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高崎市保渡田町・八幡塚古墳 |
今年の猛暑に辟易して町から離れて少し北の街に出かけることにしました。できるだけ馴染みの少ない場所にしようといろいろ迷った結果、随分昔、一度尋ねた事のある伊香保温泉に行くことにしました。目的の一つが、個人的に出雲と奈良に興味を持つことから、周辺に多く見られる古墳を訪ねててみたいと思いました。途中農協の野菜や果物を買いながら榛名山にも立ち寄ってみることにしました。 @関越道・上里インター⇒農協・上里カンターレの洋菓子・中央軒煎餅での買い物⇒山上碑・山上古墳⇒高崎市・春日神社 |
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古墳入口の木陰に車を止めてJAの店を見ています。後方の山脈の中で尖った山が多分榛名山ではないかと思いますが確かではありません。 家人は暑いので車で待つと言うので一人で古墳に登ることにしました。3世紀半ばから7世紀頃まで続いた古墳時代、これから見る古墳群は今から1500年程昔の5世紀後半から6世紀初めの30年程の間に作られた墳墓群との事です。今回は時間の関係もあり二子山古墳と八幡塚古墳を見ることにしました。楽しみにしていた古墳群に隣接する”かみつけの里博物館”が休みだったため情報は古墳の周囲に置かれた案内板だけが頼りとなりました。 *下記を含めて、一部情報は”高崎市文化財情報”のサイトを参考にさせていただきました。
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12:54・最初に訪ねた二子山古墳の入り口に案内板がありました。二子山古墳の周りも幾つかの古墳があると書かれています。地図に記された赤い印が榛名山の噴火前、青い点が噴火後に作られて墳墓との事です。 |
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小山上の古墳の上には説明版がありました。大変興味深かったので出来る限り記載いたしたいと思います。 ◎説明版見出し・豪族の棺ー舟形石棺 説明によれば階段を登って私の立つ古墳の地面の下に写真の豪族をいれた舟形石棺が埋められていると書かれていました。石棺のサイズは長さ3m、幅1.2m、高さ1mで側面には縄掛突起があるとの事です。
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◎説明版見出し・石棺の姿 二子山古墳に埋葬された石棺を各角度から写した画像です。 上段画像左から:東斜め方向から、東方向から、西方向から
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12:57・二子山古墳の上には幾つかの案内板があります。 ◎説明版見出し・棺の中には何があったか? 古墳の別の説明版”棺の中には何があったか?”には度々盗掘で荒らされ埋葬品も持ち去られたようです。平成15〜17年の調査で土中に大量の埋葬品の破片を見つけ、それらから見つけ出された当時の一級品の豪族の持ち物が判明しました。
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左行には金の飾り金具、玉類、冠または履(くつ)、矢を入れた武具の破片。右行には雲母製の飾り、馬具の破片、鉄よろいの破片、刀の破片、鉾、農工具
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古墳からの美しい見晴らしをゆっくり楽しんでいます。西方向の浅間山方向の風景ではないかと思いますが確かではありません。古墳らしい丸い台地が眼下に望まれます。
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隣接する八幡塚古墳に向かいます。
高崎市の参考文献:八幡塚古墳 発掘調査所見にもとづいて、1500年前の姿の古墳を再現しました。内堤の一角には、人物・動物の形をした埴輪群像が復元されています。後円部には、王の棺(舟形石棺)の実物が見学できるドーム施設があります。 |
13:02・八幡塚古墳住所:高崎市保渡田町2000−1。 二子山古墳に隣接する美しい広大な八幡塚古墳は多くの発掘調査に諸々の遺物や情報から1500年前の姿を再現したものとの事です。誰一人いない美しい古墳の上に登ってみることにします。
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埴輪の置かれた脇を通り石組みを登ることにしました。美しい古墳の石組みがかっての面影を元に再現されているとの事、古代の人々の暮らしや心の豊かさに驚かされます。古墳の背景は青空と上州の美しい山並み、再度古墳の地に最適の地であったと思いました。 墳墓の上に見える緩やかな坂道を右方向に歩いてみることにしました。
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二子山古風の前には当時の古墳時代の水田跡も見られます。
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この埴輪の場所も、オリジナルではないとしても幾つかの遺跡で感じた開放感が印象的で楽しく歩きかつ見ることができました。
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玉村町を東西に横断する日光例幣使道沿いに建つ一の鳥居を始め、国指定重要文化財である本殿・幣殿など、境内には深い歴史と崇敬の念を感じさせる建造物が多く残されております。 |
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説明によれば、京からの例幣使が日光東照宮に向かう往路は中山道をから日光に向かうと書かれているの見て、昔なにかの小説で読んだ記憶が頭に浮かんできました。因みに東照宮から江戸への道は、私には馴染みの日光の例幣使街道から奥州街道を進むことになります。江戸から京への帰路は東海道になるようです(てっきり江戸までの往復と思っていました)。この神社の鳥居の前をかっての例幣使が通った道と書かれているのを見て神社の重厚な作りと深みのある佇まいが納得できました。
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進雄神社青銅製狛犬・昭和50年 |
そして青銅製の狛犬を見ると常に思い出す事ですが、精緻な作りの江戸の狛犬が目に浮かんできます。新宿花園神社に鎮座する文政4年(1821年・辛巳)の唐獅子像です。江戸の職人の技と心意気がにじみ出ているようで私の心を打つ青銅像です。
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台座には奉納された昭和50年の年号が刻まれていました。
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14:25・玉村八幡宮住所:群馬県佐波郡玉村町下新田1番地。 街への帰路に乗る関越道 ・玉村インターを通り越して旅の最後に訪れる玉村八幡宮に到着。 大きな随神門を通ると長い参道の先に本殿が見えます。
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玉村八幡宮狛犬 |
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参拝を済ませて随神門の先にある神社の駐車場に戻ることにしました。玉村八幡宮の長い参道が旅の最後の散策となります。名残りが尽きませんが、参道歩きの間に、帰路の混雑する高速での緊張する気持ちに心具合を入れ変えることにします。
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随神門前の道路を渡ってから再度手を合わせてお礼を申し述べました。
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個人的には、美しい自然の風景に恵まれた場所であることは分かっていましたが今回訪れた遺跡の数々には驚かされました。一般的には、当然の事ですが近づくことや、歩き回ることを規制される場合が多いのですが、今回の旅の場所は、どこでも見る人に最大限の楽しさを与えてくれる仕組みで大いに堪能することが出来ました。加えて美しい風景の中にあるそれらの遺跡も、俗っぽい建物も無く透明感を保った場所であったことも大いに驚かされかつ思い出に残る旅となった一因です。 もし機会があれば再度、幾つかの遺跡を訪ねてみたい言う思いが湧いてきています。
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| 11/22/2025 | |||||
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