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↑東京都荒川区・諏訪神社の狛犬・文化13年(丙子・1816年)

27年12月21日、近くに出かける用が出来たので、荒川区jの神社を回り狛犬を見る事にしました。初めに西日暮里駅近くの諏訪神社を訪ねる事にします。

地図の上下を逆に見たらしく北方向・田端駅方面に向かって線路際を200m程進みましたがどうも様子が違うようです。駐輪場の方に尋ねると親切に地図を書いて訓えてくれました。階段が良いか、坂が良いかと聞かれて階段と言うとこの道を戻ることになると教えてくれました。それでもしかして馴染みの谷中に向かう道の脇の神社ではないかと推測しました。

諏訪神社の狛犬
沢山の線路の下を抜けるトンネルをくぐります。出るといきなり石段です。左に山手線が通り過ぎました。 右に曲がる石段を登ります。辺りは上野の山から続く斜面です。 鳥居が見えてきました。神社を通る道のようです。

諏訪神社住所:東京都荒川区西日暮里3-4-8 。丁度初もうでの支度をしていました。鳥居には注連縄、狛犬の前にはテントが張られています。右側の狛犬はテントでふさがれています。仕事をしている方に断って何とか撮らせてもらいましたが正面からは撮る事が出来ません。2015.12.21

諏方(訪)神社の狛犬・阿像・文化13年(丙子・1816年)

テントで塞がれているので近づけませんが堂々たる狛犬です。若干大型で団扇のような尻尾が更に威風堂々たる姿に見えます。口を開けているので阿像と推測しました。2015.12.21

 

台座の彫込みは文化13年(丙子・1816年)と読めるようです。少し正面から顔を撮りましたが逆光です。口に紅、目にも綺麗な彩色が施されて生き返ったようです。2015.12.21

諏方(訪)神社の狛犬・吽像・文化13年(丙子・1816年)

頭に角状の部分が見えます。吽像と推測した左手の狛犬はテントから外れているのでよく見る事が出来ました。私の知る数少ない江戸の狛犬の中でも大変気に入った一対です。保存状態も良好です。2015.12.21
諏訪神社・本殿前の青銅製狛犬・昭和43年

社の前に置かれた昭和の銅製の狛犬、指ではじいてみるとカーンと音がしました。胸を張って辺りを睥睨しています、少し力み過ぎに見えないこともありません。 2015.12.21

 

諏訪神社狛犬歴記
文化6年己己の年1809年、石彫の狛犬を奉納する。
大正12年の関東大震災で破損修理を行う。
昭和20年繊細の為の破損
昭和43年明治100年を記念して青銅製狛犬を再建した。 2015.12.21

太平洋美術会

諏訪神社の境内を線路と反対側に進みました。最初の推測通り王子から上野の芸大を通り昭和通りや中央通りに出るお馴染みの抜け道に出ました。

江戸の物語にお馴染みの日暮の里と呼ばれる丘陵地帯の頂上を通る道です。昔の東京の雰囲気が感じられます。辺りは谷中七福神に因んだ寺や神社が沢山見られます。

この神社の空き地に車を止めた事もありました。そして小道の向こうは太平洋美術会です。2015.12.21

急角度に曲がる坂道を下り西日暮里駅に戻ることにします。一方通行のこの坂道は車で来ると、途中で止まると難儀をする小さな難所です。そして不思議な雰囲気の残る界隈です。2015.12.21

南千住・素盞雄神社(すさのお)

素盞雄神社(すさのお) 東京都荒川区南千住6-60-1 。JR西日暮里駅から上野方面に向かい一つ目の日暮里駅で常磐線に乗り換えます。南千住駅南口を降りて太い通りを右に500m程進むと国道4号線に出ます。4号線の向こうに目的の神社はありました。想像以上に大きな社でした。この鳥居は4号線に面したもので、社の正面、狛犬の置かれている鳥居は南側にありました。2015.12.21

社の正面の鳥居、狛犬が2対みえます。社で頭を垂れていのりました。ひっきりなしに地元の人々が訪れているので写真を撮るチャンスがありません。ちょっと人が途切れた時に撮影しました。2015.12.21

素盞雄神社(すさのお)・文化2年(1805年・乙丑)の狛犬阿像
奉納された年号は文化3年(1806年・丙寅)か2年(1805年・乙丑)のように見えます。一応可能性の高い2年にしましたが正確には特定出来ませんでした。小型ながら躍動感のある見ごたえのある狛犬に感じました。顔の表情、リアルな姿が大変好ましく、江戸らしいすっきりした造形に見えます。2015.12.21

 

素盞雄神社(すさのお)・2年(1805年・乙丑)の狛犬吽像

静かに台座の上に佇む吽像、阿像ほどの動きを感じませんが、動と静の対象が生み出すハーモニーを好ましく思いました。2015.12.21

新吉原・松葉屋半蔵と彫られています。文化12年((乙亥1815年)の白髭神社の狛犬と同じ吉原の妓楼松葉屋だと思います。 。白髭橋の奉納者は松葉屋半左エ門と書かれているのでこの半蔵は子供かもしれません。どちらにしても吉原はすぐ近くになります。2015.12.21
阿像から吽像を見ています。後姿も大変リアルに彫られています。2015.12.21
神社の由来が書かれた説明板、氏子がかなり多いようです。平日なので参拝する人の途切れる事がないことからそれは納得できます。2015.12.21
素盞雄神社(すさのお)社前の狛犬・阿像
社の前に獅子山状の大きな狛犬が置かれています。大きな尻尾を空に大きく波打たせています。迫力のある狛犬です。2015.12.21  

跳躍力を感じさせる低い姿勢の躍動的な姿、空になびく大きな尻尾が力強い姿態を更に強調しています。個人的な印象ですが白髭神社の狛犬と同じく高い技量を感じさせていると思います。奉納の年号を探したのですが見つける事が出来ませんでした。2015.12.21

素盞雄神社(すさのお)社前の狛犬・吽像

大きな獅子山を登る子供の姿に目が惹きつけられます。阿像に負けじと大きな尻尾を空に靡かせる吽像の姿はやはり堂々としていると言う印象が最初に浮かびます。子供の獅子の姿は反則ではないかと思います、どう見ても微笑ましい姿は心に残るのですから。2015.12.21

阿像から吽像を見ています。大きな獅子山に置かれた一対の狛犬の姿は、離れた入口の鳥居からも際立って見えます。大変良い狛犬を見る事が出来ました。2015.12.21 吽像の前に当地の野菜・三河島菜が飾られていました。小松菜に似ているように見えます。
端光石の狛犬

天王堂と書かれた大きな提灯と鳥居の右に小さなお堂、それを鎮護する古い狛犬が置かれています。その小さなお堂に端光石と言う岩があるようです。2015.12.21

端光石の由来が書かれた看板です。小塚原の地名の由来も書かれていました。この近くには吉原があり、花又花酔の川柳に”生まれては苦界、死しては浄閑寺”と詠まれた投げ込み寺(浄閑寺)もあります。私にはどこか独特な場所に思えます。2015.12.21

阿吽像共に簡略な彫ですが古そうな狛犬に見えます。傍に近づくことが出来ないので詳細は不明です。かなり小型の狛犬です。2015.12.21

庚申塚前の狛犬
端光石の前に3基の江戸時代の庚申塚が建っています。その前に涎掛けをを巻かれた小さな狛犬。尻尾が昭和の作を表しています。2015.12.21

この狛犬は昭和26年の奉納と記されています。昭和の狛犬にしては表情豊かな彫りです。かなり小型の狛犬です。

この神社は見どころが多く一度ならず訪れてみたい社です。隅田川を挟んで足立区の北千住と荒川区の南千住に分かれていますが昔は一帯の江戸一番の宿場であったのです。

境内には奥の細道の歌碑が建っています。北千住は堤防に描かれています

”千じゆと(足立区・千住)云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪(なみだ)をそゝぐ。   行春や鳥啼魚の目は泪 是を矢立の初(旅の出立の始りの句)として、行道猶(なほ)すゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのミゆる迄ハと見送なるべし。2015.12.21

千住大橋

南千住・素盞雄神社(すさのお)を出て目の前の日光街道・国道4号線を千住大橋を目指して進みます。足立区の北千住と荒川区の南千住は芭蕉の上陸地で互いにわが町と競っているようです。北千住の大橋公園は前回の海までのジョギングの途中に立ち寄ったので、南千住側の上陸の印を見たいと思いました。2015.12.21

 

千住大橋を目指して日光街道を歩いていると道路脇の壁に大きな写真がプリントされていました。昭和30年代の日光街道と隅田川近辺に注ぎ込む運河の様子が写された写真です。更に進むと千十大橋の橋際に千住の河岸の説明板があります。橋のたもとの道を左に路地を進むと熊野神社がありました。更に進んでコンクリートの堤防の下に出ましたが、記念碑の類は何もありませんでした。2015.12.21

千十大橋まで戻り北千住側の岸を見ると大橋公園に屋形船が係留されていました。時間がないので今回はここで引き返すことにしました。常磐線で亀有に向かうことにします。2015.12.21

亀有公園前派出所の両津巡査銅像

南千住駅から常磐線にのり亀有に向かいました。この方面には土地勘がないので間違って千葉県の松戸まで行ってしまい、戻る羽目になりました。

駅前で両津巡査の銅像の在りかを聞くと説明書があると教えてくれました。それが何故か中国語です。どうも中国人に人気の漫画になっているようです。2015.12.21

亀有駅前に3つの銅像があるようです。ベンチのある銅像では中国人が写真を撮っていました。私もその青と両さんと肩を組んで写真を撮りました。2015.12.21
流石亀有、中国語の説明書とはシュールな感じです。私にはまったく内容が分かりませんでしたが、中国人の間ではかなり両津巡査の銅像は人気があるようです。

荒川区の諏訪神社と素盞雄神社(すさのお)は境内の風景、街の風情、江戸の狛犬の姿、すべてに申し分ないものでした。機会を見つけて再訪したいと思っています。2015.12.21

 
11/26/2017
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