大田原市・八幡宮狛犬・昭和12年(1937年) |
||||||
2022年冬休みの狛犬を訪ねて・bS4&bS5 |
||||||
|
||||||
狛犬を訪ねてNo.44一覧 |
||||||
|
||||||
2022年冬休みの狛犬巡りT |
||||||
狛犬を訪ねてNo.44@白河市の狛犬マップ 白河市の狛犬 白河神社⇒胡桃下稲荷神社⇒五龍地神社 |
||||||
2022年冬休みの狛犬巡りU |
||||||
狛犬を訪ねてNo.45@那須の狛犬マップ 大田原市の狛犬 市野沢温泉神社⇒大田原市小滝の神社⇒荻野目諏訪神社 狛犬を訪ねてNo.45A那須の狛犬マップ 大田原市の狛犬 湯殿神社⇒大神神社 狛犬を訪ねてNo.45B那須の狛犬マップ 大田原市の狛犬 八幡宮⇒玄性寺 |
||||||
狛犬を訪ねてNo.45一覧 |
||||||
テレビでは街の数年ぶりの強い寒波の襲来とのニュースが頻繁に流れているのを見るにつけ大きな不安が頭をもたげます。数年前の強い寒波で街のボイラーが破裂して水が噴き出した悪夢が目に浮かびます。予定を早めて街に戻る事にします。 街への帰路、折角のチャンスなので那須の神社と狛犬を見ながらの行程を進む事にしました。雪の那須岳を背景に鎮座する神社の佇まいは街では目にすることのできない風景です。2022.01.04 |
||||||
出発前に、村のボイラーも慎重に水抜き作業と熱線の電源の確認を1時間程慎重に行いました。辺りは一面の雪景色です。杉の林がモンスターのように空に向かって聳えていました。2022.01.04 | ||||||
街の暮らしでは想像も出来ない雪の降り続く日々の暮らしはいささか気が滅入ります。雪の止んだ2日昼間はチェンそーで伸びすぎた植木の枝を大量に切りました。それ以外はやる事も無く家の中に居るだけではストレスが溜まります。 村を出発して4号線を走り出すと村での雪まみれの暮らしが白日夢の如く薄れていきました。2022.01.04
|
||||||
左の那須の狛犬マップをご参照ください。各地の一覧表とマップがご覧いただけます。
狛犬を訪ねてNo.45@那須の狛犬マップ 大田原市の狛犬 市野沢温泉神社⇒大田原市小滝の神社⇒荻野目諏訪神社 2022.01.04 |
||||||
八幡宮住所: 大田原市福原1125。大神神社を訪ねた道を戻るように進むと大きな鳥居が道路脇に見えてきたので迷うことなく目的の八幡宮に辿り着く事ができました。嬉しい事に神社の横には大きな駐車場までありました。2022.01.04 |
||||||
趣のある木製の鳥居が迎えてくれました。鳥居の前には大岩が置かれています、何らかの由来があるのでしょう。2022.01.04 |
||||||
鳥居をくぐり参道に進むと大きな杉の木が空に向かってそそり立っていました。多分、今回の2022年冬休みの狛犬巡りの旅の最後の神社となるので、目に入る物全てに名残りがつきません。夕方の近い空に伸びる杉の巨木の先を見上げました。2022.01.04 | ||||||
案内板には推定樹齢200年と書かれている事から那須の与一の物語よりかなり後に植えられて事になりそうです。目通しが3mを超えるとすると私の腕には抱えきれない幹の太さになります。2022.01.04 | ||||||
杉の巨木の先に大きな狛犬が奉納されていました。それに見合った台座も高く強固な造りに見えます。見たい気持ちに蓋をして先ず参拝をさせて貰う事にしました、2022.01.04 |
||||||
南側が開けた境内に鎮座する社で参拝をさせて貰いました。多分これが今回の旅の最終の神社と思われます(実際はこの後、道路の那須の与一の墓碑の案内板に従って玄性寺を訪ねたところ狛犬が置かれていました)。2022.01.04 | ||||||
2022年の冬休みの神社巡りの旅が無事終わったお礼をしました。県境の高原の村での雪に降り込められた年末年始でしたが、雪の無い那須野が原を巡る旅を続けているうちに果たして雪の降る日々が現実の暮らしであったかどうかあやふやになってきました。2022.01.04 | ||||||
極めて特異な風貌の大型の狛犬が大きな台座の上に置かれていました。右に置かれた阿像が四肢を一杯に張りつめて厳しい眼光で睨んでいます。動きを感じさせてくれる興味深い狛犬に見えます。 眼球の中心部が丸く彫られた意匠は那須の狛犬でしばしば目にする事から地元の石工の人の彫った石像ではないかと思われます。素人の推測ですが、この狛犬は大田原神社に奉納されている昭和15年(1940年)と同じ石工の人の彫った石像ではないかと推測しています。 恰も雲の上に乗った姿に見えました。この意匠も大田原神社に極めて類似しています。 2022.01.04 |
||||||
左に置かれた吽像から右の阿像を写しています。台座が高いために狛犬の背中や細部がハッキリと確認できませんが、尻尾の彫りなどには力感が溢れた姿が感じられます。2022.01.04 |
||||||
左の吽像も歯をむき出し容赦ない眼光で睨みつけています。石像全体にダイナミックな動きが与えられた見応えのある狛犬です。2022.01.04 |
||||||
台座には奉納年の昭和12年(1937年)と奉納した”福原軍友会”の文字が刻まれていました。”福原”はこの周辺の地名と思われるので当時の地元の軍人さん達の集まりであろうと推測しました。石工の人の名前は見当たりませんでした。2022.01.04 | ||||||
大田原市・。那須の与一の墓碑の案内板を頼りに進むとそこは八幡宮からそれ程遠くない玄性寺というお寺さんでした。トイレまである広い駐車場に車を停める事が出来ました。夕方なので人影は見られませんがかなり知られた場所だと感じました。2022.01.04 |
||||||
お寺の境内に立つ”那須の与一公墓所”の看板に導かれて小山に続く石段を登りました。そこは”稲積稲荷”への道でもあります。後で分かった事ですが、境内には一心堂と言うお堂がありそこには狛犬までもが置かれていました。神仏習合の大変興味深い場所でした。2022.01.04 |
||||||
境内から続く稲積稲荷の鳥居を潜り参道の石段を登ります。稲荷神社の手前で右方位に進むと那須の与一の墓碑が見られるようです。2022.01.04 |
||||||
小山の斜面に広がる墓地の最上段部に向かって歩いて行くと”那須氏墓碑七基史跡”の標識の先に大小様々な形の墓碑が見えてきました。2022.01.04 | ||||||
墓碑の前の説明文には”不祥(与一宗隆の碑と伝えられる)”と書かれていました。七基の墓碑の内、分かりやすいように〇印を付けたのが那須の与一の墓碑と伝えられるものだと書かれています。 浅学な私には”不詳”ではないので意味が判然としませんでした。2022.01.04 |
||||||
〇の部分の文字を拡大して見ました。不詳ではなく”不祥”と書かれている意味が理解できませんでした。”伝えられる”の文字から伝承、不祥と理解していいのかと勝手に思いました。2022.01.04 | ||||||
墓碑の前にはもう一つの大きな石板が奉納されていました。”那須与一公顕彰会建之”の文字か彫られていました。2022.01.04 | ||||||
七基の墓碑が並んでいますが、左から三番目が那須の与一の墓碑と記されていました。2022.01.04 | ||||||
左画像の右端の高い墓碑が三番目の墓碑で、説明によれば那須の与一の伝承がある墓碑と言う事になりそうです。2022.01.04
|
||||||
那須与一公顕彰会の方々の思いが込められた碑文が刻まれています。文中の”福原”は墓碑のある一帯の地名であることからこの地の人々にとっては誇るべき歴史上の人物なのでしょう。石版に書かれている汗馬山(愛宕山)はまさのこの地であり、塩原から流れる箒川も今渡って来たばかりです。 物語の中の幻の人物であった那須の与一がその風貌の一端を見せてくれたような気分になりました。今回の旅の最後に大変楽しい物語に出会いました。2022.01.04 |
||||||
那須の与一の墓碑を見てから帰路、稲積稲荷で参拝する事にしました。玄性寺との関連は分かりませんがほゞお寺の中にあるように見える神社です。2022.01.04
|
||||||
見晴らしの良い境内で参拝をさせて貰いました。今年の初詣の旅の終りが近づいています。夕暮れが駆け足でその気配を強めていました。2022.01.04 | ||||||
社の前に奉納されている狐像がかなり面白いと思いました。右に置かれた所謂子取りの阿像に該当するのではないかと推測しました。耳と尾をを立て大きく空間に造形を広げています。狐の顔も子供の姿も動きを感じさせてくれます。 左には吽像を模した口を閉じた子取りの狐像が奉納されていました。 この二つの狐像の下には一部が破損した先代の石像が置かれていました。その狛犬を再生した作りに見えました。 2022.01.04 |
||||||
穂積稲荷神社から登って来た石段を見下ろしています。真下に玄性寺の屋根が望まれます。2022.01.04 | ||||||
仏像が見える荘厳な佇まいの玄性寺でお参りをしてから後を振り返ると境内の反対側にお堂らしき建物が見えました。お参りをしようと歩いて行くと驚く事にお堂の前に狛犬が置かれていました。お堂の上には一心堂の額が見えました。仏様と神様があちらこちらで見られる楽しい場所です。2022.01.04 | ||||||
お堂で鐘をついてお参りをさせて貰いました。いよいよ2022年冬休みの狛犬を巡る旅のおわりです。再度、無事な旅のお礼を申し述べました。2022.01.04 | ||||||
右に置かれた阿像はかなり厳しい顔付で牙が覗いています。時折目玉や口に彩色を施された狛犬は目にしますが、反射テープのよなものが貼られた石像は初めて目にしました。 足下に子供が彫られた子取りの意匠の狛犬は私には見慣れた石像です。牙を覗かせてこちらを見ています。 2022.01.04 |
||||||
右に置かれた阿像から左の吽像を写しています。大きさはほぼ一般的なサイズです。彫りはあっさりとしていますが、違和感を感じさせないバランスが取れた狛犬の周りを歩いて楽しく観賞させてもらいました。狛犬を作り慣れた石工の人の石像に見えました。2022.01.04 |
||||||
左に置かれた吽像は玉取りの意匠、口の間からは牙らしきものが見えます。阿像と同じく目と牙にテープが張られていました。台座の周りを探しましたが年代や石工名を見つける事は出来ませんでした。 旅の最後に玄性寺で思いもしない狛犬に出会い胸一杯の思い出を頂戴しました。拝礼をして車に向かいました。境内には夕暮れの気配が一層強くただよっていました。2022.01.04 |
||||||
|
||||||
|
||||||
10/08/2022 | ||||||
Copyright (C) Oct. 10,2007 Oozora.All Right Reserved. |
||||||