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子易神社狛犬・昭和7年(1932年)石工名不明 *()転用・使用

2019年3月14日、そろそろスタッドレス・タイヤを交換しなくてはと行きつけのタイヤさんに立ち寄りました。タイヤ交換の間、前から気になっていたここから地下鉄で一駅の近所の神社を訪ねる事にしました。2019.03.14

赤塚 氷川神社 板橋区赤塚4丁目4−22−1 明治35年(1902年)酒井八右衛門・井亀泉と文久3年
諏訪神社 板橋区大門11−1 明治15年の狛犬
常盤台天祖神社 板橋区南常盤台2丁目4−3 文久三年(癸亥・1863年)
徳丸北野神社 板橋区徳丸6丁目34−3 文久三年(癸亥・1863年)
城山熊野神社 板橋区志村2丁目16−2 安政2年1855年石工 村田清八
東熊野神社 板橋区前野町3-38-3 嘉永2年1849年石工・村田清八
西熊野神社 板橋区前野町5-35 寛永3年1859年の狛犬
氷川神社 板橋区氷川町21−8 江戸の狛犬2対、17号国道脇
二葉町氷川神社 板橋区双葉町43-1 江戸の狛犬と昭和の狛犬の2対
子易神社 板橋区板橋2丁目19−20 昭和7年の異相の意匠の狛犬

板橋区役所前で降りて表に出ると中仙道の直ぐ脇にでました。エアーポケットのような静かな道を歩きます。

四つ又交差点の信号を渡って更に進むと左に宗泉寺があります。

駅から約400m程の信号の交差点の右に子易神社の看板が出ていました。2019.03.14
子易神社・氷川神社順路

地下鉄・板橋区役所前⇒400m程00m子易神社⇒120m東上線踏切⇒340m小さな川の跡⇒550m左折すると氷川神社二の鳥居(不明な場合は更に進む)⇒640m交番に隣接して氷川神社一の鳥居
*地下鉄板橋区役所前から子易神社を経て約1km強です。

子易(こやす)神社
子易神社住所: 板橋区板橋2丁目19−20

地下鉄の駅から静かな一本道を歩くと右に神社がありました。小高くなった岡の上に社は鎮座していました。狛犬は斜面に石組みされた上に奉納されています。2019.03.14

人家が密集する場所に鎮座する神社らしく参拝の人が私が狛犬を見ている間にも数人訪れていました。近くの中仙道や首都高速5号線は馴染んだ道ですが、この辺りの事は全く分かりませんでした。2019.03.14
 

拝殿の右に鎮座する稲荷神社のようですが名前が分かりませんでした。

 

 

稲荷神社の右に、明和2年(1765年)に祀られた子易観音堂。

入口の駐車場の前に”身代わり地蔵”又は”胸突き地蔵尊”呼ばれる元禄8年(1895年)創建の地蔵堂があります。2019.03.14

 
子易神社狛犬・昭和7年2月(1932年)

右に置かれた阿像と思われる狛犬、大きさとしては普通の大きさですが私には余り見慣れない異相の狛犬です。薄暗い木陰になった石組の上に奉納されている事もその特異な意匠と共に強い印象を与えてくれます。2019.03.14

私にはかなり特異な意匠に見えてインパクトのある狛犬に出会いました。個人的な印象ですが、木陰に潜む姿から全体に躍動する生き物の感じが見て取れます。階段の坂道と言う舞台が更にその印象を強くするのかもしれません。2019.03.14

右の置かれた阿像、左の吽像もほぼ同じですが、修復が施されているようなので元の姿と同じかどうか分かりませんが石を積み上げた上に奉納されています。

台座には奉納した氏子の人の名前と共に、”昭和7年2月成”(”戌”ではないと思われます)の文字が彫られていました。石工名らしい文字は見つけられませんでした。

石像の色が少し赤茶けているに見えます、もしかすると空襲の被害にあったかとも思いました(全くの個人的な想像ですが)。2019.03.14

左に置かれた吽像、表情は阿像より少し柔らかい印象を受けます。尻を上に上げて躍動する姿は吽像と同じく印象的です。2019.03.14
氷川神社に向かう

子易神社から更に道を池袋方向に進みます。120m程進むと東上線の踏切があります。渡り切って振り返ると丁度東上線が右方向・池袋駅へ向かって通り過ぎて行きました。

途中踏切から340m程進んで小さな川の跡(暗渠になっていたと思いますが記憶がはっきりしません)で通りを掃いていた地元の方に氷川神社の道を尋ねました。このまま道沿いを進むと交番があってそこに鳥居が有るとの事、お気をつけてと励まされてしまいました。

 
池袋氷川神社

池袋氷川神社住所:豊島区池袋本町3丁目14−1
道路進行方向の左に池袋本町交番がありました。氷川神社の一の鳥居は交番に隣接しています。名前は池袋ですがJR池袋駅まではかなり距離があります。最寄り駅は東上線の北池袋になります。広く長い参道は更に二の鳥居を潜り拝殿に続いていました。2019.03.14
 

境内の左に美しい造形の富士塚が見えます。説明板の通り富士山の溶岩・ボク石で表面が覆われているようです(立ち入りが出来ないのではっきりとは確認できません)。都心部は戦災の後始末の折りに整理されたのか多くは見られませんが、板橋区や川越舟運沿岸部等ではかなりの富士塚を目にする事からも江戸時代の江戸の人々が熱中した富士講の様子が推測できます。2019.03.14

富士山を模した美しい富士塚の辺りも現在では建物に囲まれてしまっています。2019.03.14

浅学の為理由は分かりませんが、富士塚ではしばしば猿の石像が入り口に奉納されている例を目にします。先日訪れた大きな藤塚を境内に祀ってある近くの志木市・敷島神社でも同じく猿の石像を目にしました。日光東照宮と言い富士塚と言い知恵のある猿は神の使いに選ばれる生物なのかもしれないと思いました。

しかし何ともユーモラスな姿で、野暮を嫌い粋を好む江戸の人らしいとも思いました。2019.03.14

 
氷川神社狛犬・明治39年(1906年)・彫刻人 石材商"”板橋町 加藤x

本殿の左の境内に幾つかの摂社が祀られています。その一つに狛犬が奉納されていました。2019.03.14

右に置かれた阿像です、優し気な表情と簡素な彫りが目立ちます。台座には目にすることが始めての"彫刻人 石材商"と”板橋町 加藤x(一字不明)”が彫られています。一般的的な名称の石工ではない事に彫った人の何らかの意味が込められているように思われます。2019.03.14

阿像から吽像を撮っていますが後姿からも簡素な彫りの意匠が分かります。

サイズは通常か若干小さ目かもしれません。2019.03.14

左に置かれた吽像、やはり彫りの簡素な事がその因だと思われますが、表情がハッキリと分かりません。それはそれで見る者に考えさせる楽しさをもたらしてくれます。2019.03.14

 

台座には 明治39年の年号と"彫刻人 石材商"”板橋町 加藤x”の彫りが見られます。2019.03.14

池袋氷川神社狛犬・昭和40年

この二の鳥居の脇に奉納されている狛犬は一の鳥居の方向に向かず、拝殿側に向けて置かれているようです。

拝殿を背にして右に置かれた阿像(一の鳥居から見ると左になります)、若干大きなサイズの石像です。顔の表情や尻尾の表現がかなり特異な意匠の狛犬に見えます。尻尾の部分もまるで鳥の羽を思わせる意匠に感じました。全くの個人的な印象ですが、一緒に彫られた子供を抱いて、空に飛び立つのような様子さえ感じさせてくれます。2019.03.14

拝殿から見て左側の吽像と思われる狛犬から阿像を撮りました。

玉を足下に収めた吽像の後姿も阿像と同じくあたかも羽根のようなイメージを感じてしまいます。2019.03.14

拝殿を背にして左に置かれた吽像、彫りも若干簡素に見えます。江戸の石工の伝統を受け継いでいると思われる地域の狛犬でも随分とユニークな意匠が有る事が分かりました。

2019.03.14

タイヤ交換の間の短い時間で二つの町の狛犬を見る事が出来ました、大きな満足感を感じてタイヤ屋さんに戻りました。この後、午後から何時もの土手のジョギングに出かける事が出来たので有効な休日の一日を過ごしたと事になります。2019.03.14

 
板橋区の狛犬
05/07/2019
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