塙町西河内・八幡神社の狛犬・昭和9年(1934年)・石工 後藤豊春 *(禁)無断転載 |
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2019年・那須の紅葉巡りの旅に合わせた狛犬巡り |
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境内は丘の斜面に広がっています。鳥居の先に稲を刈り取った田んぼと色付いた小山の連なりが望まれます。 誰一人居ない静かな境内に佇みながら穏やかな風景を眺めていました。2019.11.11 |
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拝殿は石積みをされた更に一段高い場所に鎮座しています。鎮守の杜に囲まれた美しい神域の中で深呼吸をしました。穏やかな気配が心に浸透していくような豊かな気持ちになります。狛犬を見たい欲望に一旦封印をしてまずお参りをさせて貰いました。2019.11.11 |
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静かな境内に極めてインパクトの強い大型の狛犬が置かれていました。右に置かれた阿像、際限なく創作するエネルギーが注ぎ込まれたような迫力を感じる印象的な石像です。 炸裂するような牡丹の花弁と言い、立ち上がって今にも吠え掛かるかと思うような顔付に暫し見惚れてしまいました。 2019.11.11 |
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右に置かれた阿像から吽像を写しています、阿像の尻尾の周辺の造形にも力が漲っているように感じます。 2019.11.11 |
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最初に見た阿像にも大いに心を動かされましたが、左に置かれ吽像を見上げて更に圧倒されました。彫りの精緻さなどを超えた放射する圧力を感じてしまいます。何を形作ったか理解できませんが、前面の子供の狛犬を覆う石を支えに半立ちした姿で私を見下ろしています。2019.11.11 |
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吽像の後にも子供が彫られています。千尋の谷に落ちようかと言う姿で台座に縋り付いているようです。2019.11.11 | |||||||||||||
スケールの大きな舞台を一枚の画像では写しとる事が出来ませんでした。少し横からも写してみました。震災で落ちかかったか経年で落ちかかったのか、セメントで一部が補修されていました。 もしかしたら、どこかでこの石工の石像に再度出会えるかもしれないと、今回の旅に楽しみが一つ加わりました。2019.11.11 |
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静かな境内の石段を下りて道路に立ってみました。色付いた小山の連なりと刈り取りの終わった田んぼ、心を和ませてくれる風景が広がっていました。2019.11.11 |
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かなり車の通りがある242号線から石段を登ると静かな境内がありました。 八幡神社の扁額が掛かる拝殿でお参りをさせて貰いました。2019.11.11 |
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八幡神社・狛犬・大正1年(1911年) |
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普通サイズの右に置かれた阿像、経年による欠落が見られますが愛嬌のある表情が感じられます。全体の彫りは簡素です。水郡線の通る街道筋には、それぞれが独自の意匠を持つかなりの石工の人達がいた事が分かります。2019.11.11 |
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台座には大正1年(1911年)の文字が見えます(もしかすると大正10年かもしれません)、残念ながら石工名は見つかりませんでした。左の吽像の背中部分から阿像を写しています。簡素な彫りの様子が分かります。2019.11.11 |
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左の吽像は欠落などが見られない良い状態を保っていました。やはり優しげな表情の狛犬に見えます。2019.11.11
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八幡神社・二つ目の狛犬・昭和17年(1942年) |
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八幡神社からの風景です。県境の村を出るときには雨が降りそうな天気でしたがどうやら晴れ間が見えてきました。 八溝山塊の東と、県境の村の西では風景もかなり異なります。目の前に広がる八溝山東側の山はなだらかな曲線を描いています。西側の那須連山の尖った岩肌の山とはかなり印象がことなるようです。 2019.11.11 |
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