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2022年4月12日、未だ桜の花咲く旧中川沿いの道を辿り墨東の神社を参拝しながら狛犬を鑑賞する街歩きを存分に楽しみました。それらの神社を鎮護する氏子の方々が暮らす街の中に鎮座する神社は穏やかな佇まいで迎えてくれました。大変心が落ち着く前回の楽しい神社巡りの思い出に掻き立てられて、約2週間後の4月26日、更に墨東の神社を訪ねて東から西へと辿りました。 |
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墨東の神社と狛犬を訪ねて | |||
前回4月12日の家への帰路を逆に辿りJR亀戸駅から東武亀戸線に乗り一つ目の亀戸水神駅で降ります。 2022.04.26 |
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駅で道を聞くと、最初に訪ねる亀戸水神は駅から一本道との事、迷うことなくたどり着けそうです。 2022.04.26 |
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墨東の神社と狛犬掲載データ 江戸の狛犬・街の狛犬 |
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⇦墨東の狛犬のスライド画像をご覧ください。左画像をクリックするとページが開きます。表紙の次は霧が流れるスカイツリーの動画が掲載されています。 | |||
亀戸水神社住所:江東区亀戸4丁目11−19。駅脇の踏切から延びる道を辿ると迷うことなく神社の鳥居が見えてきました。2022.04.26 |
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人家が密集する亀戸水神駅の近くでもあり神社の境内は若干狭いようですが鳥居の脇に交番があるのには驚かされました。もっとも参拝が終わって次の亀戸香取神社への道を丁寧に教えてもらい大助かりでした。 2022.04.26 |
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亀戸水神の金色の扁額が掛かる社で参拝をさせてもらいました。この地に水神様が祭られていることは、近くを南北に流れる旧中川と、隅田川を結ぶ北十間川の合流地点であることからかっては水害の経験がある地なのかと推測しました。荒川放水路掘削の契機の一つなった、明治43年(1910年)の大水害の被災地であったのかもしれないと思いました。 2022.04.26 |
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神社の後ろには幹線道路の蔵前通りが東西に通じています。西に向かうと浅草方向になります。 神社の入口に”亀戸あさくさ古道”の案内図が建っていました。 2022.04.26 |
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江東区・亀戸水神社狛犬 |
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本殿への参道の左右に置かれた狛犬は小型でしばしば目にする新しい様式の石像です。個人的な推測では古くても昭和30~40年代の作ではないかと思っています。 右の阿像は玉取りの意匠です。 2022.04.26
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右の阿像から左の吽像を写しています。吽像の後ろは水神通りと言う商店街が続きます。 2022.04.26 |
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左に置かれた吽像、子供の狛犬も親と同じく胸を一杯に張った迫力ある子取りの意匠でしばしば目にする形です。 2022.04.26 |
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亀戸水神の裏を通る蔵前通りを次の亀戸石井神社を目指して浅草方向に向かって歩きます。蔵前通りに出る道から霧が流れるスカイツリーが空に突き立っていました。絶好の目印になります。時折小雨が落ちてきました。 2022.04.26 |
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亀戸香取神社住所:江東区亀戸3丁目6。次の石井神社を探しながら道を歩いていますが中々見つかりません。何度か同じ道を通りながらいつの間にか広い参道の亀戸香取神社の前に立っていました。予定の順番は逆なりましたが参拝をさせてもらうことにしました。2022.04.26 |
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亀戸天神が近い事もあり参拝の人が途切れません。参拝の人が写りそうなので写真を撮ることを控えないといけないと思いました。 長い参道の先に大きな本殿が望まれます。 2022.04.26 |
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参拝の人が途切れた折に大急ぎで私も参拝をさせてもらいました。
2022.04.26 |
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本殿に奉納された香取神社の変額です。 2022.04.26 |
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入口に長い御由来やご祭神などの説明がありましたが画像から全てを読む事が出来ないので御由来部分だけを掲載しました。 2022.04.26 |
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亀戸香取神社狛犬 |
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参道の狛犬はかなり大型で高い台座の上の置かれているので細部は見ることができません。右に置かれた阿像はしばしば目にする意匠の大型の狛犬で玉取りの石像です。
2022.04.26 |
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時折雨が落ちてきてレンズを濡らします。左の吽像の後ろから阿像を写していますが吽像の後ろが雨粒かレンズの曇りで少しぼやけてしまいました。 2022.04.26 |
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左の吽像は子取りの意匠です、子供は口を開いていささか凄まじい表情に見えました。台座の周りをまわりながら石工名や年代を探しましたが見つかりませんでした。 素人の推測ですが古くても昭和10年代(多分もっと新しいのではないかと思いました)の作りに見えます。 2022.04.26 |
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本殿の脇に摂社が祭られていました。水神社・三峰神社・熊野神社の文字が見られます。 2022.04.26 |
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蔵前通りに面した境内横の鳥居の脇に奉納したと思われる”昭和3年11月”と”亀戸三業組合”の文字が刻まれた石柱がありました。多分現在では各地の同類と同じく所謂三業地組合はなくなっているではと思われます。珍しい文字を目にしました。 2022.04.26 |
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亀戸石井神社住所: 東京都江東区亀戸4丁目37。石井神社を探して裏通りを右往左往したり通りがかりの人に聞いたりしましたが見つけられません。蔵前通りに戻ったり、最初に訪ねた水神様まで戻ったりといささかうんざりしていると、通りにしばしばお世話になるヤマト運輸の人がいました。石井神社を訪ねると簡単に教えてくれました。そのお陰でやっと裏通りにある小さな石井神社にたどり着くことができました。 | |||
まさに氏子の方々と共にある神社そのもので周りを人家に囲まれて鎮座されていました。
2022.04.26 |
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やっと探した本殿の前で参拝をさせてもらいました。 2022.04.26 |
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拝殿から参道と入口の鳥居を写しています。 2022.04.26 |
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江東区・亀戸石井神社狛犬 |
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狛犬は小型のサイズ、右に置かれた阿像は子取りの意匠で彫られています。子供の狛犬は親の足の下でおとなしくしているようです。 彩色されているのでリアルな雰囲気を醸し出しているようです。 2022.04.26 |
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右の子取りの阿像から左の吽像を写しています。石像の彫はそれほど精緻には見えませんがそれがかえっておおらかな印象を与えてくれているようです。
2022.04.26 |
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左の吽像は玉取りの意匠で彫られています。台座の周りを探しましたが石工名や年代を示す文字は見つけることができませんでした。石材や彫などから大正か昭和の昭和初期の彫ではないかと推測しています。 2022.04.26 |
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街のパン屋さん |
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石井神社から裏通りを西に向かって歩いていいると街のパン屋さんがありました。店で作ったパンを販売しているパン屋さんのようです。2022.04.26 | |||
昼食が終わったせいか多くが売り切れていましたが私の好きなアンパンが残っていました。2022.04.26 |
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歩きながら口に入れてみました。程よい甘さのアンパンです。何か懐かしい味でした。 2022.04.26 |
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梅屋敷 |
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グーグル・マップを見ると”梅屋敷”と”梅屋敷跡”の二つがありどれが歴史的なものかが判然としませんでした。最初に蔵前通りにある”梅屋敷”に行ってみました。一見して私の興味のある歴史的な場所ではありませんでした。 2022.04.26 |
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亀戸天神住所:江東区亀戸3丁目6−1。亀戸天神に狛犬が奉納されていないのは分かっているのですが、これから向かう"梅屋敷跡"の通り道なので立ち寄ってみることにしました。 |
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蔵前通りから神社に向かいますがかなりの人が見られます。 2022.04.26 |
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丁度藤の花の季節が終わりのころを迎えたせいもあり参拝の人が多いのかもしれません。藤は最後の花びらを咲かせていました。 2022.04.26 |
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藤棚の先に霧が流れるダイナミックなスカイツリーの姿が望まれます。素晴らしい風景を見ることができました。 2022.04.26 |
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亀戸天神で参拝をします。藤棚の周囲より神社の本殿の前の方が人混みが少ないようでした。 2022.04.26 |
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北十間が流れる道路わきにある梅屋敷跡は今ではこの案内板と石柱が残るだけでした。ここでも明治43年(1910年)の大水害が梅屋敷の梅を枯らし廃園となったと記載されています。 説明版に書かれた”臥竜梅”という梅の銘木の話をどこか他所で見た記憶があるのですが記憶がおぼろです。 2022.04.26 |
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説明版とともに明治43年(1910年)の大水害を記した昭和33年(1958年)に建てられた石柱が残されていました。 2022.04.26 |
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広い道路に面した一角に記念の印が残されているだけでした。道路の脇は北十間川が流れています、ここから西に向かいますが直ぐ先で横十間川が合流するこの辺りは当時景勝の地であったであろうと推測されます。 今は霧が頂を行き来するスカイツリーが望まれます。 2022.04.26 |
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06/18/2022
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