土手の下の河原の林の中でも彼岸花は花を咲かせていました *無断転載土手の野の花一覧 |
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出発点から5kmの折り返し点の橋から復路をやってきました。帰りは時折土手を降りてみる事にします。 緑の絨毯の中に連なりながら咲く彼岸花を見に土手を降りて来ました。これから走る土手の上に広大な空が広がっています。これだけの彼岸花の列の舞台には申し分ありません。2019.10.01 |
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草刈りが終わったばかりの最も彼岸花の美しさが際立って見える場所まで戻ってきました。時折土手を降りてみる事にします。2019.10.01 | ||||||
土手の斜面の中ほどに丸く彼岸花が咲いている場所がありました。ストーン・サークルならぬ、彼岸花サークルです。最初に植えた人の遊び心としか思えません。よくぞ草刈り機の餌食にならなかったものです。 広大な青空を横切る土手のラインを見上げています、どこまでも彼岸花の作る真っ赤な帯がそのラインに沿って続いています。2019.10.01 |
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土手の上り下りを繰りかえしながら彼岸花の姿を目に止めています。来年の再会までの思い出に、この風景を心の中に留めておかなくてはなりません。2019.10.01 | ||||||
点々と赤い花が土手を彩っています。空には幾つもの不思議な形の雲が浮かんでいます。広大な自然の中に身を置く至福の時です。人影は見当たりません。2019.10.01 | ||||||
土手と河原との境目まで降りてみました。大雨が降れば間違いなく冠水する一帯ですが彼岸花の帯が延々と続いています。2019.10.01 | ||||||
河原には灌木類が茂り小さなテリトリーを作っていました。一群の彼岸花がその緑の中で一際鮮やかな真っ赤な花を開かせていました。何度も川の流れに覆われた事でしょう。健気な花達です。2019.10.01 | ||||||
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往復10kmの土手のジョギングの出発点の一番目の橋近くまで戻ってきました。此処から右に坂を下り駐車場に戻る事にします。 あっという間に秋がやって来ます。来年の再開を楽しみにして怠けずにトレーニングを続ける事にします。2019.10.01 |
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辺りは人家が建て込んでいます。境内は大変静かです。拝殿の前から神社入口を写しています。鳥居の前に狛犬が奉納されているのが見えます。2019.10.01 | ||||||
朝霞市浜崎氷川神社・昭和9年(1934年)狛犬 |
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右に置かれた阿像、口を開けた顔の表情はかなり厳しい印象を受けます。彫りはあっさりとしていますが全体のバランスに違和感を感じません。 安心して観賞する事が出来る石像でした。大きさは普通か若干大き目に見えます。2019.10.01 |
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伊勢神宮参拝で太太神楽を奉納した記念と思われる、昭和9年(8年かも知れません)の作です。どちらにしてもほぼ100年前の狛犬です。
何故か富士見市や志木市には獅子山状の台座が組まれた狛犬が多く見られます(新河岸川沿いの神社と狛犬参照)。この浜崎氷川神社野狛犬もその系統を継承しているようです。富士山の溶岩の黒ボクがは一部使用されているかもしれません。 私の少ない経験からの推測なので間違っているかもしれませんが、埼玉県の西部地区では富士見市周辺の神社に見応えのある狛犬がかなり多く見られるように思いました。2019.10.01 |
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左に置かれた吽像、静かな表情と付属物を彫りこまない作りがそれはそれで大変印象的です。 当時の石工の人達の多くは、これだけの技量を持っていたことが推測されます。台座には石工名が見当たりませんでした。 中々の狛犬に遭遇できました。2019.10.01
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本殿の右に二つの摂社が祀られていました。右は護国神社です、その説明板です。護国の神として大切に祀られたとしたら、浜崎氷川神社は亡くなった地元の方々の産土神であったのかもしれないと思いました。手を合わせて拝ませて貰いました。 左の社には熊野神社・稲荷神社・琴平神社が合祀されいるようです。2019.10.01 |
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04/17/2021 | ||||||
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