋を渡りました。4人の中学生の物語が活き活きと蘇ります。上手な書き手のお陰で物語に引き込まれた今は、訪れる前から月島の夕日や朝日や風が馴染んでいたのです。
橋桁のブロンズ像、後からは何だか分かりません。お台場の自由の女神には笑いましたが、これはそうではないようです。ミニチュアーではなく独創性が感じられるような気がします。*後からこれがパリ市から贈られた”メッセンジャー像”である事を知りました。
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14:36、中央大橋を渡り隅田川左岸・月島側のテラスに来ました。月島から陸地を見て居る事になります。 |
左岸沿いに歩いて行くと小さな堀にかかる橋が出てきます。それを渡ると左手に住吉神社がありました。この辺りは普通の家が見られました。狛犬もいたので参拝します。狛犬は別のページに掲載申し上げます。 |
14:41、佃大橋が見えます。この先、つまり海に近い墨田川に勝鬨橋があるのです。 |
勝鬨橋が見えます。晴海通りにかかる橋で、右に進むと銀座4丁目に続きます。 |
15:06、佃大橋をくぐって左岸を進むと行き止まりになります。うろうろしているとカメラをぶら下げた人がやってきました。親切にも左に上がって小さな公園を迂回して運河沿いに行くと勝どきの駅だと教えてくれました。
ここに有名な佃の渡しとは別に、月島の渡しと言うのがあったと説明をしてくれました。確か説明板があると教えてくれたので公園の隅にあった看板を読んでみました。お礼を言って先に進みました。
この先の道は、”4テイーン”の中でテツローとルミナが連れだって公園に向かう道とほぼ同じだったかも知れません。最も物語ですから、実際とは異なるので特定は難しいと思います、物語の駅が私の通った勝どきより北の月島かもしれません。
私は晴海通りから地下鉄大江戸線の勝どき駅に出て、清澄通りを過ぎて朝潮(物語では朝汐と書かれています)運河を超えて晴海に向かいました。確かに、物語の通りで、運河を超える橋は登りそして下る坂の橋になっていました。かなり草臥れていた私には記憶に残っています。二人は更に直進して春海橋公園に向かいますが、私は右折して晴海埠頭公園に向かいました。
清州通りはこの月島埠頭で行き止まりになりますが、北に向かうと門前仲町・芭蕉出立の海辺橋・高橋・森下に通じ正に多くの江戸の物語の現場を貫く興味深い道です。いわば陸の隅田川と言える通りになるのではないでしょうか。
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15:03、晴海通りを晴海埠頭方面を目指して歩いていると隅田川左岸の月島西仲商店街の看板が出てきました。ここがもんじゃ焼きの店が並んでいる通りだと思います。
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15:24、朝潮運河を渡り晴海埠頭の標識に従って右折するとガラスの塔のような建物。この先で突然野原広がっています。最後のジョギングを開始します。
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15:37、工事中の公園は人だけは入れるというので海らしき辺りを目指して進みます。突然眼前に美しい船が現れます。海に到着したようです。 |
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船の前に回って名前を確認すると海王丸、時々テレビで目にするあの練習船でした。 |
確かに水は一方方向には流れていません。岸に小さな水の山が押し寄せてきています。海です。 |
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このガラスの建物がひときわ遠くからも見えたので目印に走ってきました。旅客ターミナルのようです。確かお台場に船で行った時の背景にこのガラスの建物を見た記憶があります。公園と言うのですが、工事中なのかほとんど人が居ません。 |
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埠頭の一部は工事中で近寄れませんがもう一艘船が係留されていました。開洋丸と言う船名からも、海王丸と同じ練習船かもしれません。
船を見ながら散歩の人と話をしました。どうも地元の方のようです。 |
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16:01、工事中の公園を出る辺りで先ほど埠頭で話した地元の人に追いつきました。
月島埠頭の道を聞くと途中まで送ってくれるという親切な申し出です。又、地下鉄勝どき駅まで戻るのかと思っていると、先ほど通ってきたガラスの塔のような建物の前からスロープで左のマンションの中に入っていきます。マンションを抜けると朝潮運河にかかる橋が有って、右・月島、左晴海埠頭の間の運河を超える事が出来ました。近くのマンションの方らしく、私はお礼を言って月島に渡りました。 |
16:14、新月島運河を超えて月島の行き止まりの埠頭にやってきました。辺りにはトラックが沢山止まっています。埠頭と言っても立ち入ることが出来ないのでガード・レール越しに隅田川を見ています。対岸は浜松町・品川方面です。このあたりが隅田川の終わりと言ってよいでしょう。 |
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風呂上がりの暖かい体を夕方の風が冷やしてくれます。ゆっくりと勝どき駅に向かいました。今回もささやかながら大きな満足感を感じる事が出来た、中仙道から隅田川を海までのジョギングでした。苦労なく走れる荒川土手と異なり、迂回の気苦労の絶えない隅田川ですが、通り過ぎる街々の独特の佇まいや親切な人々との出会いは捨てがたい楽しみでした。そして暖かい思い出となって心に残りました。中仙道から隅田川を海までのジョギング・T・U終わり。
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04/01/2023 |
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