塩谷町船生・岩戸別神社狛犬・明治44年(1911年) 2022.08.30 (禁)無断転載 |
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御殿場市と小山町の神社と狛犬・掲載リスト |
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日光戦場ヶ原散策の往路の立ち寄り神社 |
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①宇都宮市・徳次郎知賀都神社⇒②日光市森友瀧尾神社 | |||
①今市瀧尾神社 | |||
日光戦場ヶ原散策の帰路の立ち寄り神社 |
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①塩谷町船生・岩戸別神社⇒②塩谷町玉生・親孝子神社⇒芭蕉・一宿の地跡 | |||
街への帰路の立ち寄り神社 |
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宇都宮市今里町・羽黒山神社 | |||
宇都宮市芦沼町・八龍神社 追加掲載・矢吹町・住吉神社 | |||
岩戸別神社住所: 栃木県塩谷郡塩谷町船生8171。戦場ヶ原の散策が終わったのちいろは坂を下り日光市内に戻りました。県境の村への帰路は芭蕉の辿った日光北街道を辿る事にしています。日光の市街地を出でから左に折れて芭蕉の辿った鬼怒川に掛かる大渡橋に向かいます。一本道で矢板市に向かい、国道4号線に出る快適な日光北街道をドライブすることになります。日光北街道を走ってまず塩谷町舟生の岩戸別神社に立ち寄ることにしています。2022.08.30 | |||
現在の日光北街道・461号線から左折して旧道に入ります、落ち着いた街並みの中を進みます。岩戸別神社の鳥居は道路脇に見えたので迷うことなくたどり着くことが出来ました。 神社の脇に駐車スペースがあったので車を停めてゆっくり参拝が出来そうなので一安心です。
2022.08.30 |
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神社の御由来を興味深く読ませてもらいました。神社を覆う奥深い神域の佇まいはここに書かれた杉の木々が生み出しているものかもしれないと思いました。 2022.08.30 |
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杉木立に囲まれた心地よい石段の参道を登ります。歩きだして直ぐ隅々まで手入れの行き届いた極めて清冽な境内だと感じ入りました。 2022.08.30 |
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石段を上ると小広い境内の奥に綺麗な本殿が奉られていました。その前には手彫りの狛犬が見えます。まず参拝をさせていただきました。今回の旅もほぼ終わりを迎えます、此処までの旅の無事のお礼も申し述べました。 2022.08.30 |
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大変綺麗な拝殿に奉納されていた木製の岩戸別神社の扁額、境内の沢山の杉から考えて杉の木で造られたのではないかと推測しました。これ程綺麗な拝殿の様子から江戸時代に創建されたという本殿は建て直されたのではとも思いました。参拝が終わったので狛犬を見させてもらうことにしました。 2022.08.30 |
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塩谷町船生・岩戸別神社狛犬・明治44年(1911年) |
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右の阿像かなり保存状態の良好な石像です。形は私には見慣れた通常のサイズと感じました。目には黒い彩色が施されているせいか生き生きとした姿に見えます。 表情も優し気な親しみを感じる狛犬、付属物の見られないことからかなり古い時代の作りではと推測しています。
2022.08.30 |
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右の阿像からかなり離れた位置に置かれた吽像を写しています。背中部分や尻尾の彫りもあっさりした作りですが、局面の彫りに違和感を感じさせない動きのある姿が見られます。 2022.08.30 |
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左の吽像には彩色が施されていないせいかかなりの年代を感じさせる石像の姿です。全体に苔が密着している事も古さを感じさせる一因かもしれません。表情は阿像に倣って親しみを醸し出してくれる彫りに感じます。 2022.08.30 |
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台座にははっきりと明治44年(1911年)の文字が刻まれていました。厳しい日光地方の気候の中100年以上の年月を経た石像になります。それにしては状態がかなり綺麗な印象を持ちました。 2022.08.30 |
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参拝を済ませて境内を散策することにします。辺りを杉の木々で囲まれ、隅々まで綺麗な手入れがされている境内は何時も前途を案じる旅する心を静めてくれる居心地の良い神域です。本殿の後ろに回ってみることにしました。 2022.08.30 |
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幾つかの石塔が置かれた稲荷神社が祀られていました。杉木立を背景に美しい佇まいの摂社です。 2022.08.30 |
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綺麗な神社の境内の散策で心が落ち着きました、県境の帰路の運転にも良い影響が残りそうです。杉木立に囲まれた石段を下ります。 2022.08.30 |
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何時もの通り参拝を済ませて心が軽くなりました。鳥居の先には氏子の方々の家並みと実りの秋を迎え僅かに色付いた田圃が広がっています。 私には更に心を和めてくれる風景が広がっていました。シュウカイドウの花が目に留まったので鳥居を出て神社の境内沿いに道を歩いてみました。 2022.08.30 |
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参道の入口に咲く秋海棠の花が優しく出迎えてくれました。風情ある花の咲き方から見て私の印象では見せるためにわざわざ植えたのではなく自生の花を大切に育てた印象を持ちました。神社全体の細部にわたる心のこもった手入れからもそうであろうと思いました。 2022.08.30 |
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更に進むと一群れのミソハギの花が満開でした。野の花の風情を保ちながら沢山の艶やかな花を咲かせていました。 2022.08.30 |
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近くの雑草の中からは数本の白いテッポウユリが今を盛りと勢いよく花びらを開かせています。清冽な空気が満ちた神社を抜けて見にした野の花の姿で更に心が満たされた気分です。 2022.08.30
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親孝子(おやこうし)神社住所:栃木県塩谷郡塩谷町玉生。カーナビに従って進んでいくと辺りを田圃で囲まれた見晴らしの良い場所に鎮座する神社の前にでました。車は神社入り口の小広い場所に止めさせて貰いました。2022.08.30 | |||
境内に差し込む光は既にかなり傾き日暮れの近い事を知らせていました。鳥居を潜り参拝に向かいました。 2022.08.30 |
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拝殿の前には狛犬が置かれているのが見えます。阿吽像の狛犬の間の石段を登り綺麗に整った拝殿迄の境内からは田圃の広がる懐かしい風景が見通せました。 2022.08.30 |
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大きな横書きの扁額が奉納された拝殿で今回最後の参拝をさせて貰いました。 2022.08.30 |
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親孝子(おやこうし)神社狛犬・昭和17年(1942年) |
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右の阿像を見上げていますが斜めに差し込む陽の光が細部の彫りの陰影を塗りつぶして残念ながらはっきり確認が出来ません。それでも子取りの阿像の彫りは細部にまで心配りをした見応えある造形だと周りを回りながら鑑賞させてもらいました。 2022.08.30 |
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西日が背中を垂らす左に置かれた吽像から右の阿像を写しています。バランスの取れた石像をもう少し陽の高い内に見たかったものだと残念な思いを抱きました。 2022.08.30 |
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左の吽像は玉取りの意匠で彫られています。足下に彫り込まれた玉にも模様が彫り込まれている事から腕の確かな石工の人の彫りだと感じました。 2022.08.30 |
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拝殿と阿像を一緒に画面に入れて写しました。各部の曲線が緩みの無い丸みを帯びた線で彫り込まれているように感じました。 2022.08.30 |
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台座には奉納された年月と思われる昭和17年(1942年)の年号が刻まれていました。 2022.08.30 |
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西日を浴びて浮き上がって見える狛犬の先には広大な田圃の広がる風景が望まれます。如何にも穏やかな実りの風景です、しっかり目に焼き付けておくことにします。
2022.08.30 |
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鳥居の外の神社の縁には沢山の石塔が奉納されていました。一つ一つに人々の願いが込められた石塔に手を合わせて車に乗り込みました。同じ玉生地区にある芭蕉の足跡を訪ねる事にします。 2022.08.30 |
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日光北街道を矢板方向に向かっているとT字路の信号で赤色になったので数台の車の後ろに停止すべきブレーキを踏みました。 スピードを落とすと左から小さな砂利道が合流してきたのでふと目をやると日光北街道の案内板と石碑が見えました。 左にハンドルを切って砂利道に車を入れました。 2022.08.30 |
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中華料理店・桃蘭(栃木県塩谷郡塩谷町玉生1048)と信号との中間点あたり。中華料理屋から約60m程、信号からは約40m程の地点で左から砂利道が合流します。私は下をこすらないように注意しながらゆるい坂の砂利道に車を入れました。 2022.08.30 |
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こちらからゆるい登り坂の砂利道が見えます。入口近くに”芭蕉が歩いた道”と刻まれた石碑がたっていました。 2022.08.30 |
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短い砂利の坂道を歩いて登ってみました。直ぐに中華料理店方向に道は下っているようです。いよいよ玉入地区で芭蕉が泊まった場所の痕跡が見つけれるかもしれない気がしてきました。 随分昔の事ですが、宿泊地の跡を探して歩きましたが結局見つからずに諦めた事があります。その後もかなり頻繁に日光北街道を往復して玉入を通るたびに胸に棘のような思い出が去来しました。2022.08.30 |
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四月二日(陽暦五月二十日) |
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玉入の町に入ってからこの看板を探して通りを歩いているとご親切な地元の方が何を探しているのかと尋ねてくれました。芭蕉一宿の跡の石碑を探していると言うと直ぐそこだと教えてくださいました。この路地を進むと石碑があるとの事、家人は蛇が嫌いで雑草歩きが苦手なので道路で待つことにして私だけが雑草の中に足を踏み入れました。 2022.08.30 |
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通りから30m程進むと雑草の中に芭蕉一宿の石碑がありました。2010年6月7日に日光浦見の滝を訪ねた折の帰路探しましたが見つからなかった石碑があっけなく目の前にあります。掲載予告までした玉入一宿の碑はやっと日の目を見た事になります。 その後も幾度か探して諦めていた場所にやっとたどり着きました。 2022.08.30 |
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自然の中に静かに置かれた”芭蕉一宿之碑”は芭蕉もこれを見たらきっと好ましいと思うに違いない場所に置かれていました。これは素人の個人的な印象なのですが、今まで"奥の細道"一冊を手に持ちながら尋ねた芭蕉の足跡が如何にもこの地の佇まいに似合うことからの個人的な感想です。 2022.08.30 |
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石碑の裏手の竹林から切り取った竹の切れ端が田の横の地面に何気なく転がっています。そしてその横にはこれもさり気なく秋海棠が寄り添うように花を咲かせていました。 この風景も私には芭蕉への手向けにぴったりと感じ入ったところです。 2022.08.30 |
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草むらを嫌って、通りで地元の方と話していた家人が驚くべき話を聞いてきました。もう一つ石碑があるとの事です。俄かには信じられない話ですが、先程の石碑から右に30m程離れた山の斜面に向かうと草むらに埋まるように黒い石柱が見えました。 2022.08.30 |
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石碑を取り囲む雑草の中にテッポウユリの白い花の一群があたかも芭蕉に手向けられているように咲いていました。 2022.08.30 |
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日光から玉生に入った芭蕉がこの地の庄屋さんの家に一宿した、曽良旅日記の事が書かれています。地元の方のお話ではこの地はかってお医者さんの家があったとの事です。推測するにこの”奥の細道芭蕉翁の遺跡”の石柱が先ほど見た”芭蕉一宿之碑”までの広い一帯の遺跡の案内板ではないかと思いました。この広い面積が当時の庄屋さんの敷地であったのではないか等と推測しました。 時は流れ芭蕉の思い出を辿る人もまばらなのかもしれませんが、奥の細道に心をゆさぶられる人々の深い思いは消えることはないでしょう。
2022.08.30 |
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日光戦場ヶ原の散策と併せた神社と狛犬を訪ねる旅は思いもしない驚きと幸運の巡り合わせの連続でした。最後の芭蕉一宿の後の石柱にも巡り合えてはち切れそうな充足感が胸に満ちた長い旅は終わりました。心して夕暮れの中、県境の村に向かう事にします。2022.08.30 | |||
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10/29/2022
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