↑新宿・熊野神社狛犬・阿像・文化元年(1867年・甲子)石工・吉右エ門 |
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この神社に興味を惹かれたのは、各巻を何度か読んだことのある平岩弓枝作”はやぶさ新八御用帳”の主要登場人物である”お鯉”の実家の団子屋がこの十二社権現熊野神社の近くにあります。第一巻”大奥の恋人”の物語がこの十二社権現神社近辺が事件の発生に大いに関係する重要な場所だからです。物語を読んでいると時としてこのような僥倖に当る事があります。 ”内藤新宿の西、*柏木成子町の端に、多摩川の分流を引いて水車を仕かけて穀物を精している。・・・いつの頃からか淀橋と呼ぶようになった。橋の南に十二社権現がある。お鯉の実家は、十二社権現の近くで団子屋をしていた。” 上の小説の書き出しのごとく、正にここが物語の始まりの場所になります。今ではささやかな木立の社の中で目を瞑って新八とお鯉の姿を思い浮かべてみました。*ここにはCに掲載する成子天神があります。2017.08.08 |
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右の阿像から左の吽像を写そうとしましたがかなり離れているので上手く撮る事ができません。阿像の後姿だけを写しました。さすが人通りの多いい新宿です、時折参拝の人が訪れます。2017.08.08 | ||||||
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右に置かれた阿像と思われる狛犬です。小型の狛犬ですが、神社の説明にそう書かれように確かに風貌が変わっています。台座が作り直されたか改修が行われたようで石工や製作された年代が見つけられませんでした。素人の目からは江戸の狛犬のように見えます(もしくは明治かもしれません)。 波を打つような狛犬の唇の形が拝殿前の狛犬、”内藤新宿””石工・吉右エ門”のものに似ているような気もしました。2017.08.08 |
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阿像から吽像を写しましたが、全体のバランスに違和感は感じませんが、かなりあっさりした彫りに見えます。2017.08.08 | ||||||
左に置かれた吽像、頭に角状の突起が見える気がします。不愛想な狛犬です、江戸の腕の良い職人らしい造りに出会った気分です。 私の狭い見分ですが、一昔前までは彼等は能書きを言わないのが一つの特徴のような、今では出会うことが難しいとても懐かしい人達でした。2017.08.08 |
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角筈胡桃下稲荷神社 上の狛犬の写真の大鳥神社の右に鎮座する稲荷神社。姿の美しい狐の石像が置かれています。胡桃(くるみ)下の洒落た名前から推測すると、クルミの木があったのかもしれません。2017.08.08 |
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新宿中央公園の入り口に戻ってきました。入るときに見た人工滝の裏側も小さな滝になっていました。看板には”新宿白糸の滝”と書かれていました。2017.08.08 | ||||||
都庁の横を通り中央通りをオリンパスのサービス・センターに向かいます。それは工学院大学の隣のビルのエステック情報ビル17階にありました。大変親切に修理を受けてもらい、2週間後に取りに来ることにしました。これで今日の目的が終わりました。 体は汗でびっしょりです、どこかで昼飯を食べる事にします。その後更に二つの社を訪ねる事にしました。2017.08.08 |
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