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志木市・下宮氷川神社狛犬・昭和15年(1940年)獅子山吽像狛犬 *(禁)転用
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2019年2月12日、週一回の土手のジョギングからの帰路、川の反対側から分岐して流れる新河岸川沿いの街の狛犬を訪ねて見る事にしました。
日光御成街道沿いの川口市で思いもしない素晴らしい江戸の狛犬を沢山見る事が出来た事がそう思ったきっかけです。江戸時代、江戸の隅田川・箱崎河岸から川越までの物資や人を運んだ(人は上流の浅草・花川戸河岸)川越舟運(しゅうん)の道筋である新河岸川沿いの街ならもしかしたらと思ったのです。明治の作ながら迫力のある素晴らしい彫りの下鶴間氷川神社獅子山と村社・針ヶ谷氷川神社の江戸の狛犬(共に新河岸川沿いの富士見市の神社)の印象が強く残っていた事もあります。
因みに、川越舟運の話は私の愛読する本の一つ佐伯泰英の鎌倉河岸捕物控の中の第4巻”暴れ彦四郎”にも出てきます。川越を訪れる為に船に乗った主人公の一人”しほ”の描いた不思議な人物の姿から事件が解決に向かいます。”しほ”が川越藩に関係することからこの物語にはしばしば川越舟運が舞台に登場します。
私には全く土地勘が無いので、果たして計画通り神社を訪ねる事が出来るのか大きな不安を抱えながらジョギングの土手から川に掛かる長い橋を渡りました。結構此処も車が込んでいました。2019.02.12
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2019年2月12日&19日の新河岸川沿いの狛犬巡り掲載分順路
①志木市・下の宮氷川神社⇒天神社⇒宿氷川神社 ②志木市・羽根倉浅間神社⇒館氷川神社⇒水子氷川神社⇒敷島神社 ③富士見市・上水子ノ氷川神社(貝塚公園)⇒諏訪神⇒氷川神社 ④富士見市・上南畑神社⇒阿蘇神社 ⑤富士見市・榛名神社⇒ふじみ野市・八幡神社 ⑥川越市・羽根倉浅間神社(志木市・2回目)⇒川越八幡神社⇒愛宕神社 ⑦川越市・仙波氷川神社⇒川越氷川神社
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◉埼玉県の狛犬マップ参照ください。
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今回の新河岸川流域の狛犬巡りの途次、私は当てずっぽうな想像を楽しみながら狛犬を見る事になりました。
それはこの地域の狛犬巡りで余りにも多くの獅子山に出会う事となる驚きに起因します(何故かと思う不思議な気持ちが消えません)。今回の狛犬巡りで出会った14の狛犬の内、半数の7つが獅子山というのは(獅子山状が1つ含まれますが)私の知る限り信じられない経験です。
そして私の楽しい作り話の元は、江戸と川越を密接につなげた川越船の一般的な旅人の乗る出発地・花川戸河岸(浅草)の存在があります。江戸時代隅田川の渡しもありましたが、目の前の吾妻橋を渡れば向島は指呼の間です。そしてそこには江戸の職人らしい外連味のないすっきりとした獅子山が境内に祀られた牛嶋神社があります。私も、江戸の獅子山の中でも美しいと思う出色の狛犬です。
多分、新河岸川流域の人々は江戸に出て、花川戸河岸で川越舟運を使えば、当然浅草も見て向島にも出かけるだろうと思うのです(勿論新吉原も近いのですが)。そこには江戸で有名な隅田川七福神があり(牛嶋神社は含まれていませんが)、春は家光の墨堤の桜も満開です。この向島にある文政10年の牛嶋神社の獅子山が新河岸川流域の明治以降の狛犬に何らかの影響を与えたのではと、的外れの物語をあれこれ創作しながらそれを密かに楽しんでいるのです(そうであったら面白いと思いながら)。
これは2015.08.25に偶然立ち寄った富士見市の下鶴間氷川神社で明治26年の切れ味の鋭い獅子山狛犬を見た時からの妄想なのです。*尚、岩山の高さが低かったり岩の質・仕様等が一般的な獅子山と異なるものも含まれて居ますが、岩山状の上に乗った狛犬は獅子山と呼ばせていただいています。
最も、新河岸川流域で文政10年以前の獅子山が見つかれば私のアヤフヤな物語は霧散することになります。
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御由来にはこれから訪れる上の氷川神社(宿氷川神社)と分祀されたと書かれています。今日の新河岸川沿いの狛犬巡りの旅の出だしはとても落ち着いた佇まいの神社に出会えて先行きに幸運の予感がします。
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境内には幾つかの摂社が奉られています。右は水天宮、子宝・安産と水の神として崇められているようです。
2019.02.12 |
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志木市・下宮氷川神社狛犬・昭和15年(1940年) |
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所謂紀元2600年を記念して左の台座の写真に刻まれた昭和15年(1915年)に奉納された狛犬のようです。奉納した人達と思える当所 氏子中(ちゅう)と日本港湾従業員組合の名前が見えます(もしかすると摂社の水天宮とも関係するのかもしれません)。2019.02.12
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天神社住所: 埼玉県志木市中宗岡1丁目4−36。グーグル・マップでは駐車場の存在が不明でした。案じる事もなく太い通りから入り口に生垣のある路地に車が通れる道が鳥居まで通じていました。参拝者用の駐車スペースが鳥居の左にあったので心置きなくお参りをさせて貰うことが出来ました。天神社(てんじんしゃ)は小さな公園と一緒にある微笑ましい情景の街の中の神社です。2019.02.12
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湯島天神を分祀したという伝承が書かれています。2019.02.12 |
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拝殿の前には巨木がありそれに押されるように狛犬が置かれています。こなれた彫の狛犬に見えます。2019.02.12 |
志木市・天神社 ・昭和4x年・狛犬 |
右に置かれた阿像、良質な彫や全体のバランスの取れた見応えのある造形に見える狛犬です。どの個所にも違和感を感じずに鑑賞させてもらいました。2019.02.12
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少し狭く急な石段から見上げる事になりますが後ろ姿にも違和感が感じられません。阿像から吽像を写しています。大きさは標準的な大きさに見えます。2019.02.12 |
左の置かれた吽像、美しい模様の玉が彫られています。均衡のとれた全体の形、洗練された意匠、彫の正確さなど江戸の石工の系統の雰囲気を感じます。玉の模様や足の先端部の意匠などもその推測の根拠です。 |
台座には石工の名前が見付けられませんでした。年号は”昭和四?年九月吉日”の文字が見えますが、”四”らしき文字と”年"の間の文字を読むことが出来ません(干支の酉にしても少し違和感があります)。
素人の推測ですが果たして昭和四〇年代にこれ程の狛犬が彫れたのかと言う疑問が残ります(むしろ四年の方が納得できますが)。残念ながら私の知識では年代が分かりませんでしたが、出来の良い狛犬に出会う事が出来ました。2019.02.12 |
狛犬の後ろから参道の入り口方面を写しました。参道の突き当りが太い道で、鳥居まで車で入る事が出来ました。車は鳥居を回り込んだ場所に停められました。2019.02.12 |
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この神社は”上の氷川神社”とも呼ばれるている様ですが、最初に訪れた下の氷川神社の事がそのいわくと共に書かれています。2019.02.12
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拝殿の前にやや小型の狛犬が乗った獅子山が見えます。鳥居をくぐった時は雪でも降ったような真っ白な塊が何故有るのかが分かりませんでした。
傍で見て始めてセメントで獅子山を固めた事が分かりました。スペースが狭い為に獅子山の石が崩落する危険から守る為のように見えます。事故があると、昔日には存在した穏やかな寛容は忘れられて、神社の参拝にさえ責任を追及されかねない時世、仕方のない事のようです。氏子の人々の苦労はさぞかし大変だろうと思いました。2019.02.12 |
狛犬は若干小型ですが、生き生きとした躍動感を感じさせる造形です。それだけに元の姿が見られないのは残念な気がします。顔を上げ下げしなくても見える親子の距離感も申しが分ありません。
セメントで台座部分も固められているので年号等は見つける事が出来ませんでした。2019.02.12 |
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拝殿に飾られた木鼻狛犬の彫も見応えがあります。 |
絵馬の類なのでしょうか・・・ |
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拝殿の左隣には稲荷神社が祀られていました。稲荷神社の前の梅がぼつぼつ蕾を開かせていました。2019.02.12 |
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今までの所では徳川将軍(極めて稀ではあっても)や大名・旗本らの日光東照宮への参内経路であった日光御成街道沿いの川口市の狛犬とは様子が少し違っているようです。これから先は分かりませんが、今までのところこの新河岸川沿いの神社では氏子の人々の手の温もりをが感じられるような気がしました。今回の狛犬を訪ねる旅では江戸時代と特定できる狛犬を見る事が叶いませんでしたが、とても親しみやすく落ち着く神社の佇まいは思い出に残るものとなりました。
今回の目的の一つ、川越舟運の新河岸川は何度か橋で渡ったのですが結局神社巡りで時間がなくなりゆっくり見る機会がありませんでした。様子が大よそ分かったので機会があれば訪れて見たいと思っています。2019.02.12
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03/07/2019 |
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