|
|||
約2週間前の3月28日、中山道から隅田川を海までたどった余韻が残る4月12日、再度隅田川を訪ねることになりました。この海までの旅では後輩二人が途中の千住・桜並木から同行しました。その内の一人が浅草で生まれて浅草 で今も暮らす事から当然地元の情報に精通しています。江戸の物語に登場する中川船番所に通じる旧中川周辺の街並みを勧められました。私には東京で最も馴染みの少なかった隅田川七福神巡りの道筋からさらに東側の一帯になります。知らない街への不安と期待が高まります。 |
|||
⇦墨東の狛犬のスライド画像をご覧ください。左画像をクリックするとページが開きます。表紙の次は霧が流れるスカイツリーの動画が掲載されています。 | |||
都電に乗って | |||
今回は京成電車を使うことからふと思いつきました。日暮里駅から乗らずに王子駅から都電荒川線に乗り、知り合いを訪ねて都電を途中で降りて京成・新三河島駅から乗ることにしました。 早稲田から三ノ輪橋まで走る都電荒川線は地元の人々の暮らしの中を行き来する極めて魅力的な電車です。人家の軒下を通り、安っぽい観光の臭いのしない穏やかな雰囲気に満ちた車内には心が癒されます。 2022.04.12 |
|||
ゆっくり進む都電の中から街の風景を眺めます。江戸の物語にしばしば登場する音無川、王子権現の脇を流れやがて隅田川に出るその流れも都電の脇はコンクリートで固められた間を流れています。 2022.04.12 |
|||
都電荒川車庫には幾つかの車両が止めってありました。右の都電には行き先が”銀座”と書かれています。見学用の車両かもしれません。 2022.04.12 |
|||
荒川遊園を通ります。コロナの影響で休園中の看板が見られます。遊園地の裏は直ぐ隅田川が流れています。 隅田川の海までのジョギングではこの荒川遊園を対岸から眺めて通り過ぎます。荒川遊園に隣接する船方神社に参拝し狛犬を見たこともある馴染みの場所です。その折々の思い出が胸を去来します。 2022.04.12 |
|||
尾久八幡神社に都電が止まりました。親切にも私がかって訪ねた場所を順繰りに案内してくれているようです。 2022.04.12 |
|||
知り合いのいる停留所で都電を降り昭和の東京らしい街の中を京成電車の駅を目指して歩きます。 2022.04.12 |
|||
所要を済ませて京成電車に乗りました。広大な荒川放水路を渡ります。京成押上駅で乗り換えて八広駅で降りました。”ゆりのき通り”と書かれた太い道を南に歩き途中から荒川放水路方向に左折すると神社が見えました。 2022.04.12 |
|||
墨東の神社と狛犬掲載データ 江戸の狛犬・街の狛犬 |
|||
|
|||
東墨田白髭神社住所:墨田区東墨田3丁目13。京成八広駅(やひろ)駅で降ります。”ゆりのき通り”を暫く歩いてから左に曲がり工場街が広がる細い道を荒川放水路の土手に沿うように南に進みます。氏子の人達の屋並みの中に囲まれて神社は鎮座していました。家越しに社の屋根や木立が見えましたが入口が分からず荒川の土手下に出てみました。2022.04.12 |
|||
土手下の道に面して大きな鳥居が奉納されています。強い日の光が境内に木陰との濃淡の模様を作っていました。 2022.04.12 |
|||
2022.04.12 |
|||
くっきりと金色の文字で彩られた白髭神社の扁額が奉納されています。2022.04.12 |
|||
墨田区・東墨田白髭神社狛犬・昭和47年(1972年) |
|||
参拝を済ませてから狛犬を見させてもらうことにしました。右に置かれた阿像と思われる狛犬はほぼ一般的な大きさに見えます。照りつける日の光が狛犬の彫りに強い濃淡を作っているために上手く写真が撮れませんでした。 さすが江戸の狛犬と思わせる隙のない彫りだと思いました。 2022.04.12
|
|||
日の光を避けて右の阿像の斜め手前から左の吽像を写します。 後ろから見る彫りにも透かし彫りの尻尾などが見られて見ごたえのある狛犬に思えました。 2022.04.12 |
|||
左に置かれた吽像、見る位置にもよるのか少し微笑んでいるようにも見えました。誰一人いない境内でゆっくりと石像を見ることができた楽しい一時です。 2022.04.12 |
|||
台座の周りを石工の人の名前を探してみましたがこの昭和47年(1972年)建立の文字だけが見えました。素人の推測ですがもしかするとこの年号は台座の再生年で、狛犬はもう少し古いのではないかとも思えます(確かではありませんが)。 2022.04.12 |
|||
白髭神社の御由来によれば明治43年の大洪水被害と明治44年(1911)に始まり昭和5年(1930)に完成した荒川放水路開削工事の苦労が書かれています。 多くの人々が馴染んだ土地から立ち退かざるを得なかった苦労が読み取れます。 2022.04.12 |
|||
参拝をさせてもらってから荒川放水路の土手に上ってみることにしました。土手の下に植えたのではないかと思われる水色の花が咲いていました。 一人旅ではしばしば道端の花に慰められます。 2022.04.12 |
|||
広大な荒川放水路の土手下の広場と高速道路が望まれます。この風景は中山道から海までのジョギングではなじみの上流部の”みやぎゆうゆう公園”の風景の続きになります。 2022.04.12 |
|||
土手のこれから進む方向には右にスカイツリー、左には清掃工場の巨大な煙突が見えます。 2022.04.12 |
|||
次に参拝する平井天祖香取神社を目指して人家の間の道を南進します。旧中川の土手に出ました。嬉しい事に未だ桜が咲いていました、思いもよらないプレゼントです。土手に上ると左には荒川放水路に掛かる水門が見えます。 2022.04.12 |
|||
この桜はこの先の旧中川の川岸でも見ることができました。 2022.04.12 |
|||
土手の草むらに私の姿を見ても逃げもせずに餌を啄むムクドリがいました。強い日差しと僅かな薫風が流れる快適な旧中川沿いの土手を散歩しました。”ゆりのき通り”に掛かるゆりの木橋を渡り更に南進します。 2022.04.12 |
|||
平井天祖香取神社住所:江戸川区平井7丁目28−5。ゆりの木通りを進んでいると右にセブン・イレブンが見えました。立ち寄り昼の弁当を買いました。再度通りに出ると左手に神社らしき雰囲気の場所が見えました。大通りから少し入ると確かに神社です。2022.04.12 | |||
かなり大きな境内はまさに氏子の人々と共にある神社の持つ暖かみのあるじんわりとした佇まいです。心を静めてくれる心地よい神域に感じました。
|
|||
鳥居の前で拝礼をして参拝をお願いしました。広い神社の境内に人影は見えません、私一人だけです。 2022.04.12 |
|||
手水場で居住まいを正して参道を進みました。 2022.04.12 |
|||
瓦が葺かれた重厚な拝殿に進んで参拝をさせてもらいました。残りの神社に無事たどり着けることをお願いしました。 2022.04.12 |
|||
宮彫りが施された清冽なたたずまいの拝殿で参拝をさせていただきました。 2022.04.12 |
|||
江戸川区・平井天祖香取神社狛犬・明治39年(1906年) |
|||
右に置かれた阿像、氏子の方々の手入れの良さが見られる採色が施されたリアルな狛犬です。外連味のない彫りや材質等から江戸の雰囲気を強く感じらる狛犬です。 大きさは通常のサイズ、彫りこみの線は油断なくきれいな曲線を描いていました。見ごたえのある狛犬に出会いました。 2022.04.12 |
|||
左の吽像から右の阿像を写しました。2022.04.12 |
|||
左の吽像にも彩色が施されています。100年以上の経年による劣化が見られない極めて良好な保存状態の石像に見えました。 2022.04.12 |
|||
台座に彫られた文字はほとんどが私には判読ができませんでした。ただ、運が良いことに奉納年と思われる明治39年(1906年)らしき文字が判読できました。最後の文字は”日”と思われますが判読ができませんでした。正確ではありませんが明治39年(1906年)と推定しました。 | |||
屋根の狛犬 |
|||
重厚な瓦が葺かれた屋根にかなり珍しい狛犬が飾られていました。こちらは阿像と思われます。私が思い当たるのは埼玉県戸田市の美女木八幡境内社の氷川神社の屋根に狛犬が飾られていたのを思い出しました。 2022.04.12 |
|||
屋根の上の瓦の狛犬としてはかなり手の込んだ作りです。当時はこれだけの飾り瓦を作る職人さんがいたのでしょう。 2022.04.12 |
|||
拝殿の後ろに回ってみました。本殿の美しい屋根が見えました。 2022.04.12 |
|||
次の神社に向かうために拝礼をしてから拝殿の後ろから入口の鳥居を写しました。2022.04.12 | |||
|
|||
|
|||
| |||
|
|||
Copyright (C) Oct. 10,2007 Oozora.All Right Reserved.
06/18/2022
更新 (禁)転載
|