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↑新宿・西向天神・阿像・宝(寶)暦12年(壬午)1762年 |
8月21日、修理に出していたオリンパスのカメラを引き取りに行くついでに前回8月8日(@・A)に続いて新宿の社を訪れて狛犬を見る事にしました。
大江戸線・牛込神楽坂駅で降りて赤城神社と筑土八幡を訪ねた後JR新宿駅まで戻ってオリンパスで修理をカメラを引き取りました。修理は想像以上に丁寧にやってくれたようで新しい機能まで加わったようです。早速使用することにしました。2017.08.21
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成子天神社・文政13年(庚寅)・1830年・狛犬 |
拝殿の前に一対の見応えのある狛犬が置かれています。体形は少し太めで、サイズは通常の大きさに見えます。
足部や口の周りの何気ない飾りの彫りが江戸の職人らしく洒落ていると感心しました。2017.08.21
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台座も奉納された当時のものではないかと推測されます。ただ4角形の切石ではなく、天神様の梅と角を丸めて彫り込んである美しい台座です。
阿像の斜め後から吽像を写しました。2017.08.21 |
左に置かれた吽像です。怖さを感じない狛犬です。やはり江戸の職人の狛犬は見ていて感心するばかりです。
これ見よがしに本当の力を見せ付けることなく中に貯め込んで、少しだけ何処かにその実力の程を見せる潔さを感じてしまいます。
全体のバランスは勿論確り取れていますが、細部に目を凝らすと流石と感心してしまいます。大変良い狛犬をみることができました。2017.08.21 |
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赤城神社の末社・出世稲荷、八耳神社、葵神社 |
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狛犬の手前に姿の良い石灯籠が一対置かれています。嘉永4年(辛亥)・1851年の江戸の石灯籠のようです。形は派手ではありませんが、細部に細かな彫りが施されています。
これから西新宿で昼食のラーメンを食べる事にします。神社の拝殿に向かって右側の道を新大久保方面に進みます。僅かで西新宿八郵便局の前を通ります。その先が青梅街道、右に曲がりJRのガードを目指して進みました。2017.08.21 |
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西新宿7丁目・麺屋 翔 |
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麺屋 翔 本店住所:新宿区西新宿7丁目22−34。郵便局から青梅街道を進むと手前に大きな駐車場、先にスーパー・丸正のある角を右に曲がって50mも進むとラーメンの出汁の匂いが漂ってきました。青梅街道から入って二つ目の角を右に曲がると右側に”麺屋 翔”がありました。
行列かと思っていたのですが、1時を過ぎていたので並ばずに食べる事が出来ました。丁寧に作るらしく通常のラーメン屋さんより少し待たされてから出て来たラーメンは大変美味でした。油だらけが苦手なので澄んだ汁(出汁が大変良く出ている)は上品な味です。麺は何なのかは知りませんが春雨に近いような歯ごたえと舌触りでこれも美味しい。食べログを見て訪れましたが、空腹を差し引いてもこのラーメンは正解だったようです。昼食後青梅街道に出て右折、JRのガードを潜り東新宿の西向天神に向かいます。2017.08.21
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西向天神社住所:新宿区新宿6丁目21−1。
御不動様の先にお目当ての西向天神がありました。境内には新宿には珍しくかなりの緑の大木が見られて涼し気な木陰を作ってくれていました。
いっぺんに好きになりました。昼も夜も活動的な新宿にもこのような静かな神域が残されている事は素晴らしい事だと、東京の懐の深さを実感しました。鈴を鳴らして参拝をしました。
写真右の文化10年(1813年)に奉納された石碑は狛犬の右手に置かれています。”武蔵の国大久保菅公廟碑”と書かれています、ここが昔は大久保で菅原道真をまつる天神社であることの碑文と思われます。2017.08.21
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西向天神社・狛犬・宝(寶)暦12年(壬午)1762年 |
拝殿の前に特異な風貌の迫力ある狛犬が置かれていました。台座に奉納された宝暦12年・1762年の年号が残っていました。およそ250年前の狛犬としては大変状態が綺麗です。
頭には丸い擬宝珠と思われる彫がありました。
口を開けて歯を強調したこの西向天神の狛犬の表情をみて、これより100年前に作れらた目黒不動の狛犬(承応3年・1654年)を思い出しました。そして少し前に見た成子天神社(文政13年・1830年)の狛犬は既に歯を収めた優しい表情になっています。全てが該当するわけではありませんが面白い変化です。2017.08.21 |
阿像から吽像を写しました。尻尾の形がかなり目立ちます。良い狛犬に巡り合いました。2017.08.21 |
こちらは左に置かれた吽像です。口を結んでいますが歯が強調されています、顎の下にも尖った毛と思われるものが彫られています。頭には角がみられます。
やはり表情には親しさより緊張感を感じます。2017.08.21
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西向天神社・狛犬・弘化3年(丙午)・1846年 |
嬉しいことに小山の斜面にもう一対の江戸の狛犬が奉納されています。土止めの石垣の上に載っているので近くによって写真を撮ることが出来ません。下から見上げるようにしました。
口を大きく開けた阿像のようです。もう社殿前の狛犬のように歯が際立って目立つデザインではありません。どこか優し気な印象を受けます。左の眼の上部が少し欠落しているようです。
2017.08.21 |
弘化3年の文字と、”丙午”の年の”午”が見えます。
阿像は右側から土止めの上を歩けるようになっていました。前にスペースがないので横から吽像を入れて撮りました。2017.08.21 |
左に置かれた吽像、こちらは口を閉じ気味なので表情が更に穏やかに見えます。後の樹木が吽像を覆っているため全体に苔が密生しています。年代を感じさせて風情がありますが、水分を吸って破損が進まない事を祈りました。
2017.08.21 |
ラッシュアワーが始まる前に帰宅することにして石段を下りました。振り返ると緑の中に埋もれた社が見えます。僅かな滞在ですが、私に十分すぎる程の驚きと喜びを与えてくれました。年齢のせいかどうも私にはお寺より神社の境内が緊張が取れて開放感を感じます。それで今ではこの緑の中の西向天神が何か懐かしい場所に思えます。
何度か振り返りながら新宿駅を目指して青梅街道を進みました。2017.08.21 |
青梅街道から前回訪れた歌舞伎町の鬼王神社の前を通り新宿区役所から地下道に入りました。汗まみれの身には地下街の冷気は最高のご馳走です。カメラの修理をきっかけに懐かしい新宿の街の社を回れたことは大きな思い出になりました。
そして思いもかけずかなりの江戸の狛犬と巡り合えることが出来たことは想像以上の楽しさでした。2017.08.21 |
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08/19/2018 |
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