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徳次郎知賀都神社狛犬・安政6年(1859年) 2022.08.30 (禁)無断転載 |
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日光戦場ヶ原に出かける途中、急ぐ旅でもないので芭蕉の奥の細道所縁の日光北街道沿いの神社を訪ねることにしました。 夏の終わりの戦場ヶ原の散策だけでも十分思い出に残る旅でしたが、日光北街道の神社巡りが加わり思いもしない大きな充足感に満たされました。
2022.08.30 |
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日光市の神社と狛犬・掲載リスト |
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日光戦場ヶ原散策の往路の立ち寄り神社 |
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①宇都宮市・徳次郎知賀都神社⇒②日光市森友瀧尾神社 |
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①今市瀧尾神社 | |||
日光戦場ヶ原散策の帰路の立ち寄り神社 |
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①塩谷町船生・岩戸別神社⇒②塩谷町玉生・親孝子神社⇒芭蕉・一宿の地跡 | |||
街への帰路の立ち寄り神社 |
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宇都宮市今里町・羽黒山神社 | |||
宇都宮市芦沼町・八龍神社 追加掲載・矢吹町・住吉神社 | |||
徳次郎知賀都神社(ちかつ)神社:栃木県宇都宮市徳次郎町2478。戦場ヶ原へ向かう往路、日光市内の道の駅で野菜や果物を買おうと立ち寄りその途次3つの神社を訪ねました。夏休みを過ごす県境の村への帰路は芭蕉の奥の細道所縁の日光北街道を辿り、二つの神社と芭蕉の宿泊地を訪ねることが出来ました。 最初に尋ねた徳次郎知賀都神社(ちかつ)は道の駅を探しながら日光杉並木を車で走っていると鳥居が見えました。出発前に調べた場所ではありませんが立ち寄ることにしました。 2022.08.30 |
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車は鳥居の前の広くなった道の脇に止めさせてもらい大急ぎで参拝をさせてもらうことにしました。鳥居の先には杉の巨木の列が参道の両側に並び神域と俗界との区切りを作っているようです。 杉林の並木の先頭には推定樹齢700年の巨大な2本の欅が直立しています。 2022.08.30 |
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杉木立の参道を抜けると明るく開けた境内の先に本殿が望まれます。嬉しい事に本殿の前には石灯籠と並んで一対の狛犬が置かれているのが見えます。 2022.08.30 |
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知賀都神社の説明版には、日光二荒山神社に宝亀9年(778年)に勧請して鎮座したとの伝承が書かれています。 2022.08.30 |
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今回の旅で初めて参拝する徳次郎知賀都神社(ちかつ)で道中の無事をお願いしました。 2022.08.30 |
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私には大変珍しく見える真っ白の扁額が本殿に奉納されていました。 2022.08.30 |
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本殿の前に置かれた狛犬はかなり特異な風貌の石像です。私の知る手彫りの狛犬としては若干小型のサイズに見えました。 右の阿像と思われる狛犬は目の彫りの面積がかなり大きく、付属物が彫られていないことなどから古い時代の作りではないかと思いました。 石像のかなり広い部分が苔かカビの一種でないかと思われる白色の模様で覆われていました。最初はセメントか塗料が塗られて石材が変色しているかと思ってしまいました。
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右の阿像から左の吽像を写していますが、阿像の尻尾や背中の彫が私の馴染んだ石像とかなり異なる事が分かりました。 日光の狛犬に馴染みが無い事から江戸時代から徳川幕府とつながりの強いこの地の石像独特の仕様があるのかもしれないと楽しみになりました。
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左の吽像、阿像に比べると白い変色部分が少ないので顔の表情がよりリアルに識別できます。やはり顔付や髪の彫りがかなり特異な意匠に見えます。 私には新しい、それだけに特異な、意匠の狛犬出会って大いに楽しむ事が出来ました。 2022.08.30 |
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台座には安政6年(1859年)己未 (つちのと ひつじ)の文字が刻まれていました。日光東照宮に見られるように江戸との強い繋がりがあった日光地方なので江戸時代の狛犬が見られるのではと思っていましたがまさにその希望が叶いました。 通りがかりに見つけた神社での参拝で江戸時代の狛犬と遭遇出来た事は極めて幸先の良い旅の出だしです。 2022.08.30 |
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徳次郎知賀都神社(ちかつ)・長寿の夫婦欅・推定樹齢700年 |
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徳次郎知賀都神社(ちかつ)の鳥居の後ろの入口に巨大な2本の欅が空に向かって大きく幹を伸ばしています。 推定樹齢700年と伝えられる巨木です。
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2本の欅の巨木の前には”長寿の夫婦欅”の真新しい石柱が立っていました。確かに説明版の推定樹齢700年が納得できる堂々たる姿です。 最初の目的地、日光市内の”JAかみつが 森友直売所スマイル館”を尋ねる事にします。 2022.08.30 |
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森友瀧尾神社住所:栃木県日光市森友995。”JAかみつが 森友直売所スマイル館”に立ち寄り農産物を見ましたが季節的な問題なのか私達が買う県境の村近くの直売場程買いたい品が無かったので、昼のデザートにウオーター・メロンを2個だけ買いました。近くの森友瀧尾神社に向かいました。大きな通りの横にある神社で駐車場も神社の境内にありました。2022.08.30 |
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車から降りると目の前に手彫りの狛犬が置かれていました。一見したところ通常の手彫りの狛犬より僅かに小さめに見えました。 狛犬の間を抜けてお参りをさせてもらうことにします。 2022.08.30 |
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拝殿の前の注連縄が見慣れないかなりの大きさの藁束が祀られているのが目に入りました。 2022.08.30 |
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見慣れない大きな注連縄は出雲大社の注連縄作りの方に指導されたと書かれていました。 確かに出雲大社の注連縄は如何にも巨大な作りであったことを思い出しました。 2022.08.30 |
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大きな注連縄の拝殿で参拝をさせていただいてから入口の狛犬を見に戻ることにします。 2022.08.30 |
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森友瀧尾神社狛犬・大正15年(1926年) |
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右に置かれた阿像、大き目の丸い目をした親しみやすい風貌の狛犬です。付属物が彫られていないことから古い時代の狛犬ではないかと推測しました。 台座で奉納年や石工名を探す楽しみが出来ました。それにしても、不思議な事ですが何故かこの狛犬も先程見た徳次郎知賀都神社狛犬・安政6年(1859年)と同じく一部がかなり白色化しています。 2022.08.30 |
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右の阿像の後ろから左の吽像を見ています。簡素な彫りですが柔らかな曲線の背中は石像に穏やかな印象を与えているように見えました。 2022.08.30 |
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左の吽像、右の阿像より更に静かな佇まいを感じさせる石像です。 2022.08.30 |
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大正15年(1926年)寅年の年号が刻まれていました。約100年ほど前の彫りになります。 2022.08.30 |
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日光戦場ヶ原の散策はそれ程時間も掛からず終わるので、その通り道の神社を訪ねてみようとの思いつきが想像以上の思い出を与えてくれました。日光周辺は例幣使街道等を通して江戸時代の面影に思いもしない場所で出会うことがありますが、今回も江戸時代の狛犬に出会うという幸運に恵まれました。 帰路は夏季休暇を過ごす県境の村へ向かいますが、芭蕉の奥の細道所縁の日光北街道を辿ることになるのでどのような幸運に巡りあえるかと期待しながら日光いろは坂へと向かいました。 2022.08.30 |
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10/29/2022
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